映画コラム

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2015年04月04日

パジャマの語源はインド?寅さんにみる当時の言葉の興味深い世界vol.3

パジャマの語源はインド?寅さんにみる当時の言葉の興味深い世界vol.3

寅さん 男はつらいよ 寅の巻


画像:寅の巻全作品データベース

どうも。スズキです。

好評を頂いている、映画『寅さん』の時代背景がわかるデータベース『男はつらいよ 虎の巻』から平成生まれの記者が興味深いものを紹介するシリーズ。今回は当時の流行、派生した雑学に注目です。

ソップ?そっぷ型力士はどうやって体重を増やす?


一発目は、第14作【1974年】のデータベースからいってみましょう。
ソップ
右手が不自由で、不便そうに食事をする博に、おばちゃんが「気が付かなかったねえソップでも作ってやればよかったねえ」と気の毒そうに言う。ソップとはSOUP=スープのこと。語源はオランダ語のsob。戦前、おばちゃんのような庶民は、“ソップ”と読んでいた。相撲の世界では鶏出汁のちゃんこを「ソップ炊き」と呼ぶ。筋肉質や痩せ型の力士のことを「そっぷ」という(「あんこ」型の反対)。
参照:第14作 男はつらいよ 寅次郎子守唄|寅の巻全作品データベース

スープのことを『ソップ』と読んでいた時代があったようですね。ちなみに、相撲界における『そっぷ』はダシを取った後の鶏ガラに例えられているのだとか。

ちなみに、そっぷ型力士が体重を増やす際、稽古やトレーニングをこなし空腹にした上でたくさんのご飯を食べてもらうことで増量を促すそうです。一方、あんこ型力士は昼寝で食後の昼寝で体重を増やすようですよ。

パジャマの語源はヒンディー語


続いて、第15作【1975年】から。日本で就寝時の衣服として定番になっている"パジャマ"。これには語源があるようなのです。
パジャマ
有金をはたいてしまった、寅さん、リリー、兵頭パパが、函館本線の塩屋駅で一晩を過ごす。律儀な兵頭パパは、わざわざ持参のパジャマに着替えてご就寝。しかし、土足は主義に反するのだろう、短靴を履いたまま寝たようで、それを寅さんにからかわれる。パジャマの語源はヒンディー語の“パージャーマー”で民族衣裳のズボンのこと。
参照:第15作 男はつらいよ 寅次郎相合い傘|寅の巻全作品データベース"

"パージャーマー"とは、ゆったりとしたズボンとのことで、インドカレー屋さんで流れる映像で現地の方々がよく履いているやつですね。

寅さんのデータベースから、こうした雑学まで学べるなんて、非常に面白いサイトですね。

当時も流行していた『だて眼鏡』



現在、オシャレさんの間で着用されることの多い"だて眼鏡"。第16作【1975年】でも、オシャレの象徴として登場しています。

眼鏡 学問を志した寅さんが、まずは“気分から”と柴又商店街の時計宝石店でだて眼鏡を購入。寅さんは大真面目だが、周りのリアクションは手厳しい。おばちゃんは「色眼鏡はおしゃれな人がかけたりするけど」と、寅さんの眼鏡にはあきれ顔。眼鏡が登場したのは13世紀頃のイタリア。日本に伝えたのは宣教師のフランシスコ・ザビエルとされている。 参照:第16作 男はつらいよ 葛飾立志篇 |寅の巻全作品データベース


当時から、オシャレの象徴として愛用されてきた『だて眼鏡』。そろそろ記者も導入してオシャレさんと呼ばれるように頑張ろうかと思っている次第です。

体操着の変遷をうかがい知れる



第18作【1976年】で興味深かったのが、体操着について。

体育着 柴又小学校一年生になって、はや半年。満男は元気に体育の授業を楽しんでいる。小学校の体育の時間に着る体育着は、体操着と呼ばれ、普段着より体を自由に動かせることを重視して作られた。1960年代前半まで、男子は白綿のランニングに、白のブロード地の短パン。女史は白綿のブロード地の開襟シャツに、紺サージのブルマー。1960年代後半になると、男子は白メリヤス地のトレーニングシャツに、白サージの短パン。女子は紺サージのショートパンツが一般的となる。 参照:第18作 男はつらいよ 寅次郎純情詩集|寅の巻全作品データベース


当初、体操着はランニングだったのですね。それがシャツに変わったんだとか。さらに、平成生まれの記者の時代は、短パンから少し長めの丈の半ズボンに変わりました。

五百円札という貴重なお札が



第19作【1977年】では、今は見ることのできない五百円札が登場します。

五百円札の入った財布 寅さんのふところはいつも「旅先」。五百円札のみということが多い。今回も大洲の宿で散財したために、最後に残ったのが五百円札。1951年4月2日に五百円札(B号券)が発行され、長らく使用された。表面には明治の元勲・岩倉具視の肖像画、裏面には富士山が描かれている。 1969年11月1日には、贋札予防のために、より精緻な印刷のC号券が発行された。見た目はほとんど変わらないが、サイズは少し小さくなった。1982年に五百円硬貨が発行されてからも、85年までは製造されていた。 参照:第19作 男はつらいよ 寅次郎と殿様|寅の巻全作品データベース


記者は五百円札というものを見たことがなかったので、この項目が気になりました。ちなみに、以下が五百円札です。




山高帽とは?


こちらも同じく第19作から。山高帽というファッションが取り上げられていました。『山高帽』という記者にとって馴染みのない言葉にクエスチョンマークが浮かびましたが、チャップリンと聞いて納得しました。
山高帽
殿様がとらやを訪ねて来た時のスタイルは、蝶ネクタイに山高帽。ダンディに決めているのに、おばちゃんは「手品師」のよう、と手厳しい。山高帽はイギリス発祥の帽子で、素材は固く加工したフェルトで、半球型の山の部分と、巻き上がったつばが特徴。1850年に、トーマス・コーク氏のためにイギリスで作られたのが最初。日本に輸入されたのは慶応年間。普及したのは、文明開化の明治に入ってからのこと。喜劇王チャーリー・チャップリンのトレードマークともなり、おばちゃんのイメージする「手品師」のイメージの源泉は、戦前の芸人によってつけられたものと思われる。
参照:第19作 男はつらいよ 寅次郎と殿様|寅の巻全作品データベース

こちらですね。



確かに、記者にとってもお洒落というよりは、チャップリンなどの喜劇役者のイメージが強いですね。こちらも当時は、お洒落アイテムとして着用されていたのでしょうか。気になるところです。

1970年代に定番となったパフェ


今度はスイーツのお話を。第20作【1977年】のエピソードです。
パフェ
寅さんが良介に幸子とのデートを指南する場面。レストランで食事をした後に、デザートをとってやれ、今の若い子はよく食うからね。「アイスクリームをねじりウ○コみたいに山盛りにして・・・」とパフェのことを言う。パフェとはフランス語でparafait。背が高いグラスにアイスクリームや、フルーツなどで飾り立てたデザートで、英語ではサンデー=Sundaeという。1881年にアメリカ、ウインスコンシン州のエド・バーナーが発案。日本では戦後、喫茶店のメニューに加わり、1970年代に定番デザートとなった。
参照:第20作 男はつらいよ 寅次郎頑張れ!|寅の巻全作品データベース

今や、定番となったパフェ。当時の人にとっては、珍しいものだったようですね。

それにしても、例え方がいかにも寅さんらしくて良いですね。今、そんな例え方をしたら、どうなってしまうのでしょうか。記者は怖くて絶対にできません(笑)

当時の流行と雑学が勉強になる


今回のデータからは『だて眼鏡』など当時の流行がわかり『ソップ』というワードからは、派生して相撲界の雑学も知ることができました。このようにいろんな情報を得ることのできるデータベースですので、皆さんもご覧になってみてください。

ではまた!

(文・タクスズキ)

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