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2015年07月28日

戦後70年の今、戦争を改めて考える―半藤一利&原田眞人監督フォーラム全文

戦後70年の今、戦争を改めて考える―半藤一利&原田眞人監督フォーラム全文



日本のいちばん長い日



監督:
鈴木貫太郎の山﨑努さんは、僕は脚本を書いている時から、役所さんの阿南さんと、貫太郎さんの山﨑さんというのをイメージして脚本を書きました。やっぱり貫太郎さんというのは半藤先生が仰ったように、すごい豪胆な人だなあと。これが今まで映画で描かれると違って描かれるんです。

岡本作品の批判をするわけじゃないんですけども、あれは『日本のいちばん長い日』の最後の2日間を中心に描いていたので、笠智衆さんがやっていたんですけど、どうしても貫太郎さんがふわふわした頼りない人で…。

終戦の4ヶ月前に、昭和天皇がどうしても貫太郎さんに首相になってくれと言って、阿南さんと3人がチームになるんですね。要するに貫太郎さんを首相に持ってくれば、阿南さんが陸将でくるんじゃないかと、そういう伏線もあったと思うんです。

ところが、僕はやっぱり半藤先生の『日本のいちばん長い日』を読んだ時に一番「あ、このシーンを映画化したいな」と思ったのが、貫太郎さんが昭和天皇に面と向かって御前会議の時に聖断を仰ぐんですけれども、そのときに半藤先生の本では「そのさまは鞠躬如であった」と書いてあるんですね。

米内さんや迫水さんの全然別個に彼らを書いた本で、彼らの見た目で鞠躬如という言葉が出てきているんです。これは『論語』の言葉らしいんですが『論語』の中で「非常に身を固くして慎み、かしこまっている様」とかそういうのが出てきます。

これを、映像化するときにどういう風な動きにしていいのか?実際に貫太郎さんがどう動かれたか、どういう形で挨拶をしたのかというのは無いんですね。ただ見た人が「鞠躬如だった」と言っているだけなんで。

それで「能・狂言の足の運びかな」と思って、茂山一門の茂山逸平さんに現場に来てもらい、その場で山﨑努さんに動きを指導してもらったんです。山﨑さんは大俳優ですから、これは茂山逸平さんが驚くほどベテランの能楽師のように、すぐ足元・動きをマスターしてくれて、素晴らしいシーンになったと思っています。

半藤先生が仰ったように、昭和天皇というのは戦前の日本にとって“全ての家族の家長”でしたけれども、この作品はその家族の絆みたいなものを描いているし、その昭和天皇と貫太郎さんと阿南さんというのは擬似家族だったんじゃないかという。

そういうところが僕の極みで、この“鞠躬如”という、いわゆる儀式ですね、才芸の。昭和天皇が全てをやってきている祭祀、その昭和天皇の業務に相応しい祭礼的な動きを鈴木貫太郎さん的に考えてやった。でそれを阿南さんがサポートした。この3人というのは、擬似家族の関係で年齢的に言うと、鈴木貫太郎さんが父親で、長男が阿南さんで、次男が昭和天皇。

この3人が1フレームの中に入るという、このカットを撮りたくて、それがこの映画の“へそ”だなと。そういう感じがして脚本を書いて、実際に映画を撮るときも、この時は本当に緊張した中の映画作りのおもしろさというのがありました。

迫水書記官長の堤さんのことは飛んじゃったんですけど、ひとつだけ付け加えさせてもらうならば、鈴木貫太郎さんのお孫さん、道子さんも既に何回もご覧になって頂いています。プログラムにも道子さんは、音楽評論家ですので書いてくださっています。

日本のいちばん長い日



それから、迫水さんのお孫さんたち、長男・長女のお2人ともこの映画を早くにご覧になって、すごく褒めてくれたのですが「ひとつだけ事実と違う」と言われたところがあったんですね。

ご覧になれば解りますけど、迫水さんは登場の瞬間から自転車で来ます。実はいろんな当時の車っていうのは、なかなか手に入らなくて迫水車として1台あたえる分に無かったので、迫水さんのコンセプトは自転車ということにして、自転車で走り回る人ってことにしたんですね。

そしたら、迫水さんたちのお子さんたちは「父は半月板を痛めていたので自転車に乗れなかったんです」と言う。仕方ないです、これは。映画の嘘です。でも、堤真一の自転車姿というのは本当に様になっていると思うんで、これはもう許してもらいました。なので、みなさんそのつもりでご覧ください。

クーデーター未遂を起こした若き将校たちについて


日本のいちばん長い日 天日隆彦



天日:
内閣書記官長といいますと今で言う内閣官房長官なんですが、当時は割りと事務的な仕事が多くて内閣官房副長官的な仕事をされていたとも言われています。

次に、反乱を起こそうとしたクーデター未遂を起こした将校たちについて話をお伺いしたいと思います。映画では畑中少佐というのが特にクローズアップされていますけど、その他の何人かの将校たちが描かれています。

半藤:
先ほど予告しました通り、年齢を先に申し上げておきます。畑中少佐は当時33歳、椎崎中佐は当時34歳。これはあまり映画に出てきませんが、東條英機大将のお嬢さんを、お嫁さんにした古賀秀正少佐が26歳。それからもうひとり参謀の石原貞吉少佐が32歳ということです。

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