原案は某ゴウチ氏だった?シカがモチーフの新感覚ムービー『ディアーディアー』菊地健雄監督インタビュー・前編
回想・モノローグ一切なし!前へ前へと進む映画
―― タイトルが『ディアーディアー』なので、まずシカについて質問させていただきましたが、個人的に一番最初に伺いたかったのが脚本のお話なんです。実は私も、10年ほどシナリオを書いてた時期がありまして。
菊地監督「そうだったんですね。」
―― この映画は、トラウマや思い出を下敷きに構成された作品ですよね。にもかかわらず、回想シーンも、モノローグ(独白)も、ナレーションも一切使われていないんですよ。しかも、トラウマの一因であろう、両親の姿もセリフも全く登場しなかったんです。よほどの腕がないと、こういう描き方はできないなーと、興奮しながら観ていました。
菊地監督「ありがとうございます。」
―― モノローグや回想って、割と簡単なイメージがあって。例えば「あれは忘れもしない、10歳の夏…」などど独白させながら、子役あたりに回想シーンを演らせちゃえば簡単じゃないですか。しかし、この作品ではセリフと演技のみで見せ切っています。先ほど、シナリオに時間がかかったと仰ってましたが、緻密な計算と構築のもと、膨大な時間をシナリオに費やしたんだろうな〜と想像しました。
菊地監督「今回の作品に関しては、キャラクター達が色々と動いたり、偶然出会うことでストーリーが前へ前へと進行する形でやると、最初から決めてまして。回想やモノローグなどの“説明”は観客にとって親切でもありますが、その一方で退屈だったり、流れを停滞させる側面も持っています。感情移入している観客の心が、フッと戻っちゃうのだけは避けたいと思っていました。」
―― 本当に、説明らしい説明は一度も…あ、ストーリーが始まる前の序章で、大まかな説明らしきものがありましたが、それ以降、一切説明は出てきませんでしたね。
菊地監督「出来事の経緯は冒頭で全て説明しちゃって、後は人物で見せていくって形を、脚本の杉原君が作ってくれました。全部が上手く伝わるかは賭けでもあったんですけど、映画を観ていく中で観客が『ああ、なるほど。こういうことか!』と理解を進めていくというイメージは、脚本を書いてる段階からありましたね。」
―― しかも『ディアーディアー』という作品は、主人公の三兄妹だけでなく、様々な背景を持った脇役が多く出てきて、複雑な人間関係を紡ぎ出しています。それを全て網羅し、完全なパッケージとして成立させた事自体が凄いんですけど、もっと言うと、それが107分という短時間に纏められている事に驚かされました。
菊地監督「本当はもっと短くしたかったんですけどね。」
―― いや〜。あれだけ個性的なキャラ達を動かした上に、すべてのエピソードが取りこぼしなく全て収まった話を、あの短時間でやり切ったというのは、やはり現場経験の長い菊地監督ならではの技だと思います。
菊地監督「ありがとうございます。」
地方都市の三兄妹=監督の投影
―― 元々は『演技性人格障害』の話というオファーが、練っているうちに地方都市を故郷に持つ三兄妹の話に変化していったとの事ですが、そこに落ち着いた決め手はありますか?
菊地監督「やっぱり長男の冨士夫にも、次男の義夫にも、末っ子の顕子にも、街で過ごしたそれぞれの時間や歴史みたいなものがあるんですよね。僕なんかも18歳までは、作品の舞台である栃木県の足利という地方都市で過ごしたんです。でも、東京から故郷に戻ると、道でばったり昔の友達や親戚のおじさんに会ったりするんですよね。」
―― 私も北関東出身なので良く解ります。地方出身者あるあるですよね!
菊地監督「でもそこに、かつて自分が存在した痕跡をすごく感じるんですよ。なので、その辺りは丁寧に表現したいと思いました。また、三兄妹を貫くもの…例えば、会えば喧嘩するとか、兄妹ならではの要素を見せたくて脚本も作りましたし、撮影にも臨みました。」
―― 三兄妹のキャラも、うまく住み分けがされてますよね。長男の冨士夫は真面目で、冒険せず、波風立てずというタイプですよね。真ん中の義夫は心の病気のせいか、被害者意識の強い、エキセントリックな性格。そして末っ子の顕子は、色気ムンムンで自由な感じもしますが、どこか退廃的で人生を諦めてるようにも見えます。
菊地監督「物事をクールにも見てますしね。」
―― アクの強い人達に振り回されつつも、唯一地に足がついてるのが、長男の冨士夫でしたよね。その、懸命に踏ん張っていた冨士夫がついにキレたじゃないですか。勝手な感想ですけど、この映画は、ここを描きたいが為に作ったんじゃないかと。それまでのシーンは、これを引き出すための序章だったんじゃないかと思うほどインパクトがありました。
菊地監督「鋭いですね〜。考えてみたら、制作の中心メンバーがみんな長男だったんですよ。僕も桐生さんも杉原君も、全員長男でした。僕は18歳で上京したので、同じように足利から出て行った義夫や顕子にも、自分のある部分を投影していると思うのですが、やっぱり冨士夫に一番自分を重ねてるなって。」
―― 冨士夫は、自分自身を乗せて作ったキャラクターなんですか?
菊地監督「乗せるつもりはなかったのですが、出来上がったものを観ると、結果的に乗っちゃってますよね(笑)。助監督って、様々な現場や部署を立ち回るのが仕事なんです。グイグイ引っ張って行く人、叱咤激励する人…色んなタイプの助監督がいる中で、僕は調整に奔走しながら丸く収めるタイプの助監督だったので、その経験もちょっと反映されちゃったなというのはありますね。」
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