映画コラム
晩秋にふさわしい日本映画④ 『さようなら』
晩秋にふさわしい日本映画④ 『さようなら』
濃密な映像表現で、人間と
アンドロイドの生と死の関係性を描出
本作は現代日本が置かれた様々な問題と真摯に対峙しながら、SFの衣を借りて見事なまでのドラマを形成しています。
また、ここでは大阪大学で開発された本物のアンドロイドを製作し(TVバラエティ番組『マツコとマツコ』に登場したマツコ・デラックスのアンドロイド”マツコロイド”と同じジェミノイドF)、人間と機械の生と死を問うていきます。
それはどことなく手塚治虫の世界を彷彿させるような、日本人にとってなじみやすい世界観でもあり、一方では現実を描いたリアルなドラマよりも、はるかに社会問題をエンタテインメントとして取り込みやすいSFならではの長所を最大限に活かしているといっても過言ではない。
ここまで来たら、特にSF映画ファンは見ない手はないでしょう。
正直、特撮を駆使したような派手なシーンこそありませんし、テイストとしては『惑星ソラリス』(72)や、最近では『草原の実験』(14)といったものに近い、じっくり撮り上げていく映像表現の美学を前面に打ち出したものではありますが、ならばその美学をとくと堪能していただきたい。
深田監督作品は『歓待』(10)『ほとりの朔子』(13)など、常にさりげなくも濃密な人間描写に秀でていますが、個人的には縦横無尽なキャメラワークで絵を撮りながら、実写ともアニメーションとも異なる斬新な表現を成し得た実験的中編“画ニメ”作品『ざくろ屋敷』(06)に目を見開かせて以来、ずっと気になる存在の監督です。
今回も世界の終わりを画の歪みで表現するなど、意欲的な試みがなされていますし、クライマックスに至っては、よくぞまあ回したり(演じる側も大変だったことでしょう)、驚異的な長回しシーンによる時間の経過がもたらす哀しみの効果など、実に味わい深いものがあります。
原作舞台のほうは未見ですが、映画化されたこちらは、世界そのものが朽ちていく過程が秋枯れの風景などによって巧みに描出され、またその中で静かに苦悩し続けるする人間のはかなさや切なさなども醸し出されています。
日本も人も朽ちていくのに対し、アンドロイドは一体どうなるのか?
ラスト、本当に永遠なものとは何かが示唆されます。
それが何か、これもまた見てのお楽しみということで。
最後に、一瞬ですが、『ふたりのベロニカ』(91)や『エレニの帰郷』(14)の名優イレーヌ・ジャコブの特別出演にも嬉しくなりました。
(それだけでも、映画ファンとしては見ないわけにはいかないでしょう!)
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(文:増當竜也)
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