映画コラム
鬱から帰ってきたあの旅を代弁してくれた『わたしに会うまでの1600キロ』
鬱から帰ってきたあの旅を代弁してくれた『わたしに会うまでの1600キロ』
(C)2014 Twentieth Century Fox
竜さんの「大切なことはぜんぶ映画が教えてくれた」
『わたしに会うまでの1600キロ』を見終わった時、僕は自分のことが映画になったような錯覚に包まれて、涙がなかなかとまらなかった。
本作は、シェリル・ストレイドという実在のアメリカ人女性が、最低の人生から抜け出すために1600キロもの旅路を歩ききったノンフィクションを映画化したものである。
心のよりどころであった最愛の母を亡くし、夫を裏切ってドラッグと男に溺れ、人生を見失って自暴自棄に陥っていた彼女が、「本当の自分を取りもどす」ために旅に出たように、僕も数年前の夏に、一人で旅に出たことがある。
当時、家内が重い心の病に倒れ、三人の子どもたちを養う家庭と職場のプレッシャーに押しつぶされた僕は、会社に行けなくなって、暗い部屋に何日も閉じ籠もった。
明けても暮れても布団に潜りこんで日々をすごしていた僕はある日、明確な理由もわからぬまま、シェリルと同じように真新しいキャンプツールを買い揃えて、期限を決めない旅に出たのだ。
一人で旅に出る以外に道はなかった。
僕はシェリルのように歩く根性がなかったので、大きな荷物をバイクにくくりつけて旅をしたのだが、僕と彼女に共通していたのは「とにかく今の現実から離れて一人になりたい」という気持ちだったはずだ。
いつもの場所にいつもの誰かと一緒にいたままでは、自分は何も変われない。錯乱した心のままでは何も見えない。もう、死ぬ以外に、旅に出るしか道はなかった。
僕も一日目から旅を後悔しはじめていた。シェリルが言ったように「何なのこれ?やめておけばよかった!」の連続なのだ。バイクで海沿いの道を走っても、キャンプ場で雄大な景観を眺めていても、ちっとも楽しくない。
(C)2014 Twentieth Century Fox
現実から逃れたくて一人になったのに、いざ一人になってみると、家に置いてきたはずの悲しいことやつらいことばかりが思い出される。こんなに苦しいのならもう帰ってしまおう、と何度思ったことか。
けれど数日過ごしていると、だんだん心境に変化が現れる。
なにしろ旅がハードなのだ。バイクなので雨が降れば濡れる。食事を作るのだって一苦労。休む場所は自分で決め、自分で用意する。小さく頼りないテントに潜りこみ、夜になれば獣と幽霊の声が聞こえる。身体は汚れ、疲れはとれず、漠然とした不安の中で「ただ生きるということがどれだけ大変なのか」という事実が身に沁みてくる。
そうやって「ただ生きる」ということを一人で全部やっていると、そのうち、自分が家に置いてきたつらく悲しい現実が、どうでもいいもののように思えてくる。あれ?僕は何であんなちっぽけなことに悩んでいたのだろうか?と。
一人になってはじめて、自分は一人じゃないということに気づく。
そしてこころもからだも旅に慣れて余裕が出てきた頃、涙とともに溢れ出る感情。
それは猛烈な「寂しさ」だった。
シェリルが旅先で女性ハイカーに「一人で旅して寂しくないの?」と聞かれ、「ここより寂しい人生を送っていたから」と答えるシーンがあるのだが、僕も同じ気持ちだった。
僕は四人の家族とともに暮らし、何十人もの同僚と仕事をして、たくさんの友人がいたけれど、ずっと「ひとりぼっち」だと思っていた。みんなの愛を受け入れず、一人でがんばって、勝手に孤独になって、寂しくてしょうがなかったのだ。
それが旅に出て、本当の孤独に身を置いたときに、そうではなかったということに気づいた。
僕は一人じゃなかった。そう思いこんでいただけで、みんな本当は僕の友人であり味方だったんだって。つらいことも悲しいことも全部含めて、僕は間違ってなんかいなかったんだって。
シェリルも旅の途中で、そのことに気づいて心が開いていく。
「私は過去を受け入れる。後悔はしない。もし時が戻っても、きっと同じことをするだろう。過ちがあったからこそ、今の私がいる」
(C)2014 Twentieth Century Fox
心が折れる前に、自分を見つめなおしませんか?
幼少期のトラウマを抱えたまま大人になって、うつ病になってしまう人は後を絶たない。
僕が薬を頼らずに元気になって、今はそれまでよりずっと愛と幸せに満ちた人生を歩んでいるのは、多くの仲間に助けられたのももちろんだが、一人で旅に出て、自分自身と向きあえたことが何より大きい。
僕らの日常は氾濫する情報と人間関係のしがらみに支配されて、常に嵐の中を歩いているようなものだ。
そんな嵐の中をどんどん歩いて行ける人はいいが、自分を信じられなくなって、過去や未来の不安にとらわれてしまう人は、無理して歩を進めるのはやめて、立ち止まってみるといいと思う。
いつも思い出の真ん中にいる自分を振り返ってみればいい。
自分は、何も間違っていなかった、ということに気がつくはずだ。
そう思えないなら、思いきって旅に出てみたらどうだろうか。
あなたの知らない世界が、あなたの知らなかった大切なことを教えてくれるかもしれない。
人生という悲しみの荒野で迷子になったシェリルは、救いを求めて歩き出した旅の終わりに気づく。
「私はすでに救われている。私は何も間違っていなかった」ということに。
(文:茅ヶ崎の竜さん)
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