ワンダーウーマンこそ不動のセンターだ!AKB総選挙的に楽しむ「バットマンvsスーパーマン」



ワンダーウーマン、その魅力を考える


まず、大前提として「強い女性は男の憧れ、それだけでカッコイイ」、という要素が大きい。

とにかく彼女は強い!実は今回登場する三人のヒーローの中で、唯一敵にダメージを与えているのが、ワンダーウーマンその人だ。

エネルギーを吸収して更にパワーアップする敵に対して、スーパーマンは直接打撃とヒートビジョンで対抗するも、熱線は敵に吸収されて逆効果。
生身の人間であるバットマンは、戦略には優れているが防戦一方。そこに登場して敵と互角に戦い、剣で切り付ける事で唯一敵に効果的なダメージを与えられるのが、ワンダーウーマン!

しかも男二人でも敵わない敵に一人で立ち向かう勇気と、戦いを楽しんでいるかの様に見える、余裕の表情!自分の正体の露見を恐れて、あくまでも個人の目的のために行動し、メトロポリスを去ろうとしていた彼女が、街の危機的惨状を観て飛行機を無言で降りてからの、いきなりの登場。そのままメトロポリスを離れてしまえば自分は安全なのに、あえて自ら死地に赴くという行為、これこそが日本人の大好物である要素、「NANIWABUSHI」、そう、「浪花節」だ!

本編のセリフに置き換えるなら、「それでも成すべき善がある」ということになる。

ここで断言したいのは、洋画でありながら「浪花節」要素が感じられる映画は面白いし、観客が感情移入しやすいのでヒットするという点。なにより人間の本能に直接働きかけてくるので、言葉や文化が違っても間違いなく伝わる。(最近では、「ジュラシックワールド」がそうだった)

日本の古典である「忠臣蔵」はもちろんのこと、東映のヤクザ映画で主人公である高倉健の殴りこみに同行する池辺良!などに代表されるように、自分の利益を度外視して「成すべき善」のために行動する人間の姿。そこに我々は「人の善き部分」を見て感動し、「ああ、自分もそうでありたい!」そう感情移入してしまうのだ。

これは、もはや日本人が持つ本能的なもの、そう無条件で「カッコイイ!」と感じる要素だと言える。だからこそ、アメコミ知識の有無に関係なく、ワンダーウーマンの登場に皆が喰いついたのではないだろうか?


まとめ


本作と同傾向の、マーベルの集団ヒーロー映画「アベンジャーズ」で唯一不満だった点、それは大量の敵に対する「数」のヒーローチームという構図。つまり質ではなく、敵の数が多いからヒーロー側も数を多くするという結果、何か知らないがスクリーンのあちこちでゴチャゴチャと戦ってる、という印象が強くなってしまったことだ。(実は、スターウォーズのプリクウェルでも、これは感じられた要素だった)

例えば、日本のヒーローの代表「仮面ライダー」で考えてみよう。

大量の怪人&戦闘員とバラバラに戦っている歴代ライダーたち。あっちこっちで、大量に押し寄せる無個性の敵を、ただただ倒すだけ。果たして、そんなものを観て心がワクワクするだろうか?

それよりも、物凄く強大な一人の敵に、力を合わせて総力戦を挑む歴代ライダー!はい、こっちの方が絶対に燃えるし、観たいと思わないだろうか!個々の力では決して敵わない強大な一人の敵に、力を合わせて知恵と作戦で勝つ、我々観客が見たかったのは実はこういいう展開ではなかったか?

そう、単独で十分強いヒーローたちが、束になっても勝てない強大な敵の存在。これこそが過去の集団アメコミヒーロー映画に欠けていた要素だと言えるだろう。その点でも、「バットマンVSスーパーマン」は「アベンジャーズ」とは全く逆のアプローチを取っており、単なる「お祭りムービー」的に普段は見れない顔合わせが見れるのが目的の映画には終わっていない。

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