映画コラム

REGULAR

2016年05月28日

「世界的名監督が描いた、ふたつの異なる『白夜』」

「世界的名監督が描いた、ふたつの異なる『白夜』」

今年のカンヌ国際映画祭が終わり、世界中から受賞結果に非難轟々が浴びせられている。

ケン・ローチの2度目のパルムドールや、アンドレア・アーノルドの3度目の審査員賞はともかくとして、国際的に飛躍が期待されたクレベル・メンドンサ・フィーリョやマーロン・アーデ、功労を讃えられるべきポール・ヴァーホーベンが無冠に終わったことへの落胆は言うまでもない。おそらく、ショーン・ペンの新作『The Last Face』が世界中の批評家たちに与えた落胆や怒りにも匹敵することだろう。

本来であれば、今月のこの旧作コラムは2回ともカンヌ国際映画祭に絡めた作品を紹介しようと思って、準備をしていたのだけれど、会期中に日本中の映画ファンが歓喜するビッグニュースが舞い込んできたので、もうそれで頭がいっぱいなのである。そのビッグニュースというのは、ロベール・ブレッソンの『白夜』がついにソフトリリースされるというものである。

ロベール・ブレッソン監督『白夜』Blu-ray



せっかくなのでカンヌ国際映画祭と絡めて書くと、ロベール・ブレッソンは『抵抗』と『ラルジャン』で2回監督賞を受賞し、『ジャンヌ・ダルク裁判』では審査員特別賞を受賞。74年に『湖のランスロ』で国際映画批評家連盟賞を与えられるも、受賞を拒否しているという経歴を持つ。もちろん、カンヌのみならずヴェネツィアやベルリンでの数多くの受賞歴を持ち、言わずもがな世界的に最高の映画作家である。彼のフィルモグラフィーの中で、長年観ることができなかった伝説の1本がこの『白夜』なのである。

78年に初めて日本公開された本作は、世界中のどの国でも一切ソフト化されることなく、2012年に日本でニュープリント版としてリバイバル公開された。配給のエタンチェという会社は、本作を配給するために個人が独立して立ち上げたそうだ。これだけ素晴らしい決断をする映画人がこの国にいるということは世界に誇れることであり、しかも今回ソフト化にまで漕ぎ着けていただいた努力には、ただただ敬意を表明したい。

『スリ』『やさしい女』に続き、ブレッソンがドストエフスキーの翻案に三たび挑んだ本作は、舞台をサンクトペテルブルクからポン=ヌフに置き換え、男女の数日間を描いている。原題の「Quatre Nuits D’un Réveur」(=夢見人の四夜)というタイトルに相応しい、この上なく美しいセーヌの夜景に心酔することができるのだ。徹底的に無駄を省いたブレッソンの演出と、そこはかとなく表現されるエロチシズムの気品、それらが言うまでもなく映画を観ているという至福を余すことなく感じさせてくれるのである。

本作が作られる14年前に、ルキノ・ヴィスコンティがマルチェロ・マストロヤンニを主演に迎えて映画化した『白夜』も日本では観ることができる。

白夜 [DVD]



こちらはイタリアの港町を舞台にして、巨大なセットで作り出した町の美術がとくに優れている作品だ。ブレッソン版とヴィスコンティ版両方に共通しているのは、舞台となる場所がいわゆる「白夜」が存在する場所ではないということである。北極圏の地域で、太陽が沈まず、夜が訪れないというこの現象は、数多くの映画でドラマチックに使われてきた。ところが、いざそれがタイトルに冠されたこの2本の映画は、どちら夜がはっきりと訪れているのである。

映画に向けて翻案するにあたり、単純に二人の男女のボーイミーツガールから別れまでの数日間を辿る物語だけを抽出したわけではなく、どちらにも「白夜」として表現するに相応しい画面が存在している。ヴィスコンティの方では、芳醇な50年代イタリア風のメロドラマらしい、一面に雪が降り積もる印象的な白い夜がクライマックスに訪れている。
一方でブレッソンは、それを現代的かつ人工的な蛍光灯の白色で映し出しているのである。しかもそれが、前半の軽調な会話劇とは対照的に、主人公二人の不安定な心理描写を描き出すクライマックスシーンで登場し、映画全体にコントラストをつける役割を果たしているのだからあまりに見事な技である。

両者の違いはそれ以外にも数多く存在する。何よりも、作品の根幹を為している、主人公二人が出会う一日目の場面が大きく異なっているのだ。ヴィスコンティ版では引きのショットで二人の会話を長く見せていたのに対し、ブレッソンではミドルサイズの画面でサッとまとめ上げる。それゆえ、二人が手を繋ぐまで時間はかからないのである。これこそが、タイトに必要最低限の表現だけで、観客の想像力を擽るブレッソンの演出力なのであろう。

もちろん、同じ原作を用いているからといって、同じ映画になることはまずない。それにしても、この両作は、二人の天才的映画作家のそれぞれの表現の巧みさが、遺憾なく発揮され、どちらも語り尽くすことのできない魅力に溢れているのだ。
ついにブレッソン版の『白夜』を、再び観ることができる嬉しさを噛みしめるとともに、この機会にヴィスコンティ版と見比べてみるのもなかなか楽しいだろう。

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(文:久保田和馬

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