不倫など、世のバッシング・ブームに一石を投じる常盤貴子主演の問題作『だれかの木琴』
(C)2016 『だれかの木琴』製作委員会
ここ最近、芸能文化人の不倫などのスキャンダルが世を賑わせ、同時にそれらに対する痛烈なバッシングがしきりに繰り返されてきています。
しかし、そういったバッシングの言動に触れるたび、どこか現代人の心の荒みを感じないでもありません……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.157》
名匠・東陽一監督による常盤貴子主演映画『だれかの木琴』は、そんな今のバッシング・ブームに対して一石を投じる問題作として屹立しています!
物語だけ読むと不倫ストーカーもの
しかし、その実態は?
『だれかの木琴』は、ひとりの平凡な主婦(常盤貴子)が髪を切ってもらった若手イケメン美容師(池松壮亮)からくる営業メールに幾度も返事を出すようになり、やがては彼の家の住所をつきとめて……と、ストーリーだけを記すとよくあるストーカーもの、不倫ものと捉えられてしまうことでしょう。
しかし、いざ本作に接すると、ヒロインにはおよそ不倫をしているとか、ストーカー行為を働いているといった印象が微塵もありません。
おそらくは彼女にとって、それはひとつのちょっとした冒険に過ぎないのでしょう。
また、イケメン美容師のほうも恋人(佐津川愛美/今年は『ヒメアノール』に続き、作品に恵まれていますね)がいるにも関わらず、ヒロインを無理に拒絶する姿勢を示そうとはしません。それは、どこか彼女の心の空虚さを肌で感じているからでしょう。
ヒロインはさほど歳の離れていない夫(勝村政信)に、いつも敬語を使っています。愛がないようには思えませんが、どこか距離感を感じます。
また、イケメン美容師はどこかマザコン気味で、その恋人はゴスロリ・ショップの店員で一風変わった格好をしています。ただし「みんな違って、みんないい」ではありませんが、人それぞれ個性があり、性癖もあり、それゆえの事件も起きたりするものの、それを単に正義ぶったモラルで語れるほど人は単純ではないことを、この映画はさりげなくも確実に示唆しているのです。
また、ヒロインの不倫を勘ぐって、とうの本人をよそに周囲は妙に慌てふためき始め、それゆえに夫が一夜の浮気をしてしまうくだりに至っては、本末転倒ともいえる人間の理屈では割り切れない情けなさが巧みに醸し出されており、それゆえの彼の妻に対する結論も実に突っ込みどころがあり、笑えるものすらあります。
(C)2016 『だれかの木琴』製作委員会
人の心の闇に鋭いメスを入れるのも
映画ならではの複雑怪奇な面白さ
本作は、ヒロインのちょっとした心の冒険を、撮影や編集のテクニックなどでダーク・ファンタジーのように捉えながら、どこか不安定な人間の深層心理に迫っていきます。
しかし、そこに不倫に対する批判めいたものなどは皆無です。
不倫そのものは、確かに現代のモラルとして許されないことではあるでしょう。
それでも、人が心に思うことは誰にも止められないし、それを裁く権利は誰にもない。
映画というものは、勧善懲悪のすかっとした世界もあれば、人間の心の闇に鋭くメスを入れ、人生そう単純明快に生きられるものではない、複雑怪奇な世の常を訴えることもあります。
『だれかの木琴』はまさしく後者に属した作品で、たとえば「誰々が不倫した。許せない!」などと、すぐ拳を高らかに振り上げがちな現代人に対して、「ちょっと今のあなたの姿、鏡で見てごらんなさいよ」と、そっとささやきかけるような、そんな作品です。
インターネットやSNSが蔓延する現代社会において、ちょっとしたストレス発散の発言も集団虐めに繫がり、かと思うと立場の強い者たちの心ない言動が容認され、ときに支持すらされてしまう。そんな中でひとりひとりが改めて冷静に目の前の事象に対処してほしい……。
そんな願いを込めながら、人生という名のファンタジーを描いた、今年の大収穫の1本。
齢80を越えて、誰よりも若々しくも鋭く社会を見据えながら、一筋縄ではいかない人間の業を肯定も否定もせず、ただ人とはそういうものであると静かに諭す、東監督ならではの傑作です。
一体何を考えているのかわからないほどに、美しくも不穏な常盤貴子の名演にも酔いしれてください。
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(文:増當竜也)
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