映画コラム
コーヒーと映画を愉しむ5つのキーワードを『函館珈琲』から連想してみた
コーヒーと映画を愉しむ5つのキーワードを『函館珈琲』から連想してみた
(C)HAKODATE project 2016
映画『函館珈琲』は、長いスランプから脱却できない小説家が、函館の西洋風アパート翡翠館に引っ越して古本屋を始めようとしますが、そこに住むさまざまなアーティストたちと交流をふかめていくにつれて、心の変化が生じていく……という物語です。
本作は“映画を創る映画祭”として1995年より始まった函館港イルミナシオン映画祭で、その20周年記念映画として、2013年度函館市長賞を受賞した、いとう菜のはのシナリオを基に『ソウルフラワートレイン』(13)の新鋭・西尾孔志監督のメガホンで製作された群像劇ですが、その中に主人公がコーヒーを淹れるのが特技で、幾度も美味しそうなコーヒーを淹れるシーンがでてきます……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.159》
というわけで、思わずコーヒーが印象的な映画をいくつか集めてみました!
(なお、半年ほど前のシネマズ記事の中に、よしかわあやのさんの『「コーヒーがある日常にお勧めしたい3本の映画」―《ここに、映画という拠り所。》その1』も掲載されています。
こちらでは『レナードの朝』(90)『恋する惑星』(94)『バグダッド・カフェ』(87)が紹介されていますので、併せてお楽しみください)
コーヒーという名の付く映画
コーヒーをモチーフにした映画で即思いつくのは、やはりジム・ジャームッシュ監督の『コーヒー&シガレッツ』(03)でしょう。
第2話 “カリフォルニアのどこかで” がカンヌ国際映画祭短編映画部門パルムドールを受賞したこの作品、カフェの中で繰り広げられるさまざまな日常のドラマをオムニバス形式で描いていきます。ビル・マーレイ、スティーヴ・ブシェミ、ロベルト・ベニーニなど異色の名優総出演もお楽しみです。
かつての映画では、コーヒーと煙草はセットのように扱われていましたが、煙草の害が露になって久しい現在では、この組み合わせは少なくなってきている感もありますね。
(ちなみにコーヒーには、煙草のニコチンの毒素を弱める働きもあるそうですが…?)
このように、邦題に「コーヒー」と入った映画は数多く、ぐうたらな若者が朝、彼女の家でコーヒーを飲みそこなったことを機に、ついてない1日を送ることになる『コーヒーをめぐる冒険』(13)は、ドイツ・アカデミー賞で作品賞など6部門を受賞。
台湾映画界の名匠・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督が浅野忠信&一青窯を主演に迎え、小津安二郎監督の生誕100年を記念して『東京物語』(53)にオマージュを捧げた『珈琲時光』(03)。
1杯330円のコーヒーのうち、コーヒー農家の取り分が10円にも満たないという真実を明かしたドキュメンタリー映画『おいしいコーヒーの真実』(06)。
豆の選定から焙煎、ドリップ法などなど、コーヒーに人生をかける世界中のプロの生きざまをつづったドキュメンタリー映画『A FILM ABOUT COFFEE』(14)には、東京・表参道の今はなき名店「大坊珈琲店」も登場します。
フランス映画『カフェ・オ・レ』(92)という、マシュー・カソビッツ監督のラブ・コメディもありましたね(原題は“Metisse”=混血)。
世界一のコーヒー“コピ・ルアク”
フィンランドのヘルシンキで食堂を経営する日本人女性とその仲間を描いた荻上直子監督の『かもめ食堂』(05)の中で、コーヒーを美味しくするために「コピ・ルアク」とおまじないを唱えるシーンが出てきます。
この「コピ・ルアク」、ジャコウネコが食べて消化できなかったコーヒー豆を、その糞から取り出して洗浄、焙煎していただくもので、世界最高級のコーヒーとも、幻のコーヒーとも謳われています(別名「アラミド・コーヒー」)。
動物は完熟した豆しか食べないそうで、ジャコウネコなどは特有の香りを分泌する動物で、体内で豆にその香りが移るとともに、腸内で醗酵される際、豆の味が変わるのだとか。またコーヒー豆として実際に使われる部分は種子の殻に覆われているので、糞に直接接触していないから決して汚くないとのこと!?
ロブ・ライナー監督作品『最高の人生の見つけ方』(07)では、ジャック・ニコルソン分する大富豪が、このコピ・ルアクをいただくシーンが出てきますが、これが後に重要なドラマの鍵にもなっていきます。
『かもめ食堂』の面々も、やがてコピ・ルアクをいただく機会に恵まれますが、いずれにしても、この幻のコーヒー、なかなか飲む機会はなさそうですね。
西部劇とコーヒー
西部劇を見ていますと、カウボーイが荒野で野宿しているときなど、たき火に細長いポット(パーコレーター)を直接置いて沸かしたコーヒーをいただくシーンをよく見ます。
アメリカの西部開拓史時代は、煎ったコーヒー豆を布でくるんで石で砕き、それを直接パーコレーターに入れて、煮出したら豆を濾さずにブリキのマグカップに注いで上澄みだけを飲むという、トルコ・コーヒーに似た飲み方が主流だったそうです。
(今でも、コーヒー豆生産国ではこの飲み方のほうが一般的なのだとか)
この西部劇式コーヒー、ペーパードリップ式などに比べると雑味は多く、また煮つまって濃くなることもしばしば。ただし、長く火にかけると酸化が進んで風味が台無しになるということで、アメリカ人は深煎りではなく浅煎りの豆を好んで使い、そのせいもあって意外にあっさりした味になるとのこと。
(このあっさり感を勘違いして、日本では水で薄めたコーヒーをアメリカンと呼んだりしますが、アメリカ本国にはそんな淹れ方は基本的にありません)
私個人が西部劇で好きなコーヒーのシーンは、ジョン・フォード監督『駅馬車』(39)の中でトーマス・ミッチェル扮する酔いどれ医師が、急に産気づいた貴婦人の赤ちゃんを出産させるため、酔い覚ましにコーヒーを何杯もがぶ飲みするシーンです。そこにはひとりの駄目人間がプロフェッショナルに転じる感動的瞬間が宿されていたと、今もそう思っています。
ニコラス・レイ監督『大砂塵』(54)には、スターリング・ヘイドン扮するジョニー・ギターが「この世で男が本当に必要とするものは、煙草とコーヒーだけだ」といった名セリフがありますが、本作の主題歌《ジャニー・ギター》を歌ったペギー・リーには、《ブラックコーヒー》なる名曲も存在します。
劇中ではいつもコーヒーかウイスキーを飲んでいる印象がある西部劇の王者ジョン・ウェインがアカデミー賞主演男優賞を受賞した『勇気ある追跡』(69)では、彼が扮する隻眼の保安官ルースター・コグバーンがヒロイン少女にコーヒーを勧めるも「バターミルクしか飲まない」と拒絶されて、「そんなものはないぞ! レモネードもな」と言い返すシーンがありました。
『帰らざる河』(54)では、主人公のロバート・ミッチャムがようやく探し当てた9歳の息子と野良仕事をした後に「一緒にコーヒーでも飲もう」と言って、父と子の語らいをします(危険な筏の川下りを終えて町に着いたときも、この親子はコーヒーを飲みます)。小学校高学年の頃に初めてこの映画をテレビで見たとき、どことなくこういった父親との交流に憧れたものでした。
(ちなみにコーヒーのカフェインは子どもの成長にあまり良くないので、できれば12、13歳くらいから飲ませるのがベターだそうです)
オードリー・ヘプバーンのコーヒーブレイク
今、日本でもコーヒーらしき紙コップを片手に街を歩く女性の姿をよく見かけますが、『ティファニーで朝食を』(61)では冒頭、オードリー・ヘプバーン扮するヒロインがティファニーのウインドウの前で紙コップのコーヒーを飲む『ティファニーで朝食を』タイトルバックは、その先駆けともいえるオシャレなシーンでした。
『ティファニーで朝食を』にはもうひとつ、ヒロインがほんの少し粉が残っているインスタントコーヒーのガラス瓶に水道の水を注ぎ込み、そのまま飲んでしまうという、ちょっとはしたないシーンもありますが、これによって一見愛らしいけど、どこかだらしないヒロインの生活ぶりまで露になるというユニークな演出がなされています。
同じくヘプバーン主演のサスペンス映画『シャレード』(63)は冒頭、雪山のオープンカフェでコーヒーを飲んでいるヒロインに銃口が向けられるシーンから始まりますが、実はその銃、子どもの持つ水鉄砲だったというオチがつきます。
彼女の出世作『ローマの休日』(53)では、ヘプバーンの相手役グレゴリー・ペックがオープンカフェで“COLD COFFEE”を注文します。
このシーン、字幕では“アイスコーヒー”と翻訳されていますが、実際はホットコーヒーをそのまま冷ましたもので、氷も入っていません。もともと欧米ではコーヒーに氷を入れて冷やして飲むという概念はなく(最近は砕いた氷にコーヒーとミルクを入れたアイス・ラテなどが飲まれるようになってきています)、アイスコーヒーは日本で発明された飲み物なのだとか。ただし、イタリアには昔からコーヒーを冷まして飲む“COLD COFFEE”の習慣があり、このようなシーンが設けられたのです。
ビリー・ワイルダー監督の『麗しのサブリナ』(54)でも、ヘプバーンとハンフリー・ボガート扮するブルジョアの長男がデートでコーヒーを飲むシーンがありますが、それ以上に興味深かったのは、カタブツな彼が「コーヒーは45分後に」「10分後に」など、逐一予定を決めながら行動しているところでした。
このように、ひとりの女優の出た作品のコーヒー・シーンに注目するだけでも、映画は興味深く見られるものなのですね。
日本映画とコーヒー
一般的に「和」のイメージが強い小津安二郎監督作品ですが、『晩春』(49)にはヒロイン紀子が銀座の喫茶店BALBOAでコーヒーを、自宅や友人の部屋で紅茶をいただくといった麗しいシーンが出てきます。
敗戦間もない日本の庶民にとって、ああいった飲食風景など、実際は夢のまた夢であったはずで、当時はリアリティがないと批判する声もあったようですが、小津監督の真の意図は、もうこれからは誰も戦争で死ぬことなく、洋風のものでも何でも自由に、堂々と食べられるほど平和になったことを訴えたかったのだと思います。
以後、小津映画には和食だけでなく、コーヒーや紅茶、ケーキといった洋風の食事や喫茶シーンが多く見られるようになっていきますが、その中で『麦秋』(51)は女子会のシーンその他で、妙にコーヒーや紅茶のお皿を手で持ち浮かべたショットが妙に目につきます。
これは当時アメリカでFLYING SAUCER(今でいうUFO)の目撃がしきりに報じられ、日本ではそれを「飛ぶゆくコーヒー皿」と訳していたことから、戦前の無声映画時代にナンセンス喜劇を多く撮っていた小津監督ならではの、茶目っ気たっぷりのお遊びであると捉える向きもあります。
(余談ですが、『麦秋』には宇宙人らしき模様が襖にしみついた部屋が出てきます。部屋の電灯も、ことごとくUFO型なのが楽しいですね)
対する黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』(47)では、貧しい恋人たちが喫茶店に入り、なけなしのお金で当時5円(×100で、今の物価におおかた換算できるでしょう)のコーヒーとお菓子をふたつずつ注文するも、そこにミルクが勝手に添えられていたことから5円×2を加えて請求され、お金が足りず、やむなくコートを質草として店に渡すシーンがあります。
小津映画が当時の理想像を描いていたとすれば、こちらは厳しい現実を描いていたと捉えることも可能でしょう。
この後、ふたりは焼け跡の風景をバックに、「当店のコーヒーは美味しくて、安く、ミルクを入れても同じ値段です」と、喫茶店ごっこを始めます。実は、このカップルの夢は喫茶店を経営することなのですが(ちなみに、ここでは喫茶店のことを「ベーカリー」と呼んでいます。今の若い世代にはパン屋をやりたがっているのだと勘違いされてしまうかもしれませんね)、黒澤監督は平和と復興の象徴としてコーヒーを選んだのでしょう。
ところで時を経て平成の今、北海道・洞爺湖のほとりに小さなパンカフェを営む夫婦の物語で、原田知世扮する妻がネルドリップ方式コーヒーにこだわる『しあわせのパン』(11)。
千葉県明鐘岬の喫茶店をモデルに、天然水を使って淹れたこだわりのコーヒーに、「美味しくな~れ」と喫茶店のオーナーに扮した吉永小百合がおまじないを唱える『ふしぎな岬の物語』(14)。
永作博美扮するヒロインが故郷に帰り、自家焙煎にこだわる喫茶店を経営する『さいはてにて』(15)は、奥能登のさいはての海辺が舞台。
そして今回の『函館珈琲』と、地方を舞台にした喫茶映画が、最近ちょっとしたブームになっているのでしょうか?
……というわけで、駆け足で作品を紹介してきましたが、コーヒーが印象的な映画はまだまだ山のようにあります。ぜひみなさんもお勧めのコーヒー映画を教えてください。
ちなみに私のベスト1コーヒー映画は、ジャック・スマイト監督、ポール・ニューマン主演の『動く標的』(66)です。理由はもう言わずもがなの、知る人ぞ知る名シーン。そちらもぜひご覧ください。
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(文:増當竜也)
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