映画コラム

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2016年11月11日

『紅の豚』ポルコはなぜ豚になったのか?その疑問を解き明かす5つの事実

『紅の豚』ポルコはなぜ豚になったのか?その疑問を解き明かす5つの事実



2.政治や欲にまみれた人間になりたくなかったため?



劇中では、世界恐慌の波がヨーロッパに押し寄せつつあったこと、人々の生活が厳しくなりつつあったことが示唆されています。

・飛行艇製造会社のピッコロは「近頃はな、札束が紙クズ並の値打ちしかないんだよ」と言っている。

・ポルコの飛行機を修理しにやってきたのは、みんな女性だった。それは男がみんな出稼ぎに出てしまったからだった。

・立ち寄った街ではガソリンが3倍の値段になっており、それに不満を漏らすフィオにポルコは「ぼっているんじゃねえ、持ちつ持たれつなんだよ、海も陸も見かけはいいがな、この辺りはスッカラカンなのさ」と答えている。

この時代背景のため、飛行艇乗りが単なる冒険家のままではいられず、戦争や国家のために働かなければならなくなってきていること、それをポルコが嫌っていることも、はっきりと劇中で表れてきます。



・銀行で「飛行艇のローンは終わりました。いかがでしょう愛国債権などをお求めになって民族に貢献されては?」と問われたポルコは「そういうことはな、人間同士でやんな」と答える。

・フェラーリン少佐は、映画館でポルコに「なあマルコ、空軍に戻れよ、今なら俺たちの力で何とかする」、「冒険飛行家の時代は終わったんだ、国家とか民族とかくだらないスポンサーを背負って飛ぶしかないんだよ」と助言しているが、ポルコは「ファシストになるより豚の方がマシさ」、「俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえよ」と答えている。

・王党派が空賊連合と手を組もうとしているため、ポルコのような賞金稼ぎが食っていけなくなるという噂が広まっている。

・老人に「あんたもどこかに売り込んだらいい、カーチスなんかじきにアメリカに帰っちまうさ」と問われたとき、ポルコは「“さらばアドリア海の自由と—” “放埓の日々よ”ってわけだ」と答えている。


ポルコは、国家の中で生きる人間のように政治や欲にまみれて生きることをよしとはせず、自由に生きることを望んでいたのでしょう。その想いが、人間ではない、豚という存在に姿を変えるという方法で表れていたのかもしれません。

また、豚は一般的に“家畜”という人間の奴隷のような見方をされがちです。ポルコはその世俗的なイメージにあらがうかのように、あえて逆説的に豚になることを選び、自由になることを目指したのかもしれません。

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