『紅の豚』ポルコはなぜ豚になったのか?その疑問を解き明かす5つの事実
5.豚は宮崎駿監督の“純粋な飛行機への憧れ”だった?
作中の出来事とは関係のない、メタフィクショナルなところに踏み込んでしまいますが、ポルコは宮崎駿監督自身の投影であると考えることができます。その根拠は以下の2つです。
(1)宮崎駿のイラストの自画像はまさに“豚”になっている
(2)宮崎駿は戦争で作られる兵器や飛行機への憧れがあるのにも関わらず、戦争を否定するという矛盾を抱えている
(2)の宮崎駿の想いは『風立ちぬ』にて、飛行機の設計家を主人公としたことにも表れています。その劇中では、戦争の道具として使われてしまう飛行機に対する、主人公の複雑な感情が見て取れました。また、『風立ちぬ』の主人公は豚などではなく、リアルな人間そのものとして描かれていました。
『風立ちぬ』に比べると、『紅の豚』の大筋の物語は軽快で楽しく、夢のある物語のように思えます。その『紅の豚』の印象を言い換えると“純粋”です。ただし『風立ちぬ』のように“人間”になると、その純粋さが失われてしまう、戦争の醜さや世俗にまみれた存在になってしまう……人間と豚というそれぞれの姿で描かれた『風立ちぬ』と『紅の豚』には、そのような表裏一体の、同じようなテーマを感じるのです。
豚が“宮崎駿の純粋な飛行機への憧れ”の象徴であるという根拠もあります。それはエンドロールで映し出される“飛行機の黎明期”を描いたイラストで登場しているのが、みんな豚であったことです。
宮崎駿自身も、このイラストについて「どんなものでも黎明期はキラキラしているけど、それは現実に資本や国家の論理に組み込まれてしまう」と、純粋に愛するべきものも、やがては人間らしい利害関係に組み込まれてしまうことを語っていました。つまり、豚とは、宮崎駿が純粋に大好きな飛行機のことを思い続けられることそのものを示しているとも考えられるのです。
さらに、宮崎駿は『紅の豚』について「“現在形の手紙”を自分に送った作品」とも答えています。
宮崎駿は『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』を“ああいうふうにしたかったけど、できなかった、幼年時代や高校時代などの、いままでの全世代に向けての手紙”と考えており、「こうなるともう中年になった今の自分に向けての手紙を書くしかない」、ということで誕生したのが『紅の豚』だったのだそうです。
つまりは、豚のポルコは“中年”の宮崎駿の、理想の姿とも考えることもできますね。
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