『聖の青春』はラブストーリーだった!?東出昌大がヒロインである理由を考える
(C)2016「聖の青春」製作委員会
現在、実在の将棋棋士・村山聖を描いた映画『聖の青春』が公開中です。
その舞台挨拶では東出昌大さんが、自ら演じる役を「(松山ケンイチ演じる主人公から見ての)ヒロイン・羽生善治役です」と語ったことでも話題になりました。
本編を観てみると、「これは確かに東出さんがヒロインだし、ラブストーリーとも言えるよ!」と思わざるを得ない内容になっていました。以下より、作品の魅力と、東出昌大さんをヒロインと呼ぶべき理由を書いていきます。
1.主人公の村山聖はイヤなやつ?
主人公は29歳でこの世を去った天才棋士。さぞその人物が、周りから慕われる、尊い存在として描かれるかと思いきや……はっきり言えば、映画で描かれた村山聖は“イヤなやつ”と捉えられても仕方がありません。
例えば、劇中で村山は呑んだくれて、よくつるんでいる棋士仲間と、羽生善治との勝負の重要性とを比較して、「羽生さんには20勝分の価値があるんですよ。あなたに勝ったって、ただの1勝です」と言っており、はっきりと人を見下しているのです。いかに酔っているからといって、あんまりな発言でしょう。
他にも、漫画を読みふけったために堂々と遅刻をしたり、髪や爪をいつまでも切らなかったり、部屋がいわゆる“汚部屋”になったりと、社会性が欠如しているところも見られます。将棋の世界では並々ならぬ集中力を持っていても、それ以外ではダメダメなのです。
しかし、こうした悪い面を描いたからでこそ、村山聖というキャラクターがいかにストイックであるか、なおかつ将棋がいかに彼の生活と人生の中心であるかが伝わるようになっています。
弟弟子に言った「そんなことよりも、今ぼくたちが考えなきゃいけないのは、目の前の一手です」という言葉は、彼の生き様そのもののようです。将棋で負けないこと、名人になること、ただそれだけを追い求め、一手一手を考える男の姿は、それだけで胸を打つでしょう。
また、彼の他人への厳しさは“自分が病気で、余命わずか”であるからこそ起こる、“他人を羨んでしまう弱さ”から起因することにも思えてきます。決して村山は共感できない人物ではない、それどころか“人間くさくて憎めない”ところにも、注目してほしいです。
なお、原作となるノンフィクション本では、文句を言いながらも後輩をかわいがっていたり、身を投げ打ってでも弱い者を助けてやりたいと語っているなど、村山のやさしさも十分に書かれています。原作では、映画で描かれた最期の4年間だけでなく、幼少期からの村山の濃密な人生を知ることができるので、ぜひこちらも読んでみてください。
(C)2016「聖の青春」製作委員会
2.村山聖が少女漫画『イタズラなKiss』を読んでいる意味とは?
村山聖は麻雀や読書などの多くの趣味を持っており、中でも少女漫画を愛読していたことは有名だったようです。原作本では村山は萩尾望都、河あきら、大島弓子などの作家を好んでいることがわかりましたが、映画版で好んで読んでいた漫画は『イタズラなKiss』 になっていました。
『イタズラなKiss』は1990年代に連載された作品で、その内容を端的に言うのであれば“天然系女子高生の家が倒壊しちゃったから、頭脳明晰だけど性格が最低なイケメンとの同居生活が始まっちゃった!どうしよう?”というもの。今の少女漫画界にも脈々と受け継がれる、清々しい設定(褒めています)が楽しい作品でした。
そして……この映画での村山の行動は、なんとなく『イタズラなKiss』の“性格が最低なイケメン”と重なります。例えば、成績が悪いやつを見下す発言をしたり、プライドが高かったり、ちょっとツンデレっぽいやさしさ(笑)をにじませたり……村山の性格は、少女漫画によくあるイケメンの典型ではないですか!
さて、そんなイケメン(※イメージ)村山のお相手は、当然あの羽生善治なわけです。村山にとって羽生はただ倒す相手というわけはなく、どれだけ尊敬しても足りない存在……そんな羽生に話しかけたいけど、口下手なのでなかなかアプローチできない、時には後をこっそりと追いかけたりもする……そんな村山の気持ちは果たして通じるのでしょうか?という展開になってくるのです。
なんだか男女のアプローチの方向が逆転してしまっているようですが、そんなふうにイケメン(村山聖)と天然系ヒロイン(羽生善治)の、少女漫画的なラブストーリーに見えて来なくもないのです(※感じ方には個人差があります)。
また、映画で『イタズラなKiss』を登場させたのは、もう1つ大きな意義を感じました。それは、作者の多田かおるさんが1999年に38歳で亡くなっていることです。
村山聖が永眠したのは、その1年前の1998年のこと。劇中では、村山は『イタズラなKiss』が未完になることを知らずに亡くなったことになるんですね。若くして亡くなった方の作品が、同じく夭逝した人物を描いた映画の劇中に登場させる……ここに製作者の強い想いを感じました。
さらに、『イタズラなKiss』の初の映画化作品となる『イタズラなKiss THE MOVIE ハイスクール編』が11月25日(金)からと、まもなくの公開だったりします。このタイミングでの公開は偶然ではないかもしれませんね。
(C)2016「聖の青春」製作委員会
3.大好きな人の気持ちを知りたい!
終盤にある村山聖と羽生善治の会話は、作中屈指の名シーンでしょう。ネタバレになるので詳細は書きませんが、なんとか羽生と自分との共通点を探そうとする村山が、(今まで散々嫌なところを見せたのに)愛おしくて仕方がなくなってくるのです。
東出昌大が自身を“ヒロイン”と呼んだのは、このシーンのためでもあるのでしょう。前述したように村山は大好きな羽生のためにアプローチをしようとがんばっていたうえ、ここでは本気で羽生の気持ちを探ろうとするのですから。それは、好きな女の子の真意を探る会話とそうは変わらない気がします(笑)。
ここまで来ると、恋愛感情とまで言わなくとも、やはり村山から羽生という人間への“愛”を感じざるを得なくなります。
その他にも、村山は様々な人物から愛されており、また彼自身も不器用ながら人を理解しようと努力をしています。村山は古本屋で働く女性にも何とかコミュニケーションを取ろうとしたり、はたまた自分の病気のために“結婚はできない”という諦めの気持ちも口にしたりします。
村山の、父と母に対する気持ちもまた、愛そのものでしょう。
不器用な男が、残り少ない時間を懸命に生きて、“愛”を見つけ出そうとする……だから、この映画はラブストーリーなんです。
(C)2016「聖の青春」製作委員会
おまけ.“音”と“対比の画”に注目!
本作は、言葉での説明がごくわずかで、映像だけでその状況を語るシーンが多くなっています。
そのため、原作本を読まないとわかりにくいところもあるのですが、映画には映画にしかない、それでいて“作り手が訴えたいことが演出だけでわかる”シーンもふんだんにあるので、そこにも注目してほしいです。
例えば、劇中の見せ場の1つである対局シーンでは、プロデューサーの滝田和人さんのこだわりにより、駒を盤面に叩きつける“パチッ”という音に“表情”が細かくつけられていたのだそうです。
序盤でトラックの運転手が聞く、たくさんの“駒の音”は、“とんでもない場所にいる”という実感を強めてくれるでしょう。
ある画が、後々に“対比”として生きてくるシーンも見事です。
例えば、序盤の対局中には“いきつけの食堂”や“激安スーパー玉出”などの、村山が慣れ親しんだ大阪の光景が差し込まれているのですが……これが最期の対局で映し出されることとは、まったく異なっているのです。それは、村山が“今もっとも大切に思っていること”なのかもしれません。
“対比”のわかりやすい例が、中盤の対局の休憩中に、村山と羽生が“見ていたもの”の違いでしょう。この2人の性格を、画だけで見せてしまう……映画ならではの醍醐味が、ここにはありました。
その他にも、これぞ日本が誇る映画作品だ!と思える魅力が満載です。役者の演技も圧巻で、20キロの増量をした松山ケンイチ、一挙一動が羽生善治にしか見えない東出昌大はもちろん、染谷将太、安田顕、柄本時生、リリー・フランキーなどの豪華俳優陣も格別の存在感を見せてくれました。
村山聖という人物を知らなくても、それこそ将棋に詳しくなくても、この『聖の青春』をおすすめします。懸命に生きた男のドラマは、多くの人に響くでしょうから。松山ケンイチと東出昌大のラブラブっぷりを期待しても裏切られませんよ!
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(文:ヒナタカ)
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