映画コラム

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2017年06月18日

『昼顔』は今年一番過小評価されている傑作!全国民が見るべき理由とは?

『昼顔』は今年一番過小評価されている傑作!全国民が見るべき理由とは?

昼顔


(C)2017 フジテレビジョン 東宝



2014年にフジテレビ系で放送され、全国に社会現象を巻き起こした人気ドラマ「昼顔」。

本作はこのテレビシリーズの続編にして、ファン待望の完結編!公開前からファンの間では、どんな結末が着くのかが話題となっていた本作を、今回は公開初日に鑑賞して来た。

実は自分、テレビドラマ版を見た事が無い「昼顔」弱者。しかも男一人での鑑賞(ちなみに劇場内で男一人での鑑賞は自分だけだった!)ということで、かなりのアウェイ感を感じながらの鑑賞となった本作。果たして、その出来と内容はどうだったのか?

予告編


ストーリー


お互いに結婚していながら、惹かれあい愛し合うようになった笹本紗和と北野裕一郎。その一線を越えた関係はいつしか明るみになり、ついに二人は別れざるを得なくなってしまった。そして、紗和は夫とも別れ一人になった。

あれから3年—

紗和は海辺の町で慎ましく暮らしていた。オーナーの杉崎尚人が営むレストランでの見習いと狭いアパートの往復が日課で、北野の夢を見る事さえ既に無くなっていた。海岸沿いの小さな町には、彼女の過去を知る者は誰もいない。

一方、大学の非常勤講師となっていた北野は蛍に関する講演を、ある街で行う事に。

講演中、客席に目を向けたとき、彼は言葉を失ってしまう。そこには、紗和の姿があった。

「神様は、私を試していたのでしょうか」

運命のいたずらか、再びめぐり会う二人。あの時に交わした愛を忘れられず、どちらからともなく逢瀬を重ねていく。清流ながれる蛍の住処が“約束の場所”。

そんな中、二人の前に現れたのは、北野の妻・乃里子だった……。(公式サイトより)


実は主人公たちの周りの社会が、不倫を理解・受け入れるまでを描く作品だった!


結論から言おう、実に素晴らしい作品だった!

冒頭の海岸と海辺の町の風景が、まるで外国の様に感じられたことで、これから展開する物語にどこか現実離れした印象を与えてくれたからだろうか?

ドラマを見ていない「昼顔」弱者の自分が見ても、これ程作品世界に入り込んで楽しめたのは、実に意外だった。

全編ドロドロの不倫劇の連続、ジェットコースターの様に次々起こる事件やトラブル!鑑賞前のそうした予想は全く外れ、そこに展開するのはあくまでも静かにゆっくりと展開する、繊細な大人の恋愛ドラマ。それでいて、全く退屈することが無いのは見事!

退屈しない理由、それは全編に渡ってまるで「生き物」の様に動き回る、そのカメラワークにある。静かに進行する恋愛ドラマにも関わらず、とにかくカメラが精力的に動く動く!滑らかに動き回るそのカメラワークは、下手なアクション映画を越えると言って良い程だ。

本作で描かれるのは、実は主人公達と周囲の社会との、お互いの関係性の構築に伴う衝突や偏見、そして相互理解に至るまでの厳しい道のりだ。

上戸彩扮する紗和が働くことになるレストランの人々と、新しく住むことになった街の人々との関係性の構築には、学校のいじめにも似た厳しい差別と偏見が待ち受けている。一度はそれに負け、二人の生活があればそれでいい、そう考えて街を去ろうとする紗和が、初めて心からの気持ちを人々に話した時、遂に周囲の人々や地域のコミュニティとの和解・相互理解がスタートする。

過去に不倫に走るまでは行かなかったが、気持ち的に夫を裏切ったのでは?との想いを胸に生きてきた女性、過去に妻の浮気で全てを捨てざるを得なかった者、不倫という言葉のイメージから興味本位に詮索する者などなど。

彼らが紗和と裕一郎の心情と境遇を理解し、許し受け入れるまでを描いた作品として見ると、実はあのラストの展開がより深い意味を持つことになることに気が付いた。

不倫の果てに彼女が失った代償は、確かに余りに大きい。

しかし、同時に彼女が得た物も非常に大きかった。それは愛する存在と安住の地。きっと理解し合えたあの人たちと共に、この街で彼女は生きて行くのだろう。そう考えることが出来るではないか。

本作のラストの展開だけを見て、「やっぱり不倫をすると罰を受ける」という、教訓めいた内容だと感じた観客が多かったようだが、良く見て頂ければその真逆の意味に、きっと気が付かれるはずだ。

昼顔 サブ1


(C)2017 フジテレビジョン 東宝



実は一つだけ、男の自分が理解出来なかったことがあった


それは、離婚後も裕一郎を下の名前で呼んでいい?と、乃里子に聞かれた紗和が、「それだけは嫌です」と、その申し出をきっぱりと拒否する描写。

正直ここは見ていて、「えっ、それくらい許してあげればいいのに・・・」と、男の自分には相当意外で理解出来ない部分だった。いくらなんでも失礼過ぎないか?と、思わず乃里子の方に感情移入してしまったこのシーン。

しかし、実はこの部分がラストへの重要な伏線となっていたことで、鑑賞後に成る程と納得した次第だが、果たして女性には、紗和のこの気持ちや行動って理解・共感出来るのだろうか?是非とも一度、色々な方に意見を聞いてみたいものだ。

昼顔 サブ11


(C)2017 フジテレビジョン 東宝



最後に


多くのドラマファンが劇場に駆けつけているにも関わらず、本作が不当に過小評価されている理由とは何だろう?

本作への低評価コメント、実はその多くには、ドラマ版と感じが違うとか、ラストの展開がちょっと?とか、その様な理由が非常に目立つ。

このことから判断して、本作への低評価の理由とは、観客それぞれが持っていた自分の理想の「昼顔の続編」で無かったという、その現実の映画と理想とのギャップにこそあるのではないか?

実際、ネットのレビューや評価コメントを見ても、ドラマ版を見ていない人の方が高い評価を付ける傾向にあった。

自分がこれだけ本作を高く評価するのも、実はドラマ版を一切見ずに映画版を見たからだし、実は鑑賞した翌日の深夜に、テレビ放送されていたドラマ版のダイジェストを見たのだが、逆に「うわっ、この感じで映画版が作られてたらキツいな!」と思ってしまった程。

そこで、これから劇場で鑑賞しようとお考えの方に提案なのだが、ここは一つ映画とドラマは別物として、ドラマでは出来なかった表現や描き方のための、今回の映画化だと考えてみては?

例えば、ネット上でも賛否両論となった、映画版ラストの線路上での上戸彩の演技。実際、テレビであんなにゆっくり時間をかけてやってたら、即座にチャンネルを変えられてしまうだろう。でも、映画館の大スクリーンなら、彼女の演技をじっくりと楽しむ余裕が観客にはあるのだ。
退屈=チャンネル変更、これを非常に嫌うテレビドラマの制約とは違い、映画館ではどんなにゆったりと時間をかけて描こうが、ドラマチックな事件や出来事が次々に起こらなくても、観客はその場を動かずに見続けてくれる。

しかも本作では前述した通り、抜群のカメラワークと俳優陣の優れた演技が、静かな恋愛ドラマにも関わらず観客の興味と興奮を持続させてくれるのだ。

テレビドラマの様に、ジェットコースター的に次々と事件が起こる展開を捨て、あくまでも映画として二人の関係をじっくり時間をかけて描く。今回の映画版はドラマの人気や話題性に安易に頼ることなく、正にその方向性で真摯に製作された作品!だからこそ、高く評価したいと思うのだ。

ドラマの正式な続編ではあるが、主人公達の結末をテレビでは出来ないアプローチで描くための作品として、あくまでも映画単体として評価すべき作品。それがこの映画版「昼顔」だ。

ドラマ未見の観客にも受け入れ易い様に敷居を低くし、なおかつテレビドラマでは出来ないことを試みた本作。どうか迷うこと無く、安心して劇場に足を運んで頂ければと思う。

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(文:滝口アキラ)

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