『心が叫びたがってるんだ。』(アニメ版)、ヒロインのキャラクターを考察する



(C)KOKOSAKE PROJECT


現在、実写版が劇場公開されている『心が叫びたがってるんだ。』、その原作となるアニメ版が本日7月29日に地上波で放送されます。

本作は“心の傷”を描いたドラマとして絶賛の声があがった一方で、否定的な意見もよく耳にします。そのネガティブな声の中でもひときわ目立つのが、「ヒロインが好きになれない」ということでした。なぜそう思ってしまう方がいる内容になっているのか、なぜヒロインがそのようなキャラクターになっているのか、以下にまとめています。

※以下からはアニメ版および実写版『心が叫びたがってるんだ。』の終盤の大きめのネタバレに触れています。まだ観ていない方は鑑賞後にお読みください。

1:成瀬があの行動をしたのは、“自分を罰して欲しいから”だった


ヒロインの成瀬は、クライマックスでミュージカルの本番を放棄し、廃墟と化したラブホテルに逃げこんでしまいました。前日の夜に坂上からの本意を聞いた(失恋をした)からと言って、皆で作り上げたミュージカルの主役をバックレてしまうとは、なんて勝手なんだと思った方は多いでしょう。

その成瀬の真意は、劇中のミュージカル「青春の向こう脛」の以下の内容を顧みると、はっきりとしています。

(1)舞踏会が行われているお城は、実際はお城ではなく処刑場だった
(2)少女はほうぼうに悪口を言いまくったが、それでも罪に問われることはなかった。

「青春の向こう脛」は、成瀬が言葉を失った(しゃべると腹痛がするようになった)辛い経験を映し出している物語です。お城は成瀬の父の浮気現場だったラブホテルのこと、少女は成瀬自身を指していると言って良いでしょう。その成瀬がラブホテル=お城=処刑場に行くということは……すなわち「自分を罰して欲しい」という気持ちの表れなのではないのでしょうか。

つまり、成瀬がミュージカルの本番を放棄してラブホテルに向かったのは、あえてひどい行動をして、坂上やクラスメイトに“嫌われるという罰”を受けるため、とも考えられるのです。



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2:作り手も成瀬の行動が“受けいれられない”ことがわかっていた


クラスメイトの中には、ミュージカルの本番を放棄した成瀬の行動に「最低じゃない?」と正直な気持ちを吐露する者もいました。これは観客の気持ちを代弁するセリフであり、作り手たちもこの成瀬の行動が受け入れられないことを承知していることが伺えます。

このクライマックスは、“観客にあえて嫌悪感を抱かせる”という意図もあるのでしょう。通常の作劇であれば、ヒロインや主人公はみんなに好かれるように、共感できるようにと気を使うものですが、本作であえてヒロインに(客観的に見れば)「最低」と思われてしまう行動をさせているのですから。

そこで否定的な意見が出てしまうのは致し方がないですが、個人的にはこのヒロインが逃げ出すという展開は挑戦的であり、後述する彼女の“救い”を描くために必要だったのだと、肯定したいのです。



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3:成瀬は自分が“罰”を受けたとは思っていなかった


これまで、成瀬は十分に苦しんでいました。父の浮気をしゃべったことにより言葉を失い、母親からは家に来た者に挨拶をさせないように強要され、友人と呼べる者もいなさそうで……(成瀬は仁藤に「友だちなんて大それたことを!」とメールしたこともありました)。

そうであるのに、成瀬は「青春の向こう脛」で「悪口を言っても罪に問われることはなかった」と書かれていた通り、その苦しみを“罰”とは感じていなかったのでしょう。喋れなくなったことを「玉子の呪い」と言っていたのも、“罰”という言葉を避けたがための言い訳にも思えてきます。

個人的には、成瀬はもう十分に罰を受けていたと思います。発端となる浮気の暴露だって、子どものころの悪意のないおしゃべりだったにすぎません。それにより彼女は10余年も苦しんでいたのですから、罪に対してむしろ重すぎる罰だったと言ってもいいでしょう。


4:“大したことじゃない”ことを教えてくれる優しい物語だった


そんな成瀬は……迎えに来てくれた坂上にひどい罵詈雑言を浴びせまくります。自分の声で、自分の正直な気持ちで。坂上はその言葉の1つ1つをしっかりと受け止めました。ミュージカルの本番に戻ってきた成瀬は同級生に“罪”を責められることもなく、それどころか成瀬を抱きしめてくれる生徒もいました。

これは、言葉で誰かを傷つけていた自分の罪が重いと、言葉で人を傷つけたら絶対に“取り戻せない”と思っていた成瀬にとって、どれほどの救いになったでしょうか。

また、生徒の1人は「私は成瀬が(公演中に)戻ってこなくても、どっちでもいいよ。あの子にとって最悪なのはミュージカルが失敗することじゃん?それがあの子がいちばん後悔することじゃない」とも言っていました。成瀬が本番を放棄したのは、この言葉通りミュージカルが失敗に終わるという“最悪の事態”を考えた(それほどの罰を受けたいと思っていた)ことも理由なのでしょうが……成瀬の今までのがんばりを知っていた人は、彼女にその罰を与えることをさせようとはしなかったのです。

ある意味では、成瀬は勝手に1人で悩み、罪を必要以上に重く受け止め、そして最悪の罰を受けようとしていたと“うぬぼれていた”と言ってもいいでしょう。しかし、生徒が「どっちでもいい」と口にしたように、それは実は“大したことがない”のです。

成瀬の苦しみのエピソードそれ自体は極端なものですが、子どものころ(大人でも)の不用意な発言や行動によって苦しんだり後悔をするということは、誰にでも当てはまることでしょう。『心が叫びたがってるんだ。』は、そうした普遍的な“言葉による傷”を抱えた人に「大したことはないんだよ」と、優しい目線を送っている物語なのです。

余談ですが、向こう脛とは別名“弁慶の泣き所”であり、“強い者でも持っているたった1つ弱点”のことも指しています。「青春の向こう脛」というミュージカルのタイトルは、“誰しもが一度は抱えてしまう青春の痛み”をも表しているのでしょう。



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5:実写版には新たな感動が!フレッシュな役者陣のアンサンブルとミュージカルシーンを見逃すな!


さて、クライマックスの成瀬の行動について、以上のように必要性を書いてみましたが……「それでもやっぱりこのヒロインは好きになれないよ!」とまだ納得できない方もいるでしょう。その場合は、ぜひ公開中の実写版をご覧になることをおすすめします。

その理由の1つが、(物語の大筋はほぼ同じでも)成瀬というキャラにより好感が持てるように、いくつかの変更点が加えられていることです。例えば、アニメ版で成瀬は序盤に「私の心を“覗き見”しているんですか?」という文面を坂上に見せていましたが、実写版では「私の心が読めるんですか?」という、やや柔らかく、他者を受け入れるような言い回しに代わっていました。

そして、前述したクライマックスにおける成瀬の行動について、実写版ではアニメ版にはない、とある“理由”が付け加えられています。これはアニメ版だけを観ている方にとってはネタバレになるので具体的には書けませんが、「さらに成瀬に救いが生まれた!」と嬉しくなるものであった、ということだけはお伝えしておきます。この他にも、成瀬の他者へのアクションには、アニメ版と実写版で細かい差異がたくさんあるので、見比べてみるのもいいでしょう。

何より、実写版で素晴らしいのは若手の役者の演技!中島健人は純朴だけど感情表現がおとなしい少年にぴったり、芳根京子は可憐なだけでなく過去の罪からくる苦しみを見事に表現、石井杏奈はちょっとツンツンした役柄に見事にハマっていました。さらに野球部の元エースの田崎を演じた寛一郎は、なんと佐藤浩市の息子(つまり三國連太郎の孫)!フレッシュな彼らの魅力だけでも、劇場で堪能する価値があるでしょう。実写版で成瀬のことがより好きになれたのは、前述したような変更点だけでなく、芳根京子の魅力によるところも大きそうです。

そして、実写版でのミュージカルシーンには涙を流してしまうほどの、新しい感動がありました!アニメ版のミュージカルでは高校生らしい(良い意味での)“稚拙さ”も表現されていたのですが、実写版ではこれらの役者陣が最高のパフォーマンスで魅せてくれるのです。

アニメ化された作品の実写版やリメイク作には「実写化する意義があったのか?」という厳しい意見がぶつけられることもままありますが、『心が叫びたがってるんだ。』は、間違いなく実写化した意味がある作品であった、と断言します。アニメで観るミュージカルもそれはそれで楽しくて良いのですが、やはり“生身の人間が演じる”からでこその驚きと感動がミュージカルにはある、と再認識できたのですから。

そのほか、レコードが並ぶ部屋や廃墟になったラブホテルなど、アニメ版の背景を見事に再現した美術監督の高橋泰代の手腕も素晴らしく、“お口にチャック”などのアニメならではの表現はちゃんと実写で映えるように別の演出に変更されるなど、実写化にあたっての工夫が至る所に凝らされていました。

そして、ラストシーンがアニメ版と実写版で全く違う!どちらのラストが好みかは人によって異なるでしょうか、個人的には実写版が気に入りました。実写版ではエンドロールに入っても席を立たず、最後まで観てみることをおすすめします!



実写版『心が叫びたがってるんだ。』


(C)2017映画「心が叫びたがってるんだ。」製作委員会 (C)超平和バスターズ



おまけ:この映画が好きならきっと楽しめる!


ここからは、実写版またはアニメ版『心が叫びたがってるんだ。』が気に入った人に観て欲しい、またはこの作品が好きな人に『心が叫びたがってるんだ。』をおすすめしたい3つの映画をご紹介します。

1.『カラフル』(2010年のアニメ版)





アニメ版『心が叫びたがってるんだ。』では、田崎が冗談っぽくラブホテルのことを口にしたり、校内でカップルがキスをするというシーンもありました(これらの描写は実写版ではなくなっています)。成瀬が父の浮気をしゃべってしまうという発端の出来事も含め、性的な事柄の嫌悪感や気まずさが描かれている作品と言っていいでしょう。

『カラフル』では、中学校の同級生が援助交際をしたり、母親が浮気をするシーンが描かれており、そのことに主人公の少年はひどい嫌悪感を覚えていました。セックスに並々ならぬ興味がありながらも、一方では汚いものと思って嫌悪する……そのような思春期の悩みが存分に描かれているのです。

『カラフル』と『心が叫びたがってるんだ。』で描かれた心の傷や、犯してしまった罪からの“許し”にはかなり似たものを感じられるでしょう。どちらも性に悩む少年少女に観て欲しい映画です。

2.『くちびるに歌を』





少年少女の苦しみからの解放が描かれていたり、“重唱”をするシーンがあったり、「悲愴」が重要な楽曲になっていたりと、『心が叫びたがってるんだ。』との共通点が多い作品です。

映画で描かれているのは、自閉症のきょうだいがいることへの悩み、勝手な父親に対する悩み、部活がうまくいかない悩み、過去のトラウマから逃れらない悩みなど。それらをアンジェラ・アキの有名曲「手紙」とシンクロさせることで、普遍的なメッセージが込められた素晴らしい音楽映画になっていました。新垣結衣のファンだけに独占させておくのはもったいない名作です。

3.『八十日間世界一周』






八十日間で世界を一周できるという“賭け”のために旅に出るという、何ともロマンに溢れた作品です。乗り継いでいくのが気球・鉄道・蒸気船・象(!)などバラエティーに富んでおり、各国での風土や文化もたっぷり映し出されるなど、まさに世界を一周したような観光気分が味わえる映画に仕上がっていました。日本も旅の舞台として登場しています。

『心が叫びたがってるんだ。』で取り上げられていた楽曲「Around the World」は、実はこの映画のテーマ曲。この曲は今なおテレビ番組のジングルや、近鉄特急の発車メロディにも使われています。劇中でこの曲とともに気球での旅がスタートするシーンはこの上のない高揚感がありました。

なお、『心が叫びたがってるんだ。』の作中でもう1つフィーチャーされていた楽曲「Over the Rainbow」は『オズの魔法使』の劇中歌でもあります。こちらも普遍的な悩みを扱っており、1939年製作とは思えないほどミュージカルの楽しさに溢れた映画ですので、ぜひご覧になって欲しいです。

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(文:ヒナタカ)

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