映画コラム

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2017年09月21日

『新感染』はジャンル映画の盲点を突きまくる、ゾンビ・感染物映画の新境地

『新感染』はジャンル映画の盲点を突きまくる、ゾンビ・感染物映画の新境地



それで結局、何が斬新だったのか?



新感染 ファイナル・エクスプレス 裏面ビジュアル



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本作が斬新であった最も大きな理由を、筆者は「映画」というものを下敷きにして「ゾンビ/感染物」の作品を制作したという点にあると考えている。

昨今のゾンビ映画は「ゾンビ映画」を下敷きに「ゾンビ映画」を作っているものが多い。例えば『ショーン・オブ・ザ・デッド』や『ドーン・オブ・ザ・デッド』を下敷きに『インド・オブ・ザ・デッド』を制作するようなもので、要は分母がゾンビ映画、分子もゾンビ映画なのである。念のために書くが、上記三作は駄作のような表現をしてしまったものの、すべて傑作である。

だが、『新感染』は映画を、もっと言ってしまえば現在の「韓国映画」を分母として、分子に「ゾンビ映画」を置き制作されているように感じた。その分母の安定感は感染者をハイジャック犯に変更しても充分に通用する内容であるし「新幹線大爆破」のような設定を加えても機能するだろう。

これは近頃のちょっとやり過ぎていたゾンビ映画に胃もたれしていた人には丁度良く、そんなもの食ったことがないという人には比較的食べやすい。しかし、食べやすいということは内容の薄さに直結しない。丁寧に出汁が引かれているので、ジャンルムービーとしてはやや薄味ながらも極上の味わいがある。

なので出された物を「うわー感動した凄い映画だった夢に出そう」と単純に食べても美味いし、「ソウル・プサンという移動や政府の対応、乗員乗客の行動は朝鮮戦争やセウォル号沈没事故の戯画化と見てとれる、つまりは現代韓国の…」と分析をはじめても味わい深い。

もちろん前者と後者に優劣はなく、ギリギリで幸せなのは前者かも知れない。本作はどちらも楽しめるが、分母と分子を緻密に設定したことにより、結果どちらにも媚びないバランス感覚に仕上がっているところが素晴らしい。

少しだけ残念な点を挙げるならば、やや音楽が凡庸で、劇伴は誠実に鳴らされるが、こちらはそれが若干裏目に出ていたように思える。しかし、ジャンルムービーの枠に囚われず、ビッグバジェットの重圧にも負けず、真摯に映画に取り組んだ監督のヨン・サンホは本作が実写一作目である。

まだこんな手があったのか、そういやこんな手もあったよねと、さながら感染者たちに対処する生存者のごとく、昨今のジャンル映画の盲点を突きまくった名監督に、観客や映画関係者はしてやられたことであろう。

最後に、良い映画は終わってからも余韻が残る。帰りの電車に乗り込んだとき、ビクビクと車内を見回して感染者の有無を確認したのは自分だけではないはずだ。

(文:加藤広大)

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