なぜ『天空の城ラピュタ』は飛び抜けて面白いのか?キャラの魅力と宮崎駿の作家性から理由を探る
3:ドーラのイメージは“お母さん”であり“大人らしい大人”だった!
(C)1986 Studio Ghibli
『天空の城ラピュタ』を語るにおいては、海賊の首領であり、豪快だけど心根は優しい老婆のドーラは外せません。面白いのは、ドーラは序盤こそ悪人に見えるものの、どんどん彼女の“良い人”の部分が明らかになっていくこと、そして実は冒頭でも根っからの悪人ではないことが示されていることです。
例えば序盤の襲撃シーンにおいて、軍隊は銃で応戦する一方、ドーラ一家はマスタード榴弾(※マスタードガスではなく、小説版によると“ただのカラシの粉”)や催涙ガスを使っており、説明はなくても海賊たちが人を殺さないように工夫をしていることがわかります。ドーラが、窓から抜け出して縁にいたシータに「早く捕まえるんだよ!」「あの石だ!」と、まるで彼女の命をないがしろにして、お宝だけを求めていたかのようなセリフも、“飛行石があれば落ちても死なないことがわかっていた”からそう言っていたんだ、と後から納得ができるようになっています。
ドーラはシータのことを「あたしの若い頃にそっくりだよ」と評していたため、息子に「え?ママのようになるの、あの子」「信じられるか?あの子がママみたいになるんだぞ?」とツッコまれていましたが、“やる時はやる”性格と、他人を思いやる性格において、確かにドーラとシータは似ているかもしれませんね。ちなみに、タイガーモス号の船長室には、(シータにそっくりな)若き日のドーラの勇姿が飾られていたりもします。
ちなみに、宮崎駿監督によると、ドーラは「ダメな息子は蹴飛ばすし、見込みがあると思ったら力になってくれる“母親”」というイメージのキャラなのだそうです。確かに、陽気で子どもっぽい息子たちへの叱責や、「まったく、いつまで経っても子どもなんだから」というセリフは母親らしいですよね。
(C)1986 Studio Ghibli
また宮崎駿は、この物語は少年と少女が旅立って、いろいろな大人に会うというものだからこそ、“大人らしい大人”を出したいということで、無類の食欲、壮大な物欲、頑強な体を持つというドーラのキャラが出来上がったとも語っていました。まさに、彼女はそのイメージどおりの魅力を持っています。
余談ですが、ラストで宮崎駿は、ドーラからパズーに一個の宝石をポーンと渡させて「持っていきな、ジャマにはならないだろうから」と言わせるつもりだったのですが、キャラとしてしっかり完結させるために、シータを抱きしめるというシーンに変更したのだそうです。「かわいそうに、髪の毛を切られる方がよっぽどつらいさ」のセリフと合わせて、ドーラの優しさがもっとも表れているシーンですよね。
※次ページではムスカの本性を分析!
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