映画コラム
映画で危機管理意識を!自然の脅威を描いた“災害映画”5選!
映画で危機管理意識を!自然の脅威を描いた“災害映画”5選!
(C)2017 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., SKYDANCE PRODUCTIONS, LLC AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
ディーン・デブリン監督の『ジオストーム』が公開となった。宣伝展開を割と早くから打ち始めたことで、アクション映画ではお馴染みのジェラルド・バトラーが主人公となっていることや、気象コントロール衛星の暴走によって次々と地球上の大都市が崩壊していくようすを“チラ見せ”して映画好きの期待を高めてきた。
この手のジャンルはディザスタームービー(災害映画)と呼ばれ、ひとつの人気コンテンツとしてこれまでにも多くの作品が作られてきている。都市や町(あるいは地球そのもの)を破壊する方法はさまざまに描かれており、数え上げればキリがない。そこで今回は、『ジオストーム』と同じくディザスタームービーとして有名な作品を5つピックアップしていこう。
『ツイスター』
監督に『スピード』のヤン・デ・ボン、製作総指揮に『ジュラシック・パーク』のスティーヴン・スピルバーグ、視覚効果に『スターウォーズ』シリーズのILMという、ある種これ以上にないという映像界の布陣で臨んだ竜巻映画。さらに『ジュラシック・パーク』の生みの親であるマイケル・クライトンが脚本を手がけているのだから“つまらない”はずがない。
同作で描かれているのは、日夜竜巻の研究に命を懸けるストーム・チェイサーたちの活躍。ストーリー自体は至ってシンプルで、次々と発生する竜巻に研究者たちが測定器を携えて挑んでいくというものだ。失敗を繰り返しながら何度も竜巻に立ち向かい、回を増すごとに(?)竜巻の規模がスケールアップ。竜巻による破壊描写も激しくなっていくという、言わば王道中の王道のストーリー展開となっている。
この布陣からみても、映像に重きを置いているのは言うまでもない。アメリカの竜巻発生地帯を舞台にしているのでもちろん地球規模での災害が描かれているわけではないが、それでも公開当時としては珍しい竜巻による破壊描写をメインとした展開が話題になった。吹き飛ばされたサイロの丸屋根が疾走する車めがけて落下してくる瞬間や、水上竜巻に巻き込まれた牛が鳴き声を上げながら空中を舞う姿は予告編などでも幾度と流れて衝撃を与えたものだ。
それでもそれらのカットはほんの序の口程度で、特に映画後半は竜巻の規模も大きくなっているために破壊描写そのものも激しくなっている。災害映画でもありパニック映画でもある本作の魅力は、画期的な映像技術を楽しむと同時に、日本人にはあまり馴染みのない竜巻による被害を追体験するところにもあった。特に、竜巻の突発性を垣間見ることができるドライブイン・シアターでの襲来は恐怖すら感じるほど。
この際に『シャイニング』のジャック・ニコルソンの顔が粉々になっていくシーンが有名だが、その直後、ガレージに避難した主人公たちに飛来物が次々と降り注ぐシーンは悲鳴を搔き消すほどの音響効果が抜群の見せ場となっていることにも注目してほしい。さらに、ラストを飾る研究者VS最大級の竜巻(F5)との対決は、木々やトラックはおろか家屋そのものが転がり回るほどの展開が延々と描かれているので覚悟が必要だ。余談だが、本作は今は亡き名優ビル・パクストンや、アカデミー賞受賞のヘレン・ハント、フィリップ・シーモア・ホフマンら実力派のキャストが揃っているので演技面も楽しみ方のひとつになっている。
『ボルケーノ』
大ヒット映画『ボディガード』で知られる、ミック・ジャクソン監督による火山災害映画。音楽にはベテラン作曲家のアラン・シルヴェストリを招いており、緊迫感溢れるシーンに拍車をかけている。主演を務めるのはトミー・リー・ジョーンズで、ロサンゼルスを襲った未曾有の災害に立ち向かっていく姿を描いた。
本作の注目すべきポイントは、“火山災害映画”でありながらその舞台がロサンゼルスのど真ん中というアイデアだろう。アメリカではほぼ同時期にピアース・ブロスナン主演の映画『ダンテズ・ピーク』が公開されている(こちらの方が僅かに早い)が、こちらは正攻法で山間の町を襲う火山噴火と火砕流の恐怖を描いた災害映画になっていた。しかし『ボルケーノ』に関しては、まさに火山とは無縁と思える大都市のど真ん中で噴火が起きるという異常事態が展開。
それに至るまでの描写も見事で、じわじわと異変が積み重なっていくリミットサスペンスとしての機能も果たしている。そして噴火が起き、溶岩が大通りを伝って溢れ出してからは阿鼻叫喚の地獄絵図に。火山弾が降り注ぎ、車は人を乗せた状態で焼け溶けていく。中でも某主要キャラが身を呈して溶岩に飛び込み、悲鳴を上げながら足元から消滅していく残酷描写は大作系映画とは思えないトラウマシーンとして目に焼きつくはずだ。
また、予期せぬ自然の猛威が描かれるが本作の見所はそれだけでなく被害を食い止めようと奔走する人々の姿にも勇気づけられ、その先陣を切るのが危機管理局長役のトミー・リー・ジョーンズだ。流れ出した溶岩の本流を海岸へと向かわせるためあらゆる方法に挑む姿は、本作がただの絵空事の災害映画ではなく、大都市で大規模災害が発生した場合のシミュレーション映画としての機能も果たしている。緊張感あふれる役者陣の迫真の演技と、崩壊していくロスの街を違和感なく見せたVFXや特殊効果にも注目してほしい。
『カリフォルニア・ダウン』
ロサンゼルスの火山噴火に続き、今度はカリフォルニアそのものが崩壊する規模の巨大地震を描いた災害映画。公開も2015年と比較的に新しく、鮮明に映像を覚えている人も多いはずだ。原題の『SAN ANDREAS』はカリフォルニア州直下に走る実在の活断層の名前で、これまでに多くの地震が発生して被害を出しただけでなく、今後巨大地震を引き起こす可能性も高まっているということなので、決して映画だけの世界と括るには早計な作品とも呼べるかもしれない。
本作が描くのは巨大地震による大都市の崩壊と、災害によって離れ離れになってしまった家族の絆だ。倒壊する高層ビル群や波打つ大地、大津波の描写は日進月歩で革新を続ける映像技術によって実にリアルに描かれており、近年稀に見るリアルな破壊描写は目を見張るものがあった。それに加えて離散した家族のドラマが組み込まれており、生き延びるために、そして家族と無事再会するために選択を迫られていく姿は「明日は我が身」と地震大国に住む日本人だからこそ余計に胸に迫るものがある。
それにしても、これまでの災害映画やパニック映画に登場する主人公は研究者タイプ、或いは冷静沈着に分析・対策を練るスマートな頭脳明晰タイプのキャラクターが多かった。それは役を演じる俳優によるところが大きく、実際に前述のヘレン・ハント&ビル・パクストンやトミー・リー・ジョーンズ(ちなみに『ボルケーノ』での相棒的存在は学者役のアン・ヘッシュ)、ピアース・ブロスナンといった名前からもイメージがつくはずだ。
しかし、本作の主人公は凄腕のレスキュー隊員という設定だけでも有り難いところなのに、演じるのが“ザ・ロック”ことドウェイン・ジョンソンというのだから安心感がハンパない。いや、もちろん本作は至って真面目な災害映画なのでツッコミを入れながら鑑賞するような作品ではないのだが、やはり「ロック様が出るならなんとか助かるんじゃないか」という絶大な信頼感がどこからともなくやってくるのだから不思議というものだ。
おそらく災害映画史上最強の腕っ節だろうし、「ロック様なら(映画の中の)大地震にも勝てる!」というエールを送りたくなるようなところがあった。不謹慎な映画の見方だが、それでもやはりあの逞しい腕ならきっと助けてもらえる、という“希望”を感じさせるものがあった。
『ディープ・インパクト』
災害映画ではあるものの、竜巻や火山噴火、巨大地震といったものではなく彗星の衝突危機という地球規模の天災と巨大津波の恐怖を描いたパニックムービー。監督を務めたのは、アンブリン制作のドラマ『ER / 緊急救命室』で演出を担当したことでスピルバーグに見いだされ、ドリームワークス第1回作品『ピース・メーカー』を手掛けた女流監督のミミ・レダー。
スピルバーグも製作総指揮を担当した本作では、接近する彗星に備えてそれぞれが行動に出る姿がドラマチックに描かれており、イライジャ・ウッドを軸とした地下に避難しようとする家族、そしてロバート・デュバルをキャプテンとした彗星爆破ミッションを担うスペースシャトルのメンバーが交互に展開。また、彗星が目前に迫る中家族との時間を見つめ直そうとする、ティア・レオーニ演じるニュースキャスターのエピソードも加わるなど、災害映画というよりもヒューマンドラマに主軸を置いたストーリーが紡がれていく。
『ボルケーノ』公開時と同じように本作もマイケル・ベイ監督の『アルマゲドン』と同時期に競合することになったが、『アルマゲドン』が定期的に隕石の衝突による都市崩壊が描かれたのに対し本作は終盤まで災害シーンが描かれなかったことからも、どこに主眼を置いていたのかはっきりしているだろう。
その代わりに(というと語弊があるが)、彗星の破片が地球の大洋に落下してからの描写は『アルマゲドン』の災厄シーンよりも大きな“インパクト”を与えるものになったのではないだろうか。「海は立ち上がり、都市は沈む」とは公開時のコピーだが、全くもってその言葉に偽りはない。大気圏に突入した彗星が轟音と煙幕の尾を引きながら空と海を割っていくさまは、まさに黙示録の始まりをまざまざと見せつけ観客の緊張感をこれでもかと高めていく。
衝突後はまさに大災厄そのもので、ワールド・トレード・センターをも凌駕する高さの巨大津波が摩天楼と逃げ惑う人々に覆いかぶさっていく様子は容赦がない。さらに、大陸内部まで到達した津波が大渋滞の車列を飲み込んでいく状況は逃れられない破滅の運命を描いており、ミミ・レダー監督によるリアリズムを追求した描写とILMによる驚異のVFXには鳥肌が立つほどの恐怖を覚えたほど。では、そんな大災厄の果てに人々は何を見ることになるのか。そして、見たのか。“災害以前・以降”にも注目して鑑賞してみると、本作の奥深さが見えてくるはずだ。
『2012』
最後にして真打ち登場。マイケル・ベイ監督と同じく“破壊王”として映画界に君臨しているのが、本作監督のローランド・エメリッヒだ。『インデペンデンス・デイ』シリーズで宇宙人侵略による人類存亡の危機を描き、『デイ・アフター・トゥモロー』では北半球を氷河期へと突入させた。まるで「壊せるものはガンガン壊せ」と言わんばかりの破壊描写で、エメリッヒにとっては地球そのものすらもその破壊対象なのだ。
そんなエメリッヒ監督が、飽き足らずにまたしても地球をぶっ壊しにかかったのが、本作『2012』。この数字は古代マヤ文明が予言したとされる「2012年に訪れる文明の崩壊」を意図・想起させるものであり、劇中でも触れられている(公開当時はそれなりに終末説も取り沙汰されたものだが、こうやって振り返れば「ノストラダムスの大予言」と同じく“狂騒曲”として記憶されるもの)。
そこでエメリッヒが取った地球崩壊のメカニズムは空から恐怖の大王が降りてくるでも核戦争でもなく、あくまで天文学や地質学などをしっかり考証した上でのシミュレーションに基づいているという。そのため、序盤で描かれる“地球が破滅へと向かう理由付け”は意外としっかりしたもので、こういったリアリズムについては抜かりのないエメリッヒなのである。
そこから繰り広げられる破壊描写は大盤振る舞いの連続だ。さっそく大地ごと引き裂かれ海へと引き摺り込まれれば、国立公園が巨大な爆発を伴う噴火を果たすなど、大規模な地殻変動が次々と発生して終末へと近づいていくようすを描写していく。今回は思わぬ方法でホワイトハウスを潰しにかかっているので、もはやエメリッヒはホワイトハウスに執拗なまでの恨みがあるとしか思えないのもエッセンスかもしれない(おそらくエメリッヒ流の、エッヂの効いた皮肉なのだろうが)。
大災害に巻き込まれる人々があっさりとしたタッチで描かれているのが難点だが(コメディタッチな部分すらある)、引きの画で崩壊を描くエメリッヒの演出は、『インデペンデンス・デイ』や『GODZILLA』の特撮からよりきめ細やかな映像を求めてVFXへと移行したエメリッヒのビジュアルとして、ひとつの完成形を見せてもいる。また、映画後半は迫り来る終末から少しでも逃れるために建設された“ノアの箱舟”へと物語は移り、より人々の思惑やせめぎ合い、信念がクローズアップされていく。
この辺りの描写は時として「本当に怖いのは人の心」なんて教訓すら与えかねないが、それも踏まえつつ今回は高さ数千メートルという途方もない超巨大津波が山脈すらも飲み込みながら迫ってくるので、ラストまで圧巻のスペクタクル映像が展開し続けるので気を抜くことはできない。
これは余談だが、『ジオストーム』のディーン・デブリン監督はかつてプロデューサーとしてエメリッヒと二人三脚を行なっていた人物でもある(『スターゲート』から『パトリオット』までと、『インデペンデンス・デイ リサージェンス』)。エメリッヒの破壊描写を最も間近で見てきた人物と言っても過言ではないので、それを踏まえて『ジオストーム』を鑑賞するのも面白いかもしれない。
まとめ
ディザスタームービーで描かれる災害は、時としてあまりにも大規模な災厄のためにそれこそ絵空事というイメージが先行するかもしれない。けれど、いつかはそんな映画で描かれた世界がリアルに追いつくかもしれないという予感を含めつつ、来るべき“その日”に備えるべきという教訓にもなる。エンターテインメントとして観られるうちは幸せなことなのかもしれないが、いつその足元が揺らぎ、ずっと続くと思っていた平穏な日常が突如音を立てて崩れていくかは誰にも予想などつかないからだ。映画を通して危機管理意識を持つというのも、案外ディザスタームービーが持つ役割なのかもしれない。
(文:葦見川和哉)
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