自粛疲れの心の癒やしに『南極料理人』を。
自粛要請が全国にいきわたってしまい、いまや日本中の人々が鬱屈した日々を過ごさざるを得ない状況が続いています。
しかし、さすがにずっと家の中にいるのもつらいもので、外に出て思い切りストレスを発散させたい! と願っている人もさぞ多いことでしょう。
しかし、今それをやって良いのか悪いのか……。
そんな悶々とした想いの中、1本の映画に心救われました。
舞台は南極大陸です。
ずっと外に出たままだと凍死してしまいます。
日本に帰りたくても任務が完了するまでは帰れません。
そんな極寒の閉ざされた地での生活を余儀なくされる人々は、どのように日常をやり過ごしていたのか……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街459》
映画『南極料理人』の中には、その答えのいくつかが用意されているのでした!
“食”でストレスを発散させる
南極観測隊員とその料理人
映画『南極料理人』は、海上保安庁出身の西村淳が記したエッセイの中から『面白南極料理人』『面白南極料理人 笑う食卓』を原作に、『横道世之介』(13)『モリのいる場所』(18)などの才人・沖田修一監督が2009年に映画化した彼の出世作でもあります。
舞台は1997年の南極大陸、昭和基地からさらに1000キロほど内陸に入り込み、標高は富士山より高い3800メートル、気圧は日本のおよそ6割程度の高原部に建てられたドームふじ基地。
平均気温マイナス54度で、ペンギンやアザラシはおろか、ウイルスすら生存できない(これに関してだけは、今は正直うらやましい気も……。想えば人類滅亡の危機を描いたSFサバイバル映画『復活の日』も、南極ではウイルス兵器が生存できないという設定でした)、文字通りの極寒の地です。
このドームふじ基地には、1997年当時、8名の観測隊員が越冬していました。
仕事の主な内容は、氷床を深さ3000メートル以上掘削して氷上コアを採取し、それを分析することで過去100万年の気候変動などを調べようとする“氷上深層掘削計画”の実施です。
基地の中は狭苦しく、トイレは丸見えでプライバシーなど望むべくもなく、また日本に電話をかけると1分740円!(今はいくらくらいでしょうかね)
帰りたくても帰れない、逃げ出したくても逃げられない、そんなストレスまみれの隊員たちに食事を提供しながら心をケアしていく調理担当が、西村くん(堺雅人)なのでした。
ひとりの人間が1年間飲み食いする量は、およそ1トン弱なのだそうです。
氷の世界ゆえに水はいくらでもありますが、それは同時に「自分たちで水を作らなければならない」ということでもあり、ある種の肉体労働でもあります(つまり、みんな重労働はしたくないので、水は貴重とされているのです)。
基地に備蓄されている食材は冷凍、乾燥、缶詰類が基本(こんにゃくなど凍るとダメになるものは持ち込んでないとのこと)。
低気圧のためにお湯は85度で沸騰し、そのためインスタントラーメンをゆでても芯が残ってしまいます。
室内で育てられる野菜はカイワレやモヤシくらいのもので、足りないものをスーパーに買いに行くわけにもいかない劣悪環境の許、西村くんはあの手この手を使ってさまざまなレパートリーの食事を提供していきますが、それは知らず知らずの間に隊員たちのストレス緩和にも役立っているのでした。
隊員たちも個性的な面々ばかりです。
一番若いせいか、麻雀や節分の豆まき等では部の惡扱いを受ける“兄(にい)やん”(高良健吾)。
おにぎりに当たりの具であるイクラが入っていたことだけで喜んでしまう“タイチョー”(きたろう)。
南極にいるのが嫌で嫌で、いつも仕事をさぼっている車両担当の“主任”(古館寛治/ちなみに彼が乗っている車両の中に、1980年代当時のアイドルだった宮崎美子のグラビア写真が貼ってあるのが、なかなか興味をそそられます)
シイタケが嫌いで、水を無駄遣いしたりやたらさぼりたがる主任と喧嘩してしまう“平さん”(小浜正寛)
広島東洋カープの大ファンで、バターを盗み食いするほど食いしん坊の“盆”(黒田大輔)。
南極生活が肌に合い、帰国後はトライアスロンに挑戦しようとしている“ドクター”(豊原功補)。
そして南極生活を幾度も体験していることで、離婚の危機を迎えている“本さん”(生瀬勝久)。
実は西村くん自身も南極行きを望んでいたわけではなく、もともと決まっていた同僚(宇梶剛士)が交通事故に遭ったため、いやいや行かされることになったのでした……。
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