「息子がインドから帰ってきません」映画で答える人生相談
「息子がインドから帰ってきません」映画で答える人生相談
読者の皆様から寄せられたお悩みにアンサーしつつ、相談内容に沿って一本の映画を処方する当コラム。映画以外はすべてがでっち上げ、嘘八百で塗り固めた砂上の楼閣、牽強付会もここまで来たかと、完全なる出たとこ勝負の見切り発車は果たしていつまで続くのか。今回のお悩みはこちら。
「息子がインドから帰ってきません」
「自分探しの旅に出かける」と言ってインドに渡った息子が未だに帰ってきません。「今から修行に入る」との連絡を最後にここ数週間は音信不通で、とても心配しています。
息子は大学を卒業後、仕事もせず急に「外国に行きたい」と言い出し、インドに渡航しました。私は何度も「そんなくだらないことして、就職はどうするの」と訊いたのですが「今はそんな時代じゃない」と聞く耳を持ちません。
年長者として息子の考えはとても甘いと思います。新卒というブランドを失ってしまえば就職先を見つけるのも難しい世の中、この先もずっとフリーターならば、人生の負け組ではないですか。
私も主人も国立大学を卒業して商社に就職し、真面目に働いて今までやってきました。息子には何ひとつ不自由ない暮らしをさせてきたつもりです。だからこそ、しっかり就職して、真っ当な人生を歩んで欲しいと思っています。私の考えは間違っているのでしょうか?
(東京都:46歳女性 専業主婦)
息子がインドから帰って来ないあなたに処方する映画は
ご相談ありがとうございます。大変ですね。かつて、私の周りでも多くの友人たちが自分探しの旅に出かけて行きました。未だ連絡が取れない人も珍しくありません。お気持ち良くわかります。
まず断っておきたいのですが、私は一度も就職活動をしたことがありません。ということは、どちらかと言えば息子さんサイドに属する人間です。
私の経験から申し上げるならば、学校を卒業した後に定職に就かず、ぶらぶらしていると人生がどのような状態になるかといいますと、これはもう、とんでもないことになります。二十代ならまだしも、三十代を過ぎると更にどえらいことになります。
過去の自分に出会える機会があったならば、肩をバッカンバッカン揺すりながら「就職しろ」と訴えることでしょう。その点では、あなたの立場やお気持ちも、よくわかります。
しかし、一概に「自分探し」をすることが、人生の道を逸れているとは言えません。人間、特に男子は常に自分とは何者なのか? 本当にやりたいことは何か? を探し、答えを求め続ける生き物だからです。
ときに、あなたのお便りからは学歴至上主義と安定志向がありありと見て取れます。それは悪いことではありません。高学歴大いに結構、安定志向も大いに結構です。が、自分が歩んできた道や、既に敷かれたレールの上を歩いて欲しいという気持ちが先走り、子離れが出来ていないのではないでしょうか。また、息子さんの言葉からは、一度親元を離れて自分の事を考えてみたいという気持ちを感じます。
今回、そんなあなたに処方する映画は『バーフバリ 王の凱旋』です。
と言いたいところなのですが、
冒頭で「一本の映画を処方」と書いたのにも関わらず、本作の前に制作された『バーフバリ 伝説誕生』とニコイチで処方せていただきます。
『バーフバリ 王の凱旋』
(C)ARKA MEDIAWORKS PROPERTY, ALL RIGHTS RESERVED.
『バーフバリ 王の凱旋』は、2017年に公開されたインド映画で、今や太陽系を遥かに越えて、宇宙の果てまで名が轟く偉大なる戦士「バーフバリ」を主人公に、三世代にも渡る愛と復讐の物語を描いた一大叙事詩とも言える作品です。
「魂が揺れる、心の4DX映画」と、主に私の中で謳われている本作ですが、シリーズを鑑賞する順番は、『バーフバリ 王の凱旋』を鑑賞した後、『バーフバリ 伝説誕生』を観るのが良いでしょう。個人的に最もオススメなのは『バーフバリ 王の凱旋』を観た後に『バーフバリ 王の凱旋』をキメて『バーフバリ 伝説誕生』からの『バーフバリ 王の凱旋』を堪能しry)
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そして『バーフバリ 王の凱旋』に到達し、その後『バーフバリ 伝説誕生』を観るのがベストです。
話を戻します。自分探しの旅に出る人の多くは、息子さんと同じくなぜかインドをチョイスしますので、舞台設定は申し分ありません。
ここでまた余談ですが、あなたはもしかしたら、「インド映画なんて興味がない」という方かもしれません。ですので、文章の端々から透けて見える学歴至上主義の立場からジャブを打っておきます。
TwitterやFacebookを見渡してみれば、弁護士や医師はもとより、各界の有識者が声を揃えて「バーフバリ!バーフバリ!」と叫び王を讃えています。持てる者も、持たざる者も、誰しもが等しくバーフバリを讃え、マヒシュマティ王国民になってしまう、それこそがバーフバリの力です。
とんでもない映画ですので、一度でもご覧になったならば、あなたは悩みなど木っ端微塵に吹き飛び、朝イチから東急ハンズに走り、材料を揃え、推しをプリントアウトした団扇を拵えて、絶叫上映が開催されている劇場を探していることでしょう。もしくは、裸足のまま家を出て、最寄りの寺院まで移動中かもしれませんね。車に気を付けてください。
さて、本作は男女の恋物語でもあり、権謀術数渦巻く王宮の権力争いの物語でもあり、嫁姑の物語でもあり、王族と奴隷の物語でもあり、擬似的な父子の物語でもあり、兄弟の物語でもあり、そして、母親と息子の物語でもあります。
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主人公であるアマレンドラ・バーフバリ(プラバース)はシヴァガミ(ラムヤ・クリシュナ)の子ではありませんが、実子であるバラーラデーヴァ(ラーナー・ダッグバーティ)と共に、彼女の手によって平等に育てられていました。
あなたのお悩みも、言うなれば母と子の物語ですね。
情報によれば息子さんも修行中とのことでしたので、あまりの相似に「シヴァガミは私か」と戸惑っているかもしれません。落ち着いてください。
劇中、次期国王であるバーフバリは見聞を広めるために、身分を隠して旅に出ます。これは自分探しの旅だと言っても良いでしょう。彼は「王」ではなく、一人の人間として世間と交流を図ります。旅をして、綺麗な女性と出会い、恋をします。
国母であるシヴァガミ(ラムヤ・クリシュナ)は、絶対的な母であり、神にも近しい存在です。その彼女の命令に対して、成長したバーフバリは逆らいます。逆上するシヴァガミ、ここで自分の言うことを聞かない息子に驚き、怒りつつも哀しむ子離れできない親と、自分の意思を貫き通す息子という構図が出来上がります。
その結果、様々な要因が絡み合い、何が起こるのかは映画を観ていただくとして、母親であるあなたですら、きっと思うでしょう「どうしてなの! 別にいいじゃないシヴァガミ!」と。しかし、よくよく考えてみれば、あなたも息子さんに同じような思いを抱いているのです。
私が15秒で作った古代インドの諺に、「巣立った鳥はただ見守れ」という、とても含蓄のある言葉があります。
人間、二十歳を過ぎればもう立派な大人です。あなたがレールを敷いたり、道を指し示したりせずとも、子どもは世間や、社会に触れて成長していきます。
あなたがこうして心配している間にも、息子さんはインドの地で元気に滝を登ったり、牛に乗ったり、美しい娘さんと恋に堕ちていたりするのです。無沙汰は無事の便りです。信用して邪魔をしないことも、また子を育てる親の務めなのではないでしょうか。
母はただ、王の凱旋を待つのみ
ただ、いくら「放っておけ」と言われても、いつまでも子供のことが心配なのが親心というものです。これはもう仕方がありません。では、どうすれば心配を和らげることができるのか。
『バーフバリ 王の凱旋』と『バーフバリ 伝説誕生』には、シヴァガミの他にもデーヴァセーナ(アヌシュカ・シェッティ)やアヴァンティカ(タマンナー)など、美しく、強い女性が登場します。
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物語としてはお約束の展開が続く映画ですが、女性の描き方は他作品と一線を画します。
以下、念のために書きますが、「お約束」と書いたのは褒め言葉で、『バーフバリ』シリーズはベタな展開のなかにも、まだこの手があったか、その発想は無かったわ、そこまでやる必要があったのかと、アイデアがまるでうず高く積まれた香辛料のように振りかけられ、画面から幻覚物質が照射されているかのような超絶VFX技術と圧倒的トゥーマッチ感により、美味い物を食った時に思わず「ふふっ」と笑ってしまうような面白さが毎秒押し寄せます。しかし、使われているのは香辛料だから決して胃もたれしないという、とてつもない映画です。
さて、本作の女性像の話に戻りますが、本作で描かれる女性は、通常のキャラ設定のように「◯◯で◯◯」のような単純な話ではありません。
男勝りだけれども女らしい一面もある、気は強いけれども弱い面もある、少女のような一面を見せたかと思えば、大人の女性のような艶やかさを出す、そして、母でもあり、これら全てを兼ね備えた「女性」を『バーフバリ』シリーズは描いています。その存在は、まさに神であると言っても言い過ぎではないでしょう。この描き方は本当に凄い。
そして、女性は本来、誰しもが上記のような多面性を持った存在なのです。その点から予想するに、あなたはもしかしたら「親」という属性に囚われすぎているのではないでしょうか。「親」だから子どものことを心配しなければならない、「親」らしくしなければならないと、無意識のうちに立場を固定化してしまっている節はありませんか。
あなたも昔、学校へ通い、卒業して、社会という世界に旅に出て、恋をして、息子さんを産んだのだと思います。その時のあなたは、消えてしまったわけではありません。あなたの心のなかにも、シヴァガミやデーヴァセーナのような「女性」が居る筈です。そう、「親」であるあなた以外にも、たくさんのあなたが居るのです。
ですので、単に親子としてではなく、一人の人間同士として、息子さんを捉えてみるのはどうでしょうか。単身インドに渡り、修行をしているなんて凄いことじゃないですか。なかなかできることではありません。
「でも、うちの息子はバーフバリのように立派な人間ではない」とお思いかもしれません。当たり前です。バーフバリなわけがありません。バーフバリはバーフバリです。
しかし、バーフバリのように偉大でなくとも、親にとって子どもは王です。身分や学歴、素行など関係ありません。今は息子さんを信じて、ソファに胡座をかきつつ、王の凱旋を待とうではありませんか。
(文:加藤広大)
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