『未来のミライ』が賛否両論になった「10」の理由
9:細田守監督の“家族観”とは? “自己批判的”な言及もあった!
細田守監督作品が賛否両論を呼ぶ大きな理由の1つは、前述したように細田監督が実際に経験した出来事が色濃く作品に反映され、その結果として独自の“家族観”がはっきりと表れ、それに迎合できないとどうしても否定的に見てしまいがちになってしまうからなのでしょう。
しかしながら、細田監督もその自身の家族観や作家性を冷静に捉えているようで、劇中の登場人物が“批判的なセリフ”を口にすることがよくあります。例えば、『おおかみこどもの雨と雪』では母親が“自分1人で判断していた”愚かさが十分に描かれていましたし、『バケモノの子』でもダメ人間が子供を育てることへの言及や絶対的な価値観を持つことの危うさなどが描かれていました。
※『おおかみこどもの雨と雪』における“批判的なセリフ”はこちらの記事でも解説しています↓
□『おおかみこどもの雨と雪』なぜ狼の姿でSEXをしたのか?賛否両論である理由を考える
本作『ミライの未来』の奇妙すぎる一軒家も、序盤に「建築家と結婚すると、まともな家には住めないってことなのかしら」という、はっきりと批判的なセリフが出てきます(小説版ではこの家についてさらに批判的な物言いがされています)。
また、本作における家族関係、特に両親が共働きでかなりの収入があり、父親が家で仕事ができるので家事育児も担当できる……といったことにも、“理想化された家族像”のような居心地の悪さを覚える方もいるかもしれません。しかし、今回はそこにも冷静な批判、フラットな視点が込められたセリフがありました。
つまり、細田監督にはある1つだけの家族観を“押し付ける”という意図は全くないということです。むしろ「現代では家族の“型”が固定化されていないから、それぞれが模索しながら自分らしい家族との関わり方を見つけてもいっていいんじゃないか」という“提案”をしている(その型の1つを例として描いている)、という塩梅なのでしょう。
物語の最後に、ミライちゃんと、お父さんとお母さんが口にすることには、“面倒でもある家族の向き合い方”について、細田守監督らしい優しいメッセージが込められていました。そこに押し付けがましさを感じることはまずないでしょう。
こうした自己批判的な言及、フラットな視点がこれまでの作品よりも目立ってはいるので、細田監督の家族観が苦手だったという方も、今回は受け入れられやすいのかもしれませんね。もっとも、その他の部分で、さらに賛否両論になる要素が噴出しまくっている気もしますが……。
© スタジオ地図
10:もはやアート系映画?
次回作では“チューニング”を期待するべき?
『未来のミライ』の特徴をごく簡単にまとめれば、細田守監督の作家性が最大限に発揮された一方で、これまで作品を支えてきた奥寺佐渡子さんが脚本を手がけていないため、しかもリアル息子の夢を参考にしたために、バランスが良い作品とはお世辞にも言えない、4歳の男の子のホームビデオを眺めていたり、たまに支離滅裂かつ奇妙な夢を見ているような感覚を得る内容になっている……ということです。しかも、細田監督の伝えたいこと、テーマやメッセージはそのものは、これまで以上にわかりやすくなっていました(セリフとしてそのまま提示されますし)。
事実、観終わった後に思い浮かんだのは、『パプリカ』や『スローターハウス5』や『インランド・エンパイア』や『ツリー・オブ・ライフ』などの(ものすごく語弊はありますが)“訳のわからないアート系映画”でした。大々的に公開されているファミリー映画で、ここまでの“変な作品”はなかなか類を見ない、だからこそ映画館で観る価値があるとも言えるでしょう。
※『スローターハウス5』については、こちらの記事でも紹介しています↓
□新海誠監督が『メッセージ』を見て語ったこと
とは言え、そうした特徴が、これまでの細田監督作品よりもさらに賛否両論を呼んでいるというのも事実です。せっかく『君の名は。』で新海誠監督という作家性を最大限に活かしつつ、エンターテインメント作品として完成させた川村元気さんという超実力派のプロデューサーも関わっているのですから、次回作ではその『君の名は。』と同様に、細田監督の作家性を生かしたまま、誰もが楽しめる作品として“チューニング”をすることが必要になるのかもしれません。
いずれにせよ、細田監督のファンとしては『未来のミライ』はいろいろな意味でおもしろい映画でしたし、次回作も細田監督にしかできない“唯一無二”の魅力が満載になっていることは間違いないでしょう。楽しみにしています。
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