『熱狂宣言』&『銃』で奥山和由、復活宣言!
(C)2018 吉本興業/チームオクヤマ
奥山和由といえば『ハチ公物語』(87)『226』(89)『RAMPO』(94)などの大ヒット作や、『海燕ジョーの奇跡』(84)『いつかギラギラする日』(92)『SCORE』(95)『GONIN』(95)など80~90年代を席捲したニューウェーヴ・アクション映画で気を吐くと同時に、また『その男、凶暴につき』(89)で北野武、『無能の人』(91)では竹中直人を映画監督として開花させた映画プロデューサーですが、松竹から独立しておよそ20年、さまざまな活動や苦難を経て、今また再び、かつての勢いを取り戻してきた感触を受けています……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街341》
彼が製作した『熱狂宣言』&『銃』をご覧になれば、そのことを多くの映画ファンは納得してくれることでしょう!
タイトルさながらの宣戦布告
ドキュメンタリー映画『熱狂宣言』
(C)2018 吉本興業/チームオクヤマ
まず『熱狂宣言』は、若年性パーキソン病を抱えながらも圧倒的な才気で会社を経営し、東証一部上場企業にまで押し上げた松村厚久の日常を追いかけつつ、そのアグレッシブな姿の中からひとりの人間の光も影もあますことなく捉えたドキュメンタリー映画です。
監督は奥山和由自身が担当。
彼は独立してまもない2003年にも、大惨事の事故から奇跡の復活を遂げたレーサーの生きざまを自身の監督で描いたドキュメンタリー映画『Crashクラッシュ』を発表していますが、そのことからも、ここでは心機一転ともリハビリともリセットともいえるような姿勢で作品に臨んでいるように感じられてなりません。
思えば独立後の奥山和由の20年は、『地雷を踏んだらサヨウナラ』(99)で復活を遂げた後、室賀厚監督『GUN CRAZY』シリーズ(02~03)や金子修介監督『ばかもの』(10)『ジェリーフィッシュ』(13)、竹中直人監督『自縄自縛の私』(13)などかつての盟友と組んだ佳作群をはじめ、『マンガ肉と僕』(13)の杉野希妃、『オー!ファーザー』(13)の藤井道人など新進若手に門戸を開放するなどの活動も行ってきました。
しかし、時代とともに大きく変貌していく映画業界および社会の流れ、またそれに伴う観客のニーズをキャッチする上でのもがきや焦りなどが次第に垣間見えるようになっていき、彼ならではの大胆奇抜なセンスとスケールに欠けた、いわば「そこそこ面白い」ものが主流になっていった感も正直否めず(まあ、その「そこそこ」すら実現できない映画人もいっぱいいるわけですけど)、おそらくは本人も忸怩たる想いを抱き続けながら必死に映画業界にしがみついてきたのではないか……。
そんな中で、肉体のハンデをものともせずにパワフルに立ち回る松村氏との出会いは、それまで心にハンデを抱えつつあった奥山和由に再び映画人としての奮起を大いに促すものがあったに相違ないでしょう。
そのせいか、本作を鑑賞していますと、一見松村氏を描いているようでいて、その実、彼の背中に未来の指針を見定めるべく追いかける奥山和由自身の姿こそが見えてくるのでした。
要はここからリ・スタートである。
『熱狂宣言』というタイトルもまた、ここから再び己の内に秘めた映画の熱狂を取り戻したいという、奥山和由自身の願いであり、本能的欲求であり、宣戦布告だったのでしょう。
時代と再びマッチングした
青春ハードボイルド映画『銃』
(C)2018 吉本興業
そして奥山和由が同時に繰り出した劇映画が、中村文則原作、武正晴監督、村上虹郎主演の『銃』です。
結論から先に申せば、これこそ閉塞的な現代を生きる若者のナイーヴな感性を鋭くとらえた青春ハードボイルド映画で、つまりはようやく再び奥山和由と時代がマッチングしての快作であると、大いに讃えたいものがあります。
ストーリーそのものは実にシンプルで、一丁の拳銃を拾った若者が、その後どのような運命をたどっていくのか……?
無国籍アクション映画ではないので、弾には限りがありますし、おいそれとぶっ放しまくるわけにもいきません。
しかし、いざとなれば確実に人の命を奪える道具を手に入れたことで、彼の精神は徐々に銃そのものが持ち得る甘美な狂気の中に取り込まれていきます。
このあたりの村上虹郎の繊細なオーラの発露が見事です。
また、そこに現れる刑事(リリーフランキー)が、まるでメフィストのように彼をさらなる悪夢の世界へ誘おうとしていきます。
『百円の恋』(14)などで知られる武監督ですが、ここでは日常の中に非日常が入り込んでいくことでの艶めかしいカタストロフをスタイリッシュな(しかも何とモノクロの!)映像美で描出していきます。
少なくとも私自身、この20年間で真に見たかった奥山和由プロデュース作品とは、『銃』のような作品でした。
決して潤沢な予算もなければ製作規模も大きくない。しかし、ここにはかつての『海燕ジョーの奇跡』などの熱いスピリットがひしひしと感じられるとともに、日本映画界を席捲した時代の寵児がもう一波乱、何かとてつもないことをしでかしてくれるような、そんな期待(と不安?)に一気に包まれてしまったのでした。
日本映画界には「プロデューサー10年説」という、映画製作者の栄耀栄華はせいぜい10年といったジンクスがありますが、80年代初頭から映画製作のキャリアをスタートさせて、およそ40年の長きにわたって現役を貫いてきている奥山和由プロデューサーには、今後ともこのジンクスを覆し続けていただきたいものです。
(文:増當竜也)
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