『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』が深い「5つ」の理由!
©宮川サトシ/新潮社 ©2019「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」製作委員会
本日2019年2月22日より、映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(以下、『ぼくいこ』)が公開されます。人によっては「怖いよ!」「ホラー映画なの?」などとギョッとしてしまうかもしれないタイトルなのですが……実際の本編は誰にでも共感ができる、不器用な息子と、その息子に無償の愛を注ぐ母の姿を丹念に追った、感動のドラマが紡がれていました。その魅力を以下にたっぷりとお伝えします。
1:誰もが“大切な人の死”について考えられる物語だった
本作『ぼくいこ』でまずお伝えしておきたいのは、難病映画でありながら、人の死で泣かせようとする(言い方は良くないのですが)いわゆる“お涙ちょうだい”な内容にはなっていない、ということです。確かに愛する母親の死が物語の前提にあり、それは逃れられない悲しい出来事として描かれてはいるのですが、“それだけではない”尊い精神性があることが重要になっていました。
何が“それだけではない”のか……原作エッセイコミックの作者である宮川サトシさんの言葉を借りるのであれば「人の死にはエネルギーがある」ということ、そして「誰にでも訪れる死というものとどう向き合うか」という、ある意味では“前向き”とも言える哲学的な思考が劇中で投げかけられているのです。
死にエネルギーがある、前向きに捉えるなんて矛盾しているじゃないかと思われるかもしれませんが、この『ぼくいこ』は作品全体を通じて、そのことを劇中の様々な出来事を通じて論理的に説いている、それこそが主題と言っても過言ではない内容になっているのです。
例えば、原作コミックでは家族の病気療養を理由に教職を去ることにした高校の先生が、こう主人公に教えるシーンがあります。「私たちはいつか必ず死にます。例外はありません、必ずです。我々は1分1秒と死に向かって進んでいる。ですから、死に向かって生きている以上……あなたたちも私も、虚しくて寂しくて当たり前なんです」と。
この映画版『ぼくいこ』でも、主人公は大切な人の死を悼みながらも、この“当たり前の死”について、主人公は悩み、葛藤します。人は誰でも必ずいつか死ぬ、それは確かに悲しくて辛い出来事だけど、それを深く考えることにこそ意味があるのではないか、と……。
この死についての独特の思考、どこか達観をしているところがあったり、時には不謹慎にも思われる感情にもギリギリ踏み込んで、結果として普遍的に生きている全ての人が勇気をもらえる優しい教えを提示している……ネタバレになるので具体的に書けないのがもどかしいのですが、これこそが、本作のもっとも大きな特徴であり、多くの方に観てほしい理由なのです。
©宮川サトシ/新潮社 ©2019「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」製作委員会
2:ギョッとしてしまうタイトルの意味とは?
前述した“死について深く考える”という精神性は、「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」というタイトルにも密接に絡んでいました。
原作でも映画でも、主人公は「(母が亡くなった翌日の葬儀では)涙が出なくて不思議とぼくは始終冷静でした」と考えており、ともすれば達観しすぎて悲しんでないようにも見えるのですが、その直後に遺骨を見た時に彼は「食べたい」と衝動的に思うようになります。その時の忘れられない感情が、そのままタイトルになっているのです。
原作コミックのあとがきで、宮川サトシさんは(誰にでも共感できる感情ではないことを前提として)「“こんなにも根源的で究極の愛情を誰かに抱くことができたんだ”と、どこかそんな勇気を湧いてくる表題ではないか」と、これ以外のタイトルはないと考えて決定をしたのだとか。
「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」という人によってはギョッとしてしまうタイトルは、 “死について深く考える”ことの始まりになっているとも捉えられます。包括的に死について考えるためには、「母の遺骨を食べたい」という異常とも捉えかねない衝動も含める必要があるのではないか、無下にその感情を否定するべきではなく、そこから得られるものもあるのではないか、と。
そうした複雑な感情(同時に根元的で究極の愛情)を作品として提示することで、むしろ多くの人に勇気も与えられるのではないか…そんな尊い想いが、この独特のタイトルに込められているのです。
©宮川サトシ/新潮社 ©2019「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」製作委員会
3:安田顕や倍賞美津子が最高のハマり役!
みんなが超愛おしい!
作品の精神性について語って来ましたが、基本的に『ぼくいこ』は全く小難しい内容ではありません。それどころか、劇中ではクスクスと笑えるシーンも多く、大切な人の死を描きながらも過度にセンチメンタルにもならない、極めて“普通”の優しい家族の物語が描かれた、誰もが感情移入しやすい内容になっているのです。その親しみやすさは、主演の安田顕と倍賞美津子の存在感によるところが大きいでしょう。
安田顕の役柄の最大の特徴は、とっても良い意味で“カッコ悪い”ということでしょう。「塾の先生として仕事をしながら趣味のマンガを描いているけどそれを本業にはできていない」という立場であり、さらにはガンを宣告された母の“後ろ向き”な行動に声を荒げてしまったりもする精神的な弱さもある……その「ちょっとだけダメだけど愛おしい」というキャラクターは、誰にでも感情移入ができるのではないでしょうか。同時に、近年の『愛しのアイリーン』もちょっとだけ彷彿とさせる、ほんの少しだけの危うさや行きすぎた行動や感情(それこそ「母の遺骨を食べたい」と思うこと)をも安田顕は見事に表現しきっていました。
もう詳しく語ることもおこがましいほどの大ベテランである倍賞美津子は、本作では “本当に死にそうに見える”ため、観ていて辛くなってくるほどでした(もちろん褒めています)。日に日に弱っていくという悲しさがありつつも、同時に“お母さん”としての無償の愛、もっと言えば普遍的な“母は強し!”をここまで感じさせるというのは驚異的です。その倍賞美津子は、原作コミックの中で主人公とその兄が「母が倍賞美津子に似ている」などと話していることから、製作陣が「彼女は外せない」と決意しキャスティングがされたのだそうです。
さらに、“しっかりもの”の主人公の恋人役を松下奈緒、登場シーンは少なくても明け透けな物言いをしてインパクトは十分な兄を村上淳、強面で愛想がないように見えて実は弱々しくもある父を石橋蓮司と、みんなが文句なしのハマり役です。特に、母が亡くなった後に部屋がすっかり散らかってしまったシーンの石橋蓮司の悲しそうな姿が愛おしくて仕方がありませんでした(この時の美術も見事!)
どのキャラもステレオタイプではなく、生き生きとした人間としての魅力を放っているのは、言うまでもなく役者たちの演技力、そして後ろめたい感情も含めた“人間くささ”を丹念に描いていること、原作からのエッセンスの抽出が抜群に上手いことによるのでしょう。どのキャラクターも完璧なんかじゃなく、ちょっとずつカッコ悪くて、そして愛おしくて……そんな「映画の中の人たちがみんな大好きになれる」作品って、素晴らしいではありませんか!
©宮川サトシ/新潮社 ©2019「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」製作委員会
4:大森立嗣監督の新境地!
ナレーションの使い方が実に上手い!
映画版『ぼくいこ』の監督・脚本を担当したのは大森立嗣。俳優の大森南朋の兄にあたり、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』や『まほろ駅前多田便利軒』などの心理描写を大切にした人間ドラマに定評のある方です。
『さよなら渓谷』や『光』などハードで硬派な作品も多く手がける印象もある大森監督ですが、小林智浩プロデューサーはコメディである『セトウツミ』を観て、淡々とした日常をユーモラスに切り取るその“柔らかな側面”に驚いたのだそうです。今回の『ぼくいこ』の監督への指名は、「その先にある監督の新境地を見たい」というものだったのだとか。
不思議なことに、“人の心の闇”を描くことが巧みな大森監督ではあるのですが、その真逆の“人の優しさ”を表現することもまた上手いのです。それは淡々とした日常描写にもその“人となり”を示す要素を入れ込んいるからでしょう。結果として、『ぼくいこ』は小林プロデューサーの狙い通りの大森監督の新境地となり、誰にでもオススメできる作風と普遍性を備えた、豊かな映画にもなっているということが嬉しくて仕方がありませんでした。
また、昨年に好評を博してロングランヒットとなった『日日是好日』に引き続き、大森監督の“ナレーションの使い方の上手さ”も特筆に値します。
ナレーションは主人公の心理をそのまま言葉にしたものであり、下手をすれば役者の演技や演出の機微で伝えられそうなところを不必要なまでに装飾してしまうこともあるのですが、本作『ぼくいこ』ではそのナレーションが“観客にだけ示される”ことこそが、あるシーンで大きな感動を呼ぶように工夫されているのです。ナレーションの多くは原作コミックそのままなのですが、時には言葉の数を減らすことで、その心理に奥行きを持たせていることにも感服させられました。
※『光』と『セトウツミ』はこちらの記事でも紹介しています↓
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□2018年 “実話もの” 傑作20選!
5:他にもこんな原作からの工夫があった!
原作コミックも読んでみて!
他にも原作コミックから工夫された点は多くあります。主人公に深刻な血液疾患が見つかり入院したというエピソードは原作では大学生の時だったのですが、映画では思春期の頃に変更されています。ここでの母の行動は「病室にカレー持ち込んだら匂いが残っちゃうよ(これは原作からあること)」「そんなこと思春期の男子に明け透けに聞かないでよ!」というもので、これによりお年頃の子供におせっかいをしちゃうという「母親あるある」なおかしみが際立っていたりもするのです。さらに、終盤で明かされる“あること”は映画オリジナルで、108分というタイトな上映時間でしっかり物語のダイナミズムも作り出しているということ、そこでも“母の無償の愛”を示すことにもまた感動させられました。
さらに、主人公が「母のガンを宣告されたという現実を受け止めきれず、格闘家の山本KIDが頭に思い浮かぶ」というのも映画オリジナルです。実は脚本執筆時には当のKIDさんもガンを患っており、大森監督はそれを知らずにオファーをしていた(知っていたらオファーはできなかった)のだとか。そのオファーをKIDさんは快諾したものの、2018年9月18日に亡くなってしまいます。大森監督は当時に悩みながらもKIDさんのシーンを残すことを決意し、「あのリングでの神々しい姿は、死よりももっと強く僕の記憶に残っています」「山本KIDさんのご冥福をお祈りいたします」とメッセージを残していました。
総じて、映画版『ぼくいこ』は原作に対して、“実話もの”として誠実なアプローチをすると同時に、大森監督の作家性を存分に活かし、映像作品としての面白さも突き詰めていると言えます。原作コミックが好きであったという方はぜひ映画を観て、映画が好きだった方はぜひ原作コミックも読んでほしいです。原作者の宮川サトシさんによる“死について深く考える”意義と尊さも、より伝わるでしょうから。
ちなみに、2018年12月26日に出版された原作コミックの“新装版”の巻末には、宮川サトシさんが映画の撮影現場を訪れた時のエピソードが描き下ろしで収録されています。「え?その人がエキストラに出ていたの!?」と驚ける内容でもあり、“後日談”としても素晴らしい内容であるので、ぜひ読んでみてください。
(文:ヒナタカ)
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