映画『こどもしょくどう』が真摯に訴える日本の貧困と子どもたちの未来
(C)2018「こどもしょくどう」製作委員会
「こども食堂」という言葉を聞いたことはありますか?
現代の貧困対策の一環として貧しい子どもたちのために無料もしくは数百円で食事を提供してくれるスタイルの食堂スペースです。
時折、そのこども食堂に対して「今の日本の何がそんなに貧しいの?」「今の豊かな日本に食事もできない子どもなんかいるものか」みたいな声が聞こえてくることがありますが(それこそ昨年から今年にかけて世界的名声を得続けている『万引き家族』に対して「あのような現実などあるはずがない」などと批判している一部の輩と同類かもしれません)、ほんの少し五感を鋭くしながら周囲を見渡すだけで、社会の闇は容易に見えてくることでしょう。
もっとも、今回ご紹介する映画『こどもしょくどう』は、単にこども食堂をめぐる美談や感動エピソードなどを描いた作品では全くありません……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街368》
むしろ、なぜ、子ども食堂を設けなければならなくなったのかという原題日本の貧困の実態とその闇を、子どもたちの目で見据えた意欲作であり、『万引き家族』に負けず劣らず世界に訴え得る優れた人間ドラマなのです。
なぜ子ども食堂ができたのか
その内情の奥に潜む悲劇
映画『こどもしょくどう』の主人公は、小学5年生のユウト(藤本哉汰)。両親(吉岡秀隆&常盤貴子)は大衆食堂を営んでおり、小さな妹ミサ(田中千空)がいます。
ユウトには幼馴染の友人タカシ(浅川蓮)がいますが、彼の家は育児放棄の母子家庭で、みかねたユウトの両親がタカシのために、夕食をほぼ毎日のようにふるまっています。
一方、タカシは学校でイジメを受けていますが、そんな現場を目撃してもユウトはしらんぷり。ただしタカシもユウトに助けを求めようとすることはなく、どうやら今のふたりの友情の裏側には上下関係みたいなものが醸し出されているようにも思われます。
そんなある日、ふたりは河原で父親と車中生活をしているミチル(鈴木梨央)とヒカル(古川凛)の姉妹に出会いますが、やがて車の中から父親はいなくなり、姉妹だけが取り残されてしまいます。
見かねたユウトはミチルに声をかけ、食堂に連れていき、タカシと同じように彼女たちにも食事を出してほしいとお願いするのですが……。
本作の主人公であるユウトは中流ながらも恵まれた環境のもとで育ち、しかしながらそれゆえに事なかれ主義的な保身に走っており、一方ではタカシやミチルらと接することでどこかしら己の優越感に浸っている節もあります。
そう記すと鼻持ちならない存在に思われるかもしれませんが、実際ユウトのような子どもが世間の大多数なのかもしれません。
そして「子どもは社会の縮図」といった伝に倣うと、事なかれ主義を貫きながら成長した大人たちが社会の大半を占めることで、貧富の差はどんどん拡大していき、人生をうまく切り開いていくことができなくなる者が増大し、その分子どもたちにしわ寄せがいくという悪循環……。
さらには大人だけでなく、未だ分別のつかない10代の若者たちによる軽薄な行為も……。
毎年2月になると騒がれる恵方巻廃棄問題もさながら、資本主義の論理で余剰食料を平気で捨ててしまうのもまた日本社会の実態であり、モノは余っているのに全てに行き渡ることのない社会のひずみもまた、子どもたちにさまざまな悲劇をもたらしているようです。
(C)2018「こどもしょくどう」製作委員会
『火垂るの墓』の時代と同じ
現代の子どもたちの悲劇
今の日本は6人に1人の子どもが貧困状態にあるとのことで、これは先進国の中では突出して「相対的な貧困状態」にあることを指し示しています。
かたや日本全国どこの町にもコンビニなどが夜を照らし続け、実に便利で快適に思われがちな現代ではありますが、光が強ければ闇もまた濃くなる道理で、その闇に子どもたちは次々と引き込まれていくかのようです。
監督は実写版『火垂るの墓』(08)の日向寺太郎で、かつて物資の乏しい戦時下という極限状況の中の子どもたちの悲劇を描いた彼は、戦後70年を過ぎてかろうじてまだ平和が維持され続けている今の時代の中の子どもたちの悲劇が同一であることを(いや、もしかしたら今の時代のほうが物資に恵まれた環境下にあるだけに、よけい始末に負えないことを)訴えているかのようです。
『火垂るの墓』の中では、幼い兄弟につらくあたる親戚(松坂慶子)の姿を通して、そうしないと自分たちが生きていけないという極限状況下の日本の悲劇までもが描かれていました。
一方で本作の中に登場する大人たちは、比較的聡明なユウトの両親たちですら、裕福であるはずの今の時代の子どもたちの貧困をどのように直視し、どう判断したらいいのか思い悩みつつ(夫婦の間でも意見は対立します)、なかなか答えを出せません。
もっとも、そんな中でも子どもたちは日々着実に成長していくもので、ユウトやタカシ、ミチルらの交流から育まれる後半のあるエピソードを通して、闇の中から一筋のほのかな明かりがもたらされ、それは映画的カタルシスをもたらすとともに、観客ひとりひとりにそれぞれこの問題と対峙しなければいけないという意識にまで導いてくれること必至でしょう。
実際、子ども食堂はボランティアによって運営されているところも多く、地域の理解の有無や、また本当に困っている子どもたちに食事が届いているのかといった新たな課題も出始めているとのこと。
「働かない親が悪い」の一言でこの問題をすまそうとし、現実の貧困を直視しようともしない一部の声がSNSなどを席捲したかと思えば、カップヌードルの値段すら知らないような政治家たちによって社会が成り立ってしまっている今の日本の中で、私たちはこれからどう行動していけばいいのか、本作の中で見事なまでに好演を示してくれる子どもたちが導いてくれることと確信しています。
(文:増當竜也)
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