映画コラム
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を読み解くための「3つ」の鍵!
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を読み解くための「3つ」の鍵!
クエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が、8月30日から遂に日本でも劇場公開された。
マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺人事件を、レオナルド・ディカプリオとブラット・ピットの豪華共演で、あのタランティーノ監督がどう描くのか? 公開前から映画ファンの期待も非常に高かった本作。
鑑賞前からあれこれ想像は膨らむばかりだが、果たしてその内容と出来は期待通りのものだったのか?
ストーリー
リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、人気のピークを過ぎたテレビ俳優。映画スターへの転身を目指して焦る日々が続いていた。そんなリックを陰で支えるクリフ・ブース(ブラット・ピット)は、彼に雇われた付き人兼専属のスタントマン、そして親友でもあった。
ハリウッドで生き抜くことに神経をすり減らしているリックと対照的に、いつも自分らしさを忘れないクリフ。そんなある日、リックの自宅の隣に時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と、新進女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)夫妻が引っ越してくる。今まさに最高の輝きを放つ二人と、落ち目のテレビ俳優の取り合わせ。このハリウッドそのものな明暗に、リックは再び俳優としての光明を求め、イタリアでマカロニ・ウェスタンに出演する決意をするが…。
そして、運命の1969年8月9日、それぞれの人生を巻き込み映画史を塗り替える“事件”は起こる。
予告編
鍵1:主人公リックや、クリフのモデルは?
数々の映画関係者が実名で登場する本作だが、架空の人物である主人公リック・ダルトンと付き人兼スタントマンのクリフ・ブースにも、実はモデルとなった人物が存在する。
特にリックのキャラクターは複数の人物をミックスして出来上がっているため、重度の映画ファンであるほど、彼のエピソードや出演作品に隠された元ネタに気が付いて、思わずニヤリとなるように仕上がっているのだ。
主人公リックの代表作として登場するモノクロのテレビ西部劇は、スティーブ・マックイーンの出世作となったテレビ西部劇『拳銃無宿』を思わせるものだが、テレビの西部劇からスクリーンへの転身を遂げた成功例として、スティーブ・マックイーンが本作で象徴的な存在として扱われていることは、映画序盤のプレイボーイマンションでのパーティーに彼が登場している点や、名作『大脱走』の映像を使った架空のシーンなどにもよく表れている。
テレビの西部劇への主演から後年イタリアに渡って西部劇に出演し人気スターとなる男優という彼の設定を聞いて想像するのは、やはりクリント・イーストウッドその人だろう。
それ以外にもリックの親友がスタントマンで、後にリックがセルジオ・コルブッチのマカロニ・ウェスタンに出演するという設定からは、同じくテレビ西部劇『ガンスモーク』や刑事ドラマ『夜間捜査官ホーク』に出演し、その後イタリアに渡りセルジオ・コルブッチの西部劇『Navajo Joe(邦題:さすらいのガンマン)』に主演した、バート・レイノルズを連想させる。
この点を踏まえれば、バート・レイノルズのスタントマンから、後にアクション映画の監督となったハル・ニーダムが、クリフのモデルになったとも考えられるだろう。
ちなみに、タランティーノ自身がインタビューに答えたところでは、ブラット・ピット演じるクリフは第二次大戦中にグリーンベレーに所属しており、戦争中に実際に多くの敵兵を殺した経験を持つ男だとのこと。
この裏設定を聞くと、どうしても『イングロリアス・バスターズ』でのブラット・ピットの役柄を連想してしまうのだが、こうした極限状態を経験したからこそ、リックに対する嫉妬や自身のキャリアに対する焦りといった感情から、クリフは自由でいられるのだろう。
このように、実際のハリウッド映画史に基づきながらも、現実と虚構・空想を上手くミックスして観客を次第に映画の魔法にかける本作は、鑑賞後に改めてその歴史や事実を検証したくなる面白さに満ちている。
本作に触れて当時のハリウッドの時代的背景や製作状況に興味を持たれた方は、是非ご自分でも検索して調べて頂ければと思う。
鍵2:リックの眼帯の理由は?
華やかな60年代初頭から、ベトナム戦争や政治への不信などにより次第に影を落とし始めた1969年のハリウッド。
本作の舞台となる1969年に公開された過去の映画が次々に登場する本作は、まるでタランティーノ監督の記憶の中に残る、幸福な映画の思い出を再現しているかのようだ。
スクリーンに登場する映画館の看板に書かれたタイトルを一つずつチェックするだけでも楽しいのだが、実際の映像が登場する『大脱走』や『サイレンサー 破壊部隊』には、監督の特別な想いが感じられるのも事実。
もちろんこうした現実の部分だけでなく、映画の中に登場する架空の映画や名前などの元ネタ探しも、ファンにとっては重要な楽しみの一つとなっている。
例えば、リックの過去の主演作として観客に強烈な印象を残す戦争映画『マクラスキー 14の拳』のシーンで、軍服姿の彼が黒い眼帯をかけているのは、1969年公開の傑作戦争映画『大反撃』でバート・ランカスターが演じた、片目に眼帯をした主人公ファルコナーへのオマージュであり、更に同じ1969年に公開された西部劇の大スター、ジョン・ウェイン主演の『勇気ある追跡』の主人公ルースター・コグバーンへのオマージュと、同じ西部劇出身の大先輩への敬意とも取ることが出来るのだ。
ちなみに、火炎放射器でナチスを丸焼きにするシーンは、若干年代がずれるが1976年日本公開の映画『追想』のラストシーンへのオマージュとなっており、加えて海外でもカルト的な人気を誇る、1966年の日本映画『俺にさわると危ないぜ』を連想させるものとなっている。
(一見意味不明なタイトル『14の拳』だが、おそらく1975年の志穂美悦子主演作『若い貴族たち 13階段のマキ』へのオマージュと思われる)
こうした1969年公開映画ネタ以外にも、本作では当時のラジオで放送されていた、映画・テレビ関係のニュースや番組音声が各シーンで効果的に使用されており、実はエンドクレジットの最後に流れる『バットマン』のテーマも、何と当時の番組宣伝用の音声というこだわり方!
他にも、カーステレオから流れている番組の音声で、レイ・ブラッドベリ原作の1969年公開の映画『いれずみの男』について喋っているのだが、残念ながらこの部分は字幕に訳されていない。
これからご覧になる方、或いは再度鑑賞される方は、是非ラジオの音声や街中の映画館の看板などの細かい部分に注意して頂ければ、きっと新たな発見があるはずだ。
鍵3:果たして、ブルース・リーの描き方は正しかったのか?
シャロン・テートやチャールズ・マンソンと並んで本作の話題となっているのが、何といってもあの伝説のアクションスター、ブルース・リーの若き日の姿が描かれること!
ファンにとっても実に楽しみな彼の登場だったが、何とアメリカでは、本作中のリーの描き方が"侮辱的"だ! との批判的意見に晒されることに…。
未だに論争が続いている今回の騒動をネットニュースでご覧になった方も多いと思うが、では果たして本当にリーの描き方は正しかったのだろうか?
タランティーノ監督自身がマスコミに対して答えた通り、リーの死の直後に出版されたリンダ夫人の回顧録「悲劇の死/ブルース・リー」の中には、確かに「後に彼は、モハメド・アリのようなチャンピオンでも負かせてみせると、熱っぽい口調で語っていたことがよくありました」と書かれており、また『グリーン・ホーネット』にエキストラとして参加していたピーター・チンは、セットでのブルース・リーの行動にうんざりさせられた人もいたと回想しながら、「彼はしょっちゅう筋肉を見せ、自分がいかに強いかということを誇示していた」と証言している。
実際、ブルース・リーは高校時代にボクシングの選手でもあり、三年連続チャンピオンの座を守っていたイギリス人学生を、決勝戦でKOしたほどの実力の持ち主だった。こうした事実を踏まえれば、モハメド・アリに対する彼の発言は、ほぼ真実に近いと考えられるのだ。
リーの私生活に対する情報の正確性を、一番身近にいたリンダ夫人の手記、それも死後すぐに出版された回顧録に求めたタランティーノ監督の選択は非常に賢明だったのだが、優れた武術家・哲学者・求道者として2000年以降に急速に神格化されたリーに対する現在の認識と、かなりのズレが生じてしまった結果、今回のような問題に発展したことは想像に難くない。
実際、当時のハリウッドではアジア系俳優の地位はまだ低く、リーがテレビシリーズの準主役として起用されたことは、極めて異例のことだった。
そのため、主役のグリーン・ホーネットを凌ぐ人気者だったとはいえ、アジア系の新人俳優というリーに対する逆風は強く、周囲に対して自身の存在を主張し地位を確立するためには、多少のハッタリや自信に満ちた態度は必要不可欠だったのだ。
あくまでも、本作の撮影所のシーンで周囲に対して生意気な口を叩き、挑発的な態度を取っていたのは若き日のリーの姿であり、映画本編の内容を踏まえれば、本作でのブルース・リーの性格や行動も、様々な年代・時期における彼のエピソードを統合して作り上げたものだと言える。
そこにドキュメンタリーのような事実に即した内容・ディテールを要求するのは、若干酷というものだろう。
ただ1点だけ、ブルース・リーは実戦で"飛び蹴り"は絶対に使わなかったので、その部分だけは明らかな間違いだと言っておく。
ハリウッドでの活動中、実はスティーブ・マックイーンやシャロン・テートとも交流があったブルース・リー。そんな彼の存在こそが、本作の登場人物やエピソードを結び付ける重要な"横糸"となっているのは間違いない。
ちなみにリーが『サイレンサー 破壊部隊』のアクション指導として雇われたのは、1968年7月5日のこと。その直後の8月1日には映画『かわいい女』に悪役での出演が決まるなど、テレビドラマ『グリーン・ホーネット』の放送終了により、映画の世界へと活動の場を移そうとしていたリーと、主人公リック・ダルトンの境遇が重なることが、お分かり頂けると思う。
1969年4月19日には長女のシャノンが生まれるなど、この年はリーにとっても人生の転換期に当たり、『グリーン・ホーネット』のプロデューサーの助言により、有名人相手の武術の個人レッスンを始めたのもこの頃。スティーブ・マックイーンは彼の有名人の弟子第一号となったし、シャロン・テートの夫、ロマン・ポランスキー監督にいたっては、スイスにブルース・リーを呼んで個人レッスンを受けるほどの人気だった。
本編中にリーが武術の個人指導をしている描写が登場するのは、実はこうした事情によるものなのだ。
このように、シャロン・テートやチャールズ・マンソンだけでなく、ブルース・リー視点から見てもいろいろな楽しみ方が出来る本作。
本作鑑賞後に彼の人生に興味を持たれた方は、是非リンダ夫人の手記にも目を通してみては?
最後に
既に多くの方がネット上で発言されている通り、全編を通してタランティーノ監督の映画愛が溢れる傑作に仕上がっていた本作。
中でも、マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートが、何と、ロマン・ポランスキーが1979年に映画化する小説「テス」の初版本を買う! というシーンには、この悲劇的事件に対するタランティーノ監督の深い悲しみと怒りを感じずにはいられなかった。
加えて、本作中にシャロン・テートやブルース・リーを登場させることで、俳優としての輝かしいキャリアの途中でこの世を去らねばならなかった者たちに光を当て、時代の流れに忘れ去られようとする彼らを甦らせて、永遠の命を与えようとしたタランティーノ監督の想いが込められたラストシーンこそ、正に映画が持つ魔法の力と無限の可能性を物語るものと言えるだろう。
実は本作で描かれているのは、1960年代後半にハリウッドを襲った急激な時代の変化に取り残されまいとあがくリックと、全く動じず自分の生き方を曲げないクリフの姿を通して、この時代のハリウッドで映画人がどう生き、どう対応していったか? その生き様に他ならない。
テレビ俳優から映画への転身に失敗し、不本意ながらテレビ番組の悪役としてのゲスト出演に甘んじているリックの姿は、後にスクリーンに活躍の場を移して大成功したテレビ出身俳優、クリント・イーストウッドやスティーブ・マックイーン、バート・レイノルズなどのようになることを夢見て挫折していった多くの俳優たちの象徴であり、同時にこれは、『グリーン・ホーネット』終了後にキャリアが伸び悩んだブルース・リーの姿にも重なるのだ。
本作で観客の心を掴むのは、やはり酒に溺れてセリフさえも満足に覚えられなくなっているリックが、撮影所で出会った子役の少女と演技を通して分かりあい、彼女の"ある言葉"に涙するシーンだろう。
時代に取り残された男と次の時代を担う少女とが、同じプロの演技者として世代を超えてお互いを認め合うという展開は、映画の持つ魔力と俳優という仕事の素晴らしさが表現された多幸感あふれるシーンとなっているので、是非お見逃しなく!
(文:滝口アキラ)
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