『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』と同じ時代の庶民を描いた映画たち
戦時下の日本も晴れ
『この世界の片隅に』を見ますと、とかく暗い時代のように思われていた当時の日本にも実は明るい陽射しが降り注ぐ日がいっぱいあったことを、戦争礼賛とはまったく無縁の次元で優しく描いてくれているのが見てとれます。
戦争の時代を描いた日本映画も総じて重苦しいイメージがつきまといますが、たとえば『人間魚雷回天』(55)『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(60)『連合艦隊』(81)など、浄土真宗の僧侶で“社長”シリーズなど喜劇映画の名匠でもあった松林宗恵監督が手掛けた戦争映画の数々に接しますと、当時の銃後の明るさも暗さも等しく描かれていることに気づかされるとともに、戦争責任は軍人や政治家のみならず国民一人一人にもあるといった厳しい連帯責任の訴えと、一方では時代の流れを止めることは誰にもできないといった仏教的無常観が醸し出されています。
対して『大日本帝国』(82)なるぶっそうなタイトルの超大作は、太平洋戦争開戦時の首相・東條英機をクローズアップしたがゆえに公開前から激しい上映反対運動が巻き起こりましたが、蓋を開けてみると東條もその他の軍人も政治家も、そして国民も等しく天皇制の支配下にあった事実を鋭く示唆していくという、『仁義なき戦い』シリーズの脚本家・笠原和夫ならではの強烈なメッセージとハリウッド超大作『トラ・トラ・トラ!』(70)日本側監督(深作欣二と共同)も務めた舛田利雄監督の豪快な演出が、日露戦争の激戦を描いた初コンビ作『二百三高地』(80)に続いて見事に結実した問題作でした。
その中で床屋の夫が南方戦線に出征し、一時帰国するも戦争の狂気にとり憑かれてしまっていることに気づいた妻が、自らの肉体をもって夫の心を国家から奪還させることに成功するというエピソードが登場しますが、ここには運命に負けじと対峙する庶民の前向きな気概が感動的に描出されています。
戦艦大和の運命を描いた超大作『男たちの大和/YAMATO』(05)では『この世界の片隅に』の舞台である呉に寄港した大和の乗組員たちが最後の休暇に降り立ちますが、そこでは若き恋人たちをはじめ、母と子、なじみの娼婦、若夫婦などの別れのエピソードが次々と描かれていきます。
公開当時それを「お涙頂戴」と批判する向きもありましたが、当時の状況を知る世代の佐藤純彌監督は「戦時中は毎日のように、ああいった別れの光景を町のあちこちで日常的に見かけたものでした。つまり『お涙頂戴』はあの時代のリアルだったのです」と答えています。
こうした戦中のリアルの反動ゆえか、お涙頂戴は戦後になって否定される傾向にあり、心が乾ききってひからびた結果が2019年のリアルなのかもしれませんが、まもなく戦後75年を迎える中、『この世界の片隅』が『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』として蘇り、またいくつもの涙で心を潤してくれることで何某かの新しい想いが見る側の内に生まれることを期待してやみません。
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(文:増當竜也)
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