あの日映画館で見た老人の名前を僕達はまだ知らない。
映画館には色んな人が居る。例えば200人規模の箱であれば、学校でいうと5〜7クラスくらいだろうか。つまり1学年である。当然、優等生もいればちょっとマナーが悪い奴も居るし、それだけいりゃあ変な人も居るわなと考えていて、ふと思い出した。
日比谷シャンテでエミール・クストリッツァの『オン・ザ・ミルキー・ロード』を鑑賞した時のことだ。前には2人組のご老人が座っていた。衣服は双方、布の殆どの面積を柄が占めており、髪の毛は紫をしている。別にそれは構わない。「ああ、前の婆さんたち、ちょっとクストリッツァっ映画ぽいな」と微笑ましく眺めていた。上映前だったので、2人は楽しそうに話をしている。漏れ聞こえてくる内容によれば、両人ともすでにリタイア組で、毎日のように映画を観に来ているそうだ。これまた微笑ましい。
2人は相当仲が良いようで、動作のひとつひとつが驚異的なシンクロを見せる。同時にバッグの中をガサゴソと探りはじめると、どう考えても日比谷シャンテのコンセッションでは販売されていない助六寿司のパックが取り出され、とても自然な仕草で食べ始めた。別にそれも構わない。いや、駄目なんだけど。スタッフでない私が注意するのも野暮というものだろう。幸い、今は上映前である。上映中にやられたら気になって仕方がないが、映画館で助六寿司を2人同時に、同じ動作で食べる人たちは初めて見たので「あ、これ後でネタになるな」と思い、観察を続けた。
2人は予告編が開始される時間ピッタリに食事を終えた。この時間感覚の鋭さは、おそらく、毎回助六寿司を食べているのだろう。予告編後、本編が上映されはじめると、2人は再び、同じ動作でバッグの中をガサゴソとし始めた。私はもう、「また出るのか? 助六寿司が?」と映画どころではない。画面の中のモニカ・ベルッチよりも、目の前のバ○○・ナニダスッチである。
果たして、ご老人たちのバッグから出てきたものは、緑茶を凍らせたペットボトルであった。2人はペットボトルを右手に持ち、斜め45度の角度でシャカシャカと、年齢を感じさせないほど軽快に振り始めた。「ああ、なるほど、氷を溶かすんだな」と考えているうちに、画面の中では、モニカ・ベルッチがミルクのたっぷり入った缶をガッパンガッパン言わせながら主人公に走り寄っていたが、それどころではない。目の前では『オン・ザ・リョクチャ・ロード』が繰り広げられているのである。目の前で振られているペットボトルのリズムは、彼女たちなりのバルカンビートなのだ。
ペットボトルの軌跡を目で追っていると、ラベルが剥がされていることから、毎日のように使われているものだと推察できた。毎日のように連れ立って映画館に来て、助六寿司を食べ、凍らせた緑茶を振る。今、私の目の前に座っている2人の人生には、いろいろなことがあっただろう。生まれて、学校に行き、就職し、恋をして、結婚をして、子どもが生まれて、子育てをする。子どもも自立し手がかからなくなり、旦那も定年となった。今まで色々と我慢をしてきた。残りの人生は自分の趣味を思い切り楽しもう。その時は、1人よりも2人の方がきっと楽しい。そうだ、近所の吉田さんを誘おう。映画に行くなら、ご飯を持っていかなくっちゃ。直ぐに食べられるものがいいから、助六寿司がいいわね。飲み物も買うと高いしゴミになっちゃうから、家でお茶を淹れて凍らせていきましょう。うふふ、なんだか遠足みたい。今日は何の映画をやっているのかしら。内容はわからないけど、とっても楽しみね。
と、思わず彼女たちの人生を想像しまった。なんて豊かな時間なのだろうか。彼女たちにとって、やっと手にした平穏な時間を、楽しい遠足を、邪魔などできるわけがない。
映画が終わる頃、ペットボトルの氷は未だ5割ほど残っていた。今でもどこかの劇場で、楽しそうに映画を観ている2人がご健在であることを祈る。
(文:加藤広大)
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