『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』|地下鉄サリン事件を生き延びた監督と現役信者の魂の対話
20世紀末の日本を震撼させたテロ事件、地下鉄サリン事件。平和と思われていた日本の首都、東京の政府中枢につながる地下鉄で無差別なテロ事件が起きた前代未聞の事件で、日本社会のみならず世界を騒然とさせました。
2021年3月20日から公開されるドキュメンタリー映画『AGANAI サリン事件と私』は、地下鉄サリン事件の被害者である人物が、Aleph(オウム真理教の後継団体)広報部長の荒木浩と対峙する、究極の当事者性を持った作品です。
地下鉄サリン事件については、様々な視点から多くの報道がなされ、ドキュメンタリーやノンフィクションなども多数制作されていますが、本作は既存の報道の枠には収まらない視点を持っています。
本作の監督、さかはらあつしさんは95年、通勤途中に地下鉄サリン事件に遭遇、PTSDに長年苦しんできました。そして事件から20年を経てあの事件と向き合うことを決意。荒木氏とともに故郷を巡る旅へと出ます。
荒木氏は、事件発生以前からオウム真理教に入信しており、事件後は広報担当として教団のスポークスマン的な立ち位置で活動していました。森達也監督のドキュメンタリー映画『A』でも中心的に取り上げられている存在で、ご存じの方も多いかもしれません。
さかはら監督は、荒木氏と友人のような気軽さで接します。電車の中でイヤホンを2人で分け合って音楽を聴いたり、川で石を投げて水切りに挑戦しながらはしゃぎあったり。その姿には被害者と加害者という立場を超えた友情のようなものを感じさせます。
しかし、さかはら監督は時折するどい質問を投げかけます。あの事件をどうとらえているのか、今でも教団に居続けるのはなぜなのか、被害者への謝罪をしないのはなぜなのか等々。その問答から浮かび上がるのは、荒木氏が事件や自分の人生としっかり向き合えていないのではないか、という疑念です。そして、さかはら監督は荒木氏に自分の人生と向き合うように諭していくのです。
本作は、被害者が加害者を糾弾するような作品ではありません。さかはら監督は、映画の中で一貫して事件が起こった本当の理由やオウム真理教を信仰する心の奥底を知ろうとします。2人のやり取りは時にセラピストと患者のように見えてきます。
事件を多角的に論じるような作品ではありません。あの大事件の、知られざる真実が明らかになるという衝撃もありません。しかし、観た人の心に確実に深い何かを染み込ませる作品です。本作は、外面的な真相以上に、人の内面の真実に迫っていると言えるでしょう。現代日本に深い傷跡を残した事件を知る上で大変貴重な作品です。
(文:杉本穂高)
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