『るろうに剣心 最終章 The Final』レビュー:「宿命の映画」
自ら築いてしまった高すぎる壁
『るろうに剣心』の映画化の際、特にシリーズ化となった『るろうに剣心 京都大火編』『るろうに剣心 伝説の最後編』を制作した時、主演の佐藤健、そして監督の大友啓史の心には緋村剣心(=人斬り抜刀斎)の”人斬りとして最初と最後”を描く、原作の“人誅編”“追憶編”にあたる部分を語り切らなくてはいけないという使命感が芽生えました。
とは言え、大友監督が自分の限界を超える現場と表現する『るろうに剣心』の撮影、しかも2部作という困難な大型プロジェクトを完走した後で、もう一度『るろうに剣心』に手を付けるには心身共に苦労と疲労を忘れる時間が必要でした。
その一方で、主演の佐藤健は「このエピソードを撮らずに人生を終えることはできない」と語る程の思い入れと使命感を表してもいました。と言いつつ「“やりたい”と“やりたくない”という気持ちが常に同じくらい心の中に存在していた」とも語っています。
大友監督は「挑戦を重ね、未知の領域に挑み続けてきた中で、観客の映画『るろうに剣心』に対する目も肥え、スタッフ・キャスト自らが目指すハードルが自然と高まっていった。その中で“それ以上”を創り上げる環境が用意できるのかという不安はあった」と腰が重かったことも正直に語っています。
しかし、その一方で、30代に入り名実ともに日本映画界を支える存在となった主演の佐藤健を筆頭にしたキャスト陣、作品を支え続けたスタッフ陣の成長した姿を見た大友監督は「一蓮托生でもう一度ネクストステップを目指したい。新しい景色を見たい」という気持ちが次第に強くなります。そして、『るろうに剣心』は自らが築き上げた高すぎる”自分自身”という壁にを乗り越えるために三度、映画への道を歩み始めることになります。
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(C)和月伸宏/集英社 (C)2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会