映画コラム
『ハンバーガー・ヒル』レビュー:ヴェトナム戦争映画の隠れた傑作がまさかのリバイバル!
『ハンバーガー・ヒル』レビュー:ヴェトナム戦争映画の隠れた傑作がまさかのリバイバル!
■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」
1987年に制作され、同年日本でも公開された『ハンバーガー・ヒル』が4月16日からリバイバル公開されます。
正直このニュースを初めて聞いたときは、自分の耳を疑いました。
なぜ、映画史の中から忘れ去られているかのようなこの作品が、今頃になってリバイバル?
しかし一方では、自分と同じようにこの作品を支持してくれている人が一定数いたのだなと、改めて我が意を得た気持でもありました。
『ハンバーガー・ヒル』、これこそは私が思うに、少なくともヴェトナム戦争を描いた映画の中で最高傑作!
戦争映画全体から見ても10本の指にカウントできる、名作中の名作と信じて疑わない作品です。
1970~1980年代の
ヴェトナム戦争映画の流れ
『ハンバーガー・ヒル』そのものを語る前に、公開当時の1980年代の戦争映画の経緯みたいなものについて軽くお伝えしておきましょう。以前『ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実』(19)を紹介させていただいたときも触れたことですが、ヴェトナム戦争たけなわの1960年代後半はハリウッドきってのタカ派ジョン・ウェインが監督主演したヴェトナム戦争肯定映画『グリーン・ベレー』(67)が作られ、それに反発する世界中の映画人が『ベトナムから遠く離れて』(67/フランス)『ベトナム』(69/日本)などの反戦運動映画などを発表したりしていたものでした。
やがて1970年代に入り、アメリカは敗北を認めざるを得ない状況へと追いやられ、それに呼応し合う形でヴェトナムの戦場から帰還した兵士たちのその後を描いた映画が『ソルジャー・ボーイ』(72)以降定期的に作られるようになっていきます。
特に『タクシー・ドライバー』(76)『ローリング・サンダー』(77)『ドッグ・ドルジャー』(78)といった帰還兵らがアメリカの闇と向き合うヴァイオレンス・アクション路線と、『幸福の旅路』(77)『ディア・ハンター』(78)『帰郷』(78)など戦場で心の傷を負った人々の苦悩を描いたものとに大きく二分。
60年代後半より上演されて人気を博した反戦ロック・ミュージカル「ヘアー」も1979年に映画化されました。
同時に『戦場』(77)『地獄の黙示録』(79)とヴェトナムの戦場そのものを描いた作品も登場し、特に後者は世界中を賛否の嵐に巻き込む問題作として話題になりましたが、前者も『ハンバーガー・ヒル』同様に知る人ぞ知る“隠れた戦場映画の名作”の誉れ高い作品です。
1980年代に入ると、帰還兵に対するアメリカ国民の偏見などもモチーフにしたアクション映画『ランボー』(81)が作られますが、このときの監督テッド・コチェフはその後、ヴェトナムの戦場で行方不明(=MIA)となった我が子を救出しようとする父とその仲間たちの無謀なミッションを描いた『地獄の7人』(83)を発表。
これがヴェトナムの敗北から立ち直り、再び強きアメリカを再建しようと説く1980年代レーガン政権の気風ともマッチしたか、その後も続々とMIA映画が作られるようになっていきます。
前作で自国アメリカの人々から心無い仕打ちを受けたランボーも続編『ランボー怒りの脱出』(85)でヴェトナムに舞い戻り、以後、主演のシルヴェスター・スタローンの人気を支える大ヒット・シリーズと化していきます。
また一足先に製作されたチャック・ノリス主演の『地獄のヒーロー』(84)もシリーズ化。
しかし、こういった風潮に異を唱えるかのように1986年『プラトーン』が登場します。
これはヴェトナム帰還兵でもあったオリヴァー・ストーン監督の実体験に基づく作品で、戦場におけるさまざまな過酷な現実を露にしたもので、アカデミー賞作品・監督・編集・録音賞を受賞。
これによって一気にヴェトナム戦争映画がブームと化していき、当時勃興し始めたビデオレンタル店ラッシュの中、劇場未公開作品までも多数日本で鑑賞することが可能となっていきました。
そして『ハンバーガー・ヒル』は、『プラトーン』(日本公開は1987年4月29日)とスタンリー・キューブリック監督の超大作『フルメタル・ジャケット』(87/日本公開は1988年3月19日)の間に挟まれるような形で、1987年9月12日に日本公開されました。
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