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「六本木騎士ストーリー」第1章の独占無料公開&弘兼憲史✕守川敏 対談インタビュー



弘兼憲史の最新作「六本木騎士ストーリー」。女優の卵が在籍するクラブとして高い人気を誇る「クラブチックグループ」。オーナーの守川敏氏は、現在ナイトクラブの事業とともに、ワイン事業でも名を馳せる。度重なるライバル店からの嫌がらせ、反社会勢力からの暴力、スポンサーからの裏切りが相次ぐ六本木の地で、なぜ彼はまっとうに這い上がることができたのか。

本作の主人公である守川敏氏は実在の人物である。本記事では原作者の弘兼憲史と守川敏氏の特別対談をお届けすると共に、特別に「六本木騎士ストーリー」第1章を独占で無料公開する。



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――弘兼先生と守川社長の出会い、きっかけを教えてください。

弘兼憲史(以下、弘兼):最初は二十数年前ですね。僕の母校である山口県岩国市の高水付属中学校・高水高校という所の校長先生が上京してきた時に、「お前の後輩で六本木で非常に成功してる奴がいる」と。彼の店に行ってみないかということで、一緒に行ったのが最初でした。


――その時はご挨拶ぐらいですか。

守川敏社長(以下、守川):そうですね。


弘兼:始めてまだ3年くらい?

守川:まだそこまでいっていなかったかもしれないですね。お袋から校長先生が来るからって言われて。校長が来るのかと思ったら、先輩紹介したるみたいな(笑)

「ええっ、もしかして、島耕作シリーズの弘兼先生!?」みたいな驚きでしたね。


ーー守川社長は岩国のご出身ですけども、漫画を拝見すると、途中から府中へ引っ越しされたとか。

守川:そうです。高校の時に親父の転勤で東京の都立高校に転校しました。


ーー岩国からいきなり東京のど真ん中に上京されて、守川少年としてはどのような感じでしたか。

守川:そうですね。なまりをいじられたりとかありましたけど、親父がその後ですね、いろんなことがあって会社を失職したんですね。自分の自由なお金も手に入れたいので、すぐにアルバイトを始めて、東京来てからもう働きづめでしたね。




ーー漫画を拝見すると、スカウトマンの実績を認められて若干21歳で店長に抜擢されたということで。スカウトマンが店長になると立場も違いますし、覚悟が変わってくるのかなと思うのですが、夜の世界で身を立てる決意はいつ頃芽生えたのでしょうか?

守川:もちろん仕事も認められ、ゴンドウさんというオーナーに「お前店長やれ」って、あの渋い強面の顔で言われて。その時は大学に籍はあっても、大学に行ってなかったんですよね。

親からも、学校行け行けと言われ、いつか戻らなきゃ戻らなきゃと。ある日、覚悟を決めて、大学に行ったんですよ。その時は、3年生でお茶の水校舎に移動してたんですけど。

大学に行って、教室入ったら誰もいないんです。おかしいなと思って教務課行ったら「開校記念日でお休みです」って言われて(笑)。それがきっかけですね。


ーーなるほど。

守川:これはもう行くなってことで。このままこの道で生きていけと(笑)。


ーー行くなってことで、運命だと(笑)。

弘兼:いい理解です。ターニングポイントがいいですね。学校にフラれたと(笑)。




ーー雇われの店長さんが、自分でお店を持たれるようになったきっかけは何ですか。

守川:そうですね。バブル崩壊とともに、そのわたりだこで店長やってたんですけども。わたりだこ自体は最後まで繁盛していましたが、会社グループ自体がなくなってしまいました。

従業員路頭に迷うじゃないですか。どうしようということで、残った従業員と当時の上司たちと、「スマイル」というお店を立ち上げて、非常に大繁盛しました。

本当に大繁盛して、、「TSK・CCCターミナルビル」という昔の「東声会」のビルを間借りして、大きな大きなスマイルというお店をやったんです。

漫画にも少し出ていますが、立ち上げ時に僕もなけなしの資本を入れたり、いろいろやりましたが、お店も大繁盛してだいぶ落ち着きました。

しかし、最初と条件が違うこともあり、辞めたいと言ったらあっさりOKが出てしまいました。「辞めたい」と言ってしまった以上どうしようかな、と。

その時点では、独立しようとかお店をやろうなんて気持ちはそれほどありませんでした。

しかし、今まで慕ってくれたスタッフ達も「私達も辞める」と言ったきたので、「じゃあお店やろう」と考えました。

やり始めたのは良いのですが、資本も何もない。資本作りから始めて、なんとかオープンにこぎつけました。


ーーそれが「クラブチック」の始まりということですね。スマイルを仲間たちとやって、ある意味そのオーナーというか、出資的な部分というのは経営に一緒にやるような形でやってたんだけども、やっていくうちに少し見解の相違っていうなんていうんですか。

守川:そうなんでしょうね。


ーー仲違いではないが、袂を分かつことになってチックへという流れでよろしいですか。

守川:そうですね。


ーーその仲間たちに担ぎ上げられるという感じだったのでしょうか。

守川:うーーーーん。

弘兼:責任を感じたんじゃない?

守川:担ぎ上げられるというよりは、そんな感じですね。その当時の女の子たちが「もう辞めてきちゃいました」って。僕もびっくりするじゃないですか。僕が辞めた日に本当に辞めてきちゃったんです。


ーー僕らのイメージだと、夜のお仕事だとお金に関してシビアなイメージがあるのですが…

守川:あー。


ーー守川さんの話を聞いてると、お金ではなく守川さんについていきたいという気持ちを漫画から感じられますが、そういう方たちにすごく、やっぱ守川さんは恵まれたなというか、今までそういうふうになってたと思うんですけども、そういうふうに守川さんの人柄という、なんていうのもやっぱ何か理由があったと思うんですね。その店長だった時代とかスマイルで働いて。それは何だったと思われますか。

守川:そうですね。当時お店でも女の子の給料もそれほど高くなかったですし。

一店員さんというか一責任者なので、お金もない。下手したら人気がある女の子の給料の方高かったので、食べに行くのも割り勘。奢ってもらっていたぐらいだったんですね。

彼女たちや彼らがなぜ僕にそのように気持ちを持ってきてくれたのかな、とは思うんですけど。

若かったこともあると思うんですよ。ジェネレーションギャップもなく、今思えば年の差なんて数歳差しかなく、僕のことをすごく年上の兄貴だと感じてたかもしれないですけど。

どうなんでしょうね。上司とかドンっていうより、男の場合は師弟関係がありましたね。なんかすごく慕ってくれていました。遊びもそうだし、公私ともにほとんど一緒にいて。

うん、なんでしょう。疑似家族的なところがあったんじゃないかな。



ーー今ちょうど六本木騎士ストーリーのまず第1部、第2部という形での、第1章、第2章というところで、ビジネスの成功の一つの山を迎えるところまでお話を伺いました。守川さんという主人公のビジネス的な視点を書かれる中で、島耕作を書き続けた先生としては、どんなことを意識しながら書かれましたか。

弘兼:割とね、経営に対する確固たる理念とか信念みたいなのは持ってる。それは若いときは遊んだかもしれないけど、もうぶれないというか、その辺はすごいなと思っている。

あと、自分の利益よりもまず相手の利益、お客様の利益で最終的にwin-winのビジネスモデルの鉄則のようなものを彼は持ってる。

それから、松下幸之助さんの経営哲学にもすごく似てる部分があって、これはすごいな、と。

それから、反面教師が今まで沢山いたからね。その反面教師から学んでるので、いくらお金が入っても湯水のごとく使わずに、その資産を違う形に変えて、やっぱり堅実な経営をやってるなっていうことですね。

それとあとは、この業界で最初会った時一番不思議だったのは、なぜこれが後ろに付いてないんだという形があったが、それを聞いた時にはこれはちょっとやっぱり漫画にしてみたいなというのがあって。

普通ね、当時はおそらくこういうことやったとか他はどこもなかったと思うんだよね。

ある意味、勇気ある行動というか、俺にはとてもできないなと。あそこまで度胸が決まらないなっていう感じなんだけども、その胆力みたいやつはすごいなっていう気がしましたね。


ーーなるほど。ありがとうございます。そういう「クラブチック」が順風満帆というか、うまくスタートを切って、すぐと言っていいのかあれですね、数年後、あることがきっかけでワインというものに興味を持たれたというふうに漫画の方では書いてあるんですけども。

弘兼:漫画で描いていない部分は本当はね、お嬢さんから「私パパの仕事ワインなら継いでもいいな」って言われて。

守川:真剣にやり始めたのはですね。


ーーワインの事業を始めた時はお嬢さんも小さかったから、その話は最近の出来事ですよね。

守川:そうです。子供が小さい頃にワイン事業を始めて最初鳴かず飛ばず、趣味趣向が強い同好会みたいなものだったので。

弘兼:従業員も「社長何やってんですか」みたいな。

守川:「どうせ道楽でしょう」って。そんな時に幼かったあの娘が、「私パパのワインの仕事を将来やろうかな」って小さい頃に言ったので。

そのきっかけもあったし、事業が成功しないと、スタッフも夢を持って事業に携われないじゃないですか。

なので、ある時から資本も本格的に投下して、ビジネスモデルを遂行しました。

うちのビジネスモデルは問屋でもあり、酒屋でもあり、インポーターでもあるので、ある一定の販路とある一定の仕入れを回さないと成り立たない、そこまでやりきるぞって決めたんです。



ーーワインの事業について、今でこそ楽天の「楽天ショップ オブ・ザ・イヤー2018 ワインジャンル賞」を取られて成長されていると伺っていますが、始めた頃はどのような感じだったのでしょうか。


守川:いや本当、さっきも言ったようにですね、「社長の趣味でしょう、道楽でしょう」と。その当時は趣味趣向が強かったので。

買った物を売る販路もないのに沢山仕入れてみて、在庫を抱えて、販路を少しずつ広げていくと。今度は在庫が欠品してしまう、販売期間ロスが出る。なかなかそうですね…

弘兼:バランスがとれてなかったね。

守川:取れてないです。最初は。そもそも、物流コストやいろんな面も考えても、小ロットで直接仕入れて、小ロットで直接販売するなんていうのは成り立たないんですね。

ワインも1ケースから仕入れようと思ったら仕入れられるんですけど、最小でも1パレット(600本単位)。ただそれでも600本単位は無理なので1コンテナ、1万2000本から1万8000本ぐらいの量を一度に輸入することになります。

それがコンテナを毎年何十本と輸入する規模にして初めて、スケールメリットが出ます。そこまで持っていくまでに、十数年かかりました。


ーー十数年。それは長いようで短いのでしょうか。

守川:いやー、僕すごくそれに対して情熱持って、ずっと取り掛かっていました。ワインのビジネスは別に夜の華やかな世界と違って、地味なことばかりじゃないですか。でも地道に地道に失敗を重ね、失敗を重ね。コツコツコツと積み上げてきました。

弘兼:それができるのもある意味、クラブチックで利益が出た分を回せるという形で。

守川:そうですね。資本はもう出来ていたので。資本力があったというのは、すごく大きかったと思いますね。

弘兼:そうだよね。

守川:在庫を抱えても、すぐ資金繰りが悪くなるわけではないので、猶予はありました。あとは、クラブチックでも販売できるから、在庫を多少調整できるっていうこともありました。


ーーなるほど。ナイトシーン事業とワイン事業は奇しくもシナジーというか、保管もできるし、あれですよね、メリットが…

守川:あと覚悟もあったです。100万本余ったら「仕方がない飲もう」と思って(笑)。


ーー先ほどチックの成功についてもお聞きしましたが、ワイン事業もECサイトがメインで、やはり良いものを安く提供するのはお客様からすごく評判が良いとお聞きしているのですが、やはり通ずるものがあるのかなと。

守川:ありますね。これも僕が経営していく中で、ビジネスモデルだけとか資本力だけでなんとかなるものではないことを改めて思い知らされましたね。

無名のワインだろうが、まだブランディングできてないワインだろうが、やっぱりいいものをきちんと取り扱って、きちんとお客様に伝えていく。そうするとお客様のリピートがあるんですよね。

お客様が喜んでくれる、満足してくれる、お客様の幸せをちゃんと与え続けられる、努力したりイノベーションをしたりしながら、やり続けることが第一優先だったなと。

喜んでくれるお客様がいたことによって、ワインが売れる。それによって取引先や生産者からワインをまたリピートで注文ができる。結果的に、取引先・生産者も幸せになってくれる。それの繰り返しで初めて従業員、部下、我々が、利益が出て幸せになれました。

企業の利益のためにワインに多くの利益を乗せて販売して、お客様をだまくらかすような業者さんもいますが、やはり長く続いて、成長していくためには三つの理念の順番は間違っちゃいけないなと思われますね。



ーー周りから見ていると、守川さんも弘兼先生も自分の好きなことをお仕事にされて、しかも成功されているように見えます。自分の好きなことを仕事にするためのコツとか、大事なことがあれば、各々教えていただきたたいです。

弘兼:まず好きなことを仕事にするってのが一番幸せだと思うんですけど、「これをやったら儲けが少ない」ということを考えたら好きなことを仕事にすることはなかなか難しいんです。

人生楽しく生きるためには、儲けが少なくてもいいから、好きなことを仕事にするのが一番だということをまず頭に入れなきゃいけない。

その結果上手くいけば儲けも入るし、僕の場合は漫画なんだけどうまくいったので、利益は出たんですけど。

要は楽しく生きることが一番大切ですから。だからお金のことは、その段階では考えない方がいいですよってことを言いたいですね。


ーー守川さんは。

守川:全て先生に言われてしまったんですけど、でも、好きだから商売が成功するってことは100%ないと思います。

でも先生が、仰ったように好きだから失敗するかもしれないし、もしかしたらこのビジネスは成功しないかもしれないけどやりたいっていうのを先に僕は知ったんだと思うんですね。

やり始めてから逆にこれをちゃんと軌道に乗せるためには何をしていかなきゃいけないとかって、やっぱり課題をしっかり立ててって、好きなことを始めたからこそ、ちゃんと世の中に喜んでもらえる状態になるために、情熱があったから何とかうまくいってるとは思います。だから好きで始めたからうまくいくってもんではないですね。

弘兼:ならないですね。全然違いますね。

守川:きっかけなんですよね。

弘兼:そうそう。



ーー守川さんの今日のお話は、「ピンチはチャンスである」ことの繰り返しだったように思えました。コロナ以降閉塞感もあり、ライフスタイルや世間の皆さんの価値観も変化しつつあります。そのなかで、「六本木騎士ストーリー」を「こんな方に読んでもらいたい」とか、「このようにに感じてもらえたら」などありますか。

弘兼:これを書いてる時、あるいは企画した時はここまでの日本になるとは思わなかったですね。今の状況から考えると、何事もプラス思考を常に持った方がいいんじゃないすかね。

「ピンチはチャンスである」という考え方は、究極のプラス思考から生まれた考え方なので、何でもまずいことがあっても、プラス思考を持つことが大事だと、この漫画を読んでいただく人に一番感じてほしいですよね。


ーー守川さんはいかがですか。

守川:そうですね。僕は今までどちらかというと、ピンチのときに俄然、アドレナリンが上がるというか、追い込まれるほど、過激に闘争本能が出てくるタイプです。

ビジネスもその通りです。リーマンショックとか東日本大震災、ITバブルがはじけたなどのタイミングで事業を始めたり、新たなことや不動産の投資をしたり、世の中が混乱してるときほど、アンテナがピンと伸びます。「今だからこそ攻めれるんじゃないか」という感覚があるので。

今回のコロナ禍、確かに我々のサービス業や飲食業はものすごく逆風ですが、僕は逆風のときこそ燃えるので、「コロナが駄目」とか「世の中が駄目」などの被害者意識は絶対に持ちません。

どちらかというと「こんな時期だからこそ、もっとできることはあるだろうな」と主体的に物事を考えています。

もちろん利益の減少はありますが、活動することで次の準備ができることの方が、僕にとっては安心感があります。

もちろん攻めることが防御になることもあると判断することもありますが、儲けようとか攻めようっていうよりも、こんなときには防御を固めて。

そうですね。相場師のようにタイミングを見てやってるというより、僕の闘争本能かもしれないですね。

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