人生を学べる名画座

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2021年05月30日

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.07|『ディア・ハンター』|「必ずここへ連れて帰ってくれ」

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.07|『ディア・ハンター』|「必ずここへ連れて帰ってくれ」



僕が生まれ育った山口県岩国市にはアメリカ海兵隊の基地がありますが、岩国は沖縄と違って地域協定がすごくよくできていて、住民と基地とが一体化していたように思います。

臨海学校のときには、ベトナム戦争用の干し肉などを提供してくれたり、海兵隊員が同行してくれてテントの張り方を教えてくれたりしました。中学校には、ボランティアでベースから将校夫人が英語を教えにくる。それが結構美人なのです。

岩国基地は前線基地ではないから、わりと平和でした。燃料補給とベトナムからの帰還兵が本国に戻る前に一旦戻される中継基地という役割だったようです。

ですが、岩国でなにか問題を起こした兵士や、やがて順番がきた兵士は前線基地である嘉手納に送られる。嘉手納に行けば、いつベトナムに送られるかわからないのです。嘉手納に送られる兵士は、皆泣きそうな顔をしていたのをよく憶えていますね。

僕の母は当時呉服屋をしていて、海兵隊の連中がよく遊びにきていました。着物が珍しいから、ユカタを買いにくるのです。そこで突然、「明日、オキナワに行く」と聞かされる。沖縄に行くということは死を意味するも同然でしたから、とても複雑な心境でした。

そんな環境に育った僕にとって、この『ディア・ハンター』は特別な映画です。これは単なる「ベトナム戦争もの」ではないのです。

舞台は、ペンシルバニアのクレアトンという田舎町。スラブ系の移民が多く住む、四方を山に囲まれた美しいところです。工場で働くマイケル(ロバート・デ・ニーロ)やニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーブン(ジョン・サベージ)などの五人は、休日の鹿狩りを楽しみにしている。そんな彼らが、ベトナムへと駆り出されてしまうのです。

映画の前半はかなり長い時間、五人が楽しそうに鹿狩りをしているシーンが続きます。このシーンは綺麗でした。山の中に入って鹿を撃って、それを車のボンネットに乗せて持って帰ってくる。マイケルは、一発で鹿を仕留めるという「ワンショット」を誇りにしていて、それが口癖のようになっている。

その親友であるニックはとても繊細な男で、そんなマイケルを心から頼りにしているのですね。そんな五人の人間関係や友情が、実に細かく描写されているのです。

鹿狩りの途中で、小便をしたいと言って車を降りた一人を残して車を走らせてしまうシーン、ビリヤードをしている最中に当時流行っていた『君の瞳に恋してる』を酔っ払ってみんなで大合唱するシーンなどは、実に印象的でした。

そして、前半部分のハイライトは、スティーブンの結婚式と戦場に向かう三人の歓送会を兼ねたパーティのシーンです。

パーティはロシア正教の教会で行なわれ、ロシア民謡である『カチューシャ』や『トロイカ』などが演奏される。みんな完全にハメを外して歌って踊るのですが、三人は明日にでもベトナムへ旅立つわけで、それがとても利那的というか、なんともいえない虚しさを伴っている。パーティの途中で、赤ワインがポタポタと花嫁の白いドレスにこぼれる場面もありましたが、あの演出も象徴的でした。

この映画から選んだワンシーンは、パーティが終わって全裸になって走り回るマイケルと、それを止めようとして追いかけるニックとの会話です。

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マイケルに追いついて、ジャケットをかけてやるニック 

バスケットゴールにもたれる二人

マイケル:どうかしてる 正気じゃないんだ 目まぐるしくてな

ニック:帰れるかな? 

ニック:ベトナムから? 

マイケル:ああ 

ニック:そんなこと分からない。俺たちのすべてはここにあるんだ。この町が好きだ。
俺に万一のことがあったら、必ずここへ連れて帰ってくれ。
約束してくれないかマイク。
頼むこれだけは約束してくれ。

マイケル:了解だ ハハハハハ

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マイケルもニックも、一度ベトナムへ行けば、そこがどんなところであるかを知っている。お互いに、戻ってこれない可能性がかなり高いことは、重々承知しているのです。

それでも「必ずここへ連れて帰ってくれ」と頼むニックと、それを了解して笑い飛ばすマイケル。このシーン、心に残りました。



こんな会話ができる友達の存在は大きいと思います。もしかすると、ニックはこんな友達がいたからこそ、ベトナムへ行かれたのかもしれない。そうでなかったら、精神的に耐えられなかったかもしれないと思うのです。

マイケルはきっとなにがあっても、自分たちの青春と友情のすべてがある、この街へ連れ戻ってくれる。そう思えたからこそ、繊細なニックも気丈にベトナムへと旅立てたのではないでしょうか。

このシーンの後、映画の舞台はのどかな田舎町から、ベトナムの凄惨な戦場へと一変します。

だからこそ、このシーンが心に残る。僕にとっては、「明日、オキナワへ行く」と言った海兵隊の兵士のなんともいえない表情が、重なり合ってしまうのです。

しかし、ベトナムの戦場は、こんな二人の友情もズタズタに切り裂いてしまう。一度は偶然にも戦場で再会するものの、結局ペンシルバニアに戻ってこられたのは、マイケル一人だけでした。

ニックとスティーブンがいない街に戻ったマイケルにしても、戦争の後遺症もあって、虚脱状態のようになってしまう。

そんなとき、片足を失ったスティーブンと再会してニックの生存を知った彼は、ニックを連れ戻すために再びベトナムへと向かうのです。

この映画は、戦争そのものの悲惨さを描くというよりも、戦争というものがもたらす二次的な悲惨さと、それに翻弄される若者たちの友情を描いています。若者たちの友情が、アメリカへの愛国心と複雑に絡み合う。戦争を舞台にした、青春の哀しい人間模様がテーマだと思います。



『ディア・ハンター』の監督であるマイケル・チミノは、一言でいえば映画界の一発屋のような人で、この後に撮った『天国の門』(1981年)は退屈な西部劇でしたし、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985年)が多少ヒットしたくらいで、大した作品は撮っていません。

やはりこの作品は、ロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンの二人によって成り立った部分が大きいのでしょう。

デ・ニーロのうまさは出色で、この作品で演技の凄みを確立しましたが、アカデミー賞を獲ったのは助演男優賞のウォーケンでした。ウォーケンはこの映画がまさにハマリ役で、彼の繊細な感じやちょっといってしまったような独特の風貌がぴったり合っていたのです。

映画後半の強烈なシーンといえば、やはりロシアン・ルーレット。現実にもあったのでしょうが、捕虜にロシアン・ルーレットをさせて賭けをやっているという状況がすごい。

イラク戦争(2003年)でも、心ないアメリカ兵がイラク兵の捕虜を裸にして侮辱していたことが問題となりましたが、やはり戦争は人を狂気へと導いてしまうのですね。

マイケルがやっと探し当てたニックは、ベトナムの闇市のようなところで行なわれている完全にゲーム化したロシアン・ルーレットの射手になっていた。そんなことをしていたら必ずいつかは死ぬのですが、精神に異常をきたしていたニックは勝ち続けている。死の恐怖から解放されてしまった人間には、そういった不思議な力があるのでしょう。

マイケルが必死に呼びかけても、ニックは反応さえしない。仕方なく自分も射手となって、ニックと向かい合うマイケル。正面で向かい合っても、ニックはマイケルがわからない。マイケルは仕方なく、自分のこめかみに銃を当てて引き金を引く。この辺りのシーン、手に汗握るような緊張感がありました。

そして今度はニックの番となる。彼が引き金を引く直前、マイケルは「木を覚えてるか? 山を覚えてるか?」と問いかける。ニックは虚ろな表情で「ワンショットか?」と呟やく。「そうだワンショットだ」......。

彼はすべてを思い出したのです。マイケルのこと、鹿狩りのこと、マイケルと交わした約束。このときの瞬間、正気に戻るウォーケンの演技は秀逸でした。

ベトナム戦争を描いた映画は数多く作られています。壮絶な戦闘シーンや戦争の矛盾を描いた『地獄の黙示録』(1979年)、アカデミー賞も受賞した『プラトーン』(1986年)、ベトナム帰還兵を描いた『タクシードライバー』(1976年)や『ランボー』(1982年)......。

そんな「ベトナムもの」の中でも、この『ディア・ハンター』はピカイチだと思います。

この映画の素晴らしさは、スタンス的にはどちらにも立っていないところ。単なる反戦映画ではないのです。戦争というものが、人間をどうやって壊していくのか、というのを冷静に見せて、観る人それぞれに考えさせるという作品です。

アメリカ映画にこれほど「ベトナム後遺症」を扱ったものがたくさんあるというのは、現実に、拳銃を撃つ、人を撃つ、ということに抵抗感がなくなってしまった帰還兵が少なくなかったからなのだと思います。

太平洋戦争を戦った日本の場合はどうなのでしょう? あまりそういう話を聞いたことがないように思えます。その理由は、アメリカの場合、ベトナムから帰ってくるとすごく幸せな日常の世界がそこにあるもので、帰還兵は強烈なギャップを感じる。でも、日本の場合、戦争から帰っても「これからどうやって食うか?」というほどに完全に国そのものが崩壊していたわけですから、とにかく働かなくてはならない状況だった。ということではないでしょうか。

僕の父にも戦争体験があります。父は中国大陸を縦断して、全滅した部隊から一人だけ生き残ったという経験を持っていました。戦場での修羅場には何度も遭遇していて、背中を銃弾が貫通した跡や手榴弾の爆発による傷跡がありました。父は、戦時中に撃たれて負傷した際に、中国人の村人に助けられたことがあるそうです。

70歳を過ぎた頃、父はお礼を持ってその家を訪ねました。40年を経ても家はそのまま残っていたのですが、そこに住んでいる人からは「そんなことは知らない」と言われたそうです。

そんな戦争の悲惨さを聞いて育った僕ですが、その父も他界しました。戦争の生き証人たちは、今もどんどん亡くなっていきます。戦争を身をもって体験した証人たちが亡くなってしまうことは、戦争の真実が歴史の中に埋もれてしまうことにつながります。

そういった意味でも、片方からだけの見方に偏らずに、できるだけ冷静なスタンスに立った戦争映画というのは、とても貴重なものなのだと思います。

弘兼憲史 プロフィール

弘兼憲史 (ひろかね けんし)

1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。

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