映画コラム
『映画大好きポンポさん』レビュー|自分の意志で「選択」してきた人への応援歌
『映画大好きポンポさん』レビュー|自分の意志で「選択」してきた人への応援歌
「好きなことで生きていこう」とか「好きなことを仕事にしよう」と言われる場面も、言う人も増えた昨今。
紆余曲折あってライターという仕事を選んだ私は、この言葉の熱烈な信者だし、なんなら自分でもよく言ってきた。
ただ劇場アニメ『映画大好きポンポさん』の90分間を経た今、私が解釈し自分の言葉として発してきたその言葉の薄っぺらさを、まざまざと突きつけられた気がしている。
名作が生まれる予感、高揚感
本作の舞台は、映画の都ニャリウッド。敏腕プロデューサー、ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット(以下、ポンポさん)から、新作映画の監督に大抜擢された根っからの映画オタク ジーン・フィニ(以下、ジーン)の、映画づくりにかける“生き様”を描く。
映画作りにすべてを捧げるクリエイターと、その姿に同志たちが触発されていく過程。一瞬たりとも良い画を逃すものかという強い意志。作中で作られている「MEISTER」という1本の映画に抱く、間違いなく名作となる確信にも近い予感。上映時間の90分間ずっと、興奮で胸が滾っていた。
ただ私はこの滾りの中に、苦しみという淀みも感じた。「好きなことで生きている」と思い込んでいたことに気付かされたからだ。
すべてを切り捨てられる狂気への憧れと嫉妬
ジーンは、絵にかいたようなオタクだ。観た映画すべてのメモをとり、映画の知識を増やし続けている。その行動の原動力は、社会に馴染めない人間ゆえの現実逃避。学生時代に友人たちの輪に入れずにいた彼は、映画を心の拠り所とし、それを生きる道として選んだのだ。
この決断は、ネガティブに見えるかもしれない。ただ「自分には映画しかない」と思った瞬間、映画以外のすべてを切り捨て、そこに自分の全エネルギーを注ぐという選択は、そうやすやすとできないだろう。なぜなら、映画以外の逃げ場を自ら捨てる行為だからだ。
映画を失えば自分に残されるものは何もないという、恐怖と隣り合わせの状況を自ら生み出す――。
これを狂気と呼ばずしてなんと呼ぶだろうか!
こんなジーンの生き様を見せつけられて私は、彼のことがまぶしくて、同時にうらやましくて仕方なかった。なぜなら、私にその狂気を持つ勇気はないからだ。実際につい最近、自分が書きたいことに集中するため仕事を減らそうとしたのだが、収入減とクライアントとのつながりが薄くなってしまうことが怖くて、仕事のペースを元通りにしはじめている有り様。この原稿を書いているのが、なによりの証拠だ。
かといって、ジーンは、この映画は、「夢以外のものを手放せない奴は、夢を語る資格なんてない」なんてことは言わない。意味のない選択なんてものはなく、たとえそれが自分にとって間違いであったとしても、そこから新たな選択を見い出せるのなら、それも立派な目標、夢への一歩だというメッセージが伝わってきた。
『映画大好きポンポさん』は、自分の意志で「選択」してきたすべての人を肯定し背中を力強く押してくれる、応援歌のようだ。
(文:クリス)
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©2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会