人生を学べる名画座

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2021年06月06日

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.08|『卒業』|「よく聞いて 私はその気なのよ」

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.08|『卒業』|「よく聞いて 私はその気なのよ」



『卒業』が作られたのは、1967年。アメリカン・ニューシネマ全盛の時代です。

この年、僕はちょうど20歳でした。多感な年頃だったこともあって、好きな映画を挙げると、いまだに60年代の作品が中心になりますね。

そしてこの『卒業』も、大好きな映画の一本です。

まず、テーマがすごいですよね。一言でいえば「親子どんぶり」ですから。

監督はマイク・ニコルズ。もともとは舞台の演出家で、『卒業』は二本目の作品です。この作品でアカデミー賞監督賞を獲得し、その後、イルカの研究者たちと大統領暗殺計画をからめた『イルカの日』(1973年)や、大統領選挙の裏側をコミカルに描いた『パーフェクト・カップル』(1998年)など、ちょっと風刺の効いた作品をたくさん撮っている非常に知的な監督です。

優れた監督はみなそうですが、キャスティングを含めた適材適所のセレクションがとても巧いと思います。まず、『卒業』の音楽にサイモン&ガーファンクルを起用したところがすごい。

サイモン&ガーファンクルが、この作品のために書き下ろしたのは『ミセス・ロビンソン』だけで、主題歌の『サウンド・オブ・サイレンス』や『スカボロ・フェア』はすでに発表されていた曲なのですが、映像に実にマッチしています。

その中でもやはり、この映画のための新曲『ミセス・ロビンソン』は印象的に使われていました。主人公のベンが乗る真っ赤なスポーツカーが、教会に向かう途中でガス欠を起こしてしまう。そのとき、流れていたこの曲も一緒にスローダウンする、といった演出は、なかなか洒落ていましたね。

『スカボロ・フェア』の歌詞は、僕にパセリやセージ、ローズマリー、タイムという香辛料を教えてくれました。早速スーパーに行って、「これがローズマリーか」「これがタイムか」と、マコーミックかなにかの瓶をいろいろ買ってみました。使い方がよくわかりませんでしたが。

そして、キャスティングです。主人公のベンを演じたのは、この作品が事実上のデビュー作であるダスティン・ホフマン。『卒業』を初めて観たときは、あまりのカッコ悪さにめまいを感じましたが、この作品で彼はアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされました。

ベンが結局恋に落ちることになるエレーヌ役は、キャサリン・ロス。二年後に撮影された『明日に向って撃て!』(1969年)ではなかなかの大人の女を演じていましたが、『卒業』では実に初々しかった。キャサリン・ロスも当時はまったくの無名女優でしたから、このキャスティングも見事にはまったと思います。

ベンは最初のデートでエレーヌに嫌われようとして、ものすごい乱暴な運転で彼女をストリップバーへ連れて行く。エレーヌは「どうしてこんなところに連れてきたの?」と困っているのに、ステージでは踊り子さんが乳首に付けたリボンのようなものをくるくる回しながら彼女に近づいてくる。シクシク泣きだすエレーヌ。それを見たベンは「悪かった、出よう」と言いますが、当然です。思わず彼女に同情してしまいました。

そして、『卒業』で一番印象的なのは、なんといってもアン・バンクロフト演じるミセス・ロビンソン、エレーヌの母親です。資料によると、アン・バンクロフトは1931年生まれ。『卒業』のときには36歳ということになりますが、20歳くらいの娘がいるので、映画での設定は40代前半といったところでしょうか。

冒頭シーンは、ベンの自宅で開かれた彼の大学の卒業パーティ。その夜、彼は久しぶりにロビンソン夫人と再会します。彼女は、言うなれば非常に偉そうな女。いきなりベンの部屋へ入ってきて、灰皿もないのにタバコをふかし、「家まで送って」などと図々しく要求する。ベンはもう、しどろもどろといった感じです。車の鍵を水槽の中に投げこまれ、それを取らされる時点で、主導権は完全に彼女に移りました。

「彼女を家まで送ると、強引に中に入れと言われバーボンを注がれる。彼の目の前で挑発的に足を組みなおしながら、「私のことをどう思う?」などと聞くのです。

ベンを二階のエレーヌの部屋に誘うと、今度はドレスの背中のジッパーを下げろと言う。彼は帰りたくて仕方がないのですが、シャワーを浴びるといったロビンソン夫人は、なんと突然、全裸で部屋に入ってくるのです。

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全裸でドアの前に立つミセス・ロビンソン 

ベン:出してください。 

ロビンソン:よく聞いて、私はその気なのよ。今、私と寝るのが嫌なら必ずいつかと約束して。

ベン:帰して出してください

ロビンソン:あなた素敵よ いつでもいいわ。

〜階下でドアの音がする 〜

ベン:帰ってきた! 

〜ロビンソンを押しのけ、慌てて部屋を出るベン〜

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実にストレートな誘惑です。この間、ベンは頭に血が昇ってしまって、わけがわからない状態になっている。カメラはベンの視線になって、ロビンソン夫人のへそや胸などを、超ドアップで一瞬だけ映し出します。

僕はベンとほぼ同い年だったこともあって、このシーンはドキドキしました。そして、「自分の母親ほどの年齢の女性に誘惑されたら、どうなんだろう?」と思ったものです。

でも、今考えれば、40歳なんてまだまだ若い。しかも、ロビンソン夫人のように色っぽい女性であれば、十分、恋愛対象になるでしょう。みなさんは、いかがでしょうか? 日本の男性はどうも、「女は若いに限る」という思いを強く持っているような気がします。でも実際、若くてきれいなだけのモデルのような女性と話をしてみると、10分も経たないうちに退屈になることも多いのです。まず、話が合わないのですね。

あまりにも世代が違いすぎると、見てきたものや感じてきたものが違いすぎて、共通の話題がない。だから退屈になってしまうのです。

だから僕は、自分よりも少し年下くらいの女性がちょうどいいと思っています。30代であれば20代後半、40代であれば30代後半、このくらいの歳の差が一番くつろげるのです。いい歳をした男が、自分の娘よりも年下の女の子を追いかけているといった話を聞くと「いい加減にせい」と思ってしまいますね。


(島耕作も年上女性からよく誘惑されている。この女性は、大町久美子の母親・大町愛子。島耕作も親子どんぶりには尻込み?)

(C)弘兼憲史/講談社


『卒業』に出てくるロビンソン夫人は、いったいどんな気持ちでベンを誘惑したのでしょう? ベンは非常に優秀な大学生で、しかも奥手なタイプです。最初はそんなベンを、退屈しのぎにからかっただけなのかもしれません。

関係を持ったベンとロビンソン夫人は、毎晩のようにホテルに通うようになる。でもそのうち、若いベンはセックスだけの関係に不満を持つのです。やはり、歳の離れた二人には、共通の話題がないのですね。

この二人の関係は、ベンがエレーヌに心を奪われてしまったことで破綻しますが、そうでなくても長くは続かなかったような気がします。セックスだけの関係は、決して長続きしません。なぜなら、人間は飽きてしまう生き物だからです。はじめのうちは「動物のように」お互いの身体を求め合ったとしても、そんなものはすぐに飽きてしまう。ですから、援助交際のような関係も長続きしないのですね。

恋愛は、非日常性があればあるほど燃え上がります。だからこそ、自分の子供のような年齢の相手との恋愛、家庭を持った相手との恋愛などははじめのうちは激しく燃える。でも、その関係が続けば続くほど、それが日常になっていく。

日常になってしまったとたん、相手への情熱も冷めてしまうわけです。

『ダメージ』(1992年)という映画がありました。この作品の設定は『卒業』とまったく反対で、息子の婚約者に恋をしてしまう中年男性の話です。その恋愛のために順風満帆だった彼の人生が完全に破滅するという後味の悪い映画でしたが、結局この二人も、関係の非日常性を楽しんでいただけなのだと思います。

でも中には、自分の母親ほどの年齢の女性と結婚して、うまくやっているケースもあります。そんなケースの男女は、非日常性の中の肉体の魅力だけではない、尊重できる、尊敬できる部分をお互いが相手の中に見い出したのでしょう。と、思います。

『卒業』は、フィルムの編集も実に巧みです。

「ロビンソン夫人にベンがバッと覆いかぶさると、次の瞬間、ベンが自宅のプールに浮かべたボートの上に寝そべっている。プールから出たベンがシャツを羽織りながらドアを開けると、次の瞬間にはホテルの一室になっている、といったオーバーラップのような手法が見事でした。アカデミー賞の監督賞を獲ったのも、十分うなずけます。

結婚式で口づけを交わしている花嫁をさらって、バスに乗り込むというこの映画のラストは、映画史上に残る有名なシーンです。階段を駆け上がって、 ガラス越しに叫ぶベン。「エレーヌ! エレーヌ!」

新郎もロビンソン夫妻も、鬼のような形相でベンを睨む(罵っている顔をアップにして、音声をミュートしていたのも印象的な演出でした)。エレーヌもベンを見つめる。そして彼女は溜めに溜めていた言葉を一気に吐き出すように、「ベン!」と叫び返すのです。それを聞いたベンは勇気百倍となって、階下へ行って大立ち回りした後、十字架でドアを塞いで花嫁をさらってバスに乗り込む。

当時、車のCMでこんな状況が使われていましたが、このシーンを観て実際にやった男もいたかもしれません。ですが、現実ではまず逮捕でしょう。結婚を決意した新婦が、さらいに来た過去の男についていくということはまずないでしょうから、ストーカー呼ばわりされるのが落ちです。


(エレーヌの手を引き、教会から飛び出すベン。)

タイトルの『卒業』は、子供からの卒業、偽りの人生からの卒業という意味でしょう。大学生活だけがすべてだったベンが年上女性の肉体に溺れ、エレーヌに恋をして葛藤し、本当の自分の気持ちに出会う。

この映画がよかったのは、やっぱり主人公のベンがすごくカッコわるかったことではないでしょうか。例えば、ブラッド・ピットのような人が演じていたら、あまりピンとこなかったと思います。

そして、ミセス・ロビンソン。アン・バンクロフトは、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたものの、受賞は逃しました。同年の受賞者は『招かれざる客』のキャサリーン・ヘプバーンでしたが、主演女優賞をあげてもいいような熱演だったと思いますね。

それにしても、親子どんぶり。非日常の極みですよね。

僕にはまったく、そういう嗜好はわかりませんが。

弘兼憲史 プロフィール

弘兼憲史 (ひろかね けんし)

1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。

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