人生を学べる名画座

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2021年08月01日

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.16| 『荒野の七人』|「面白いと思ったからだとさ」

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.16| 『荒野の七人』|「面白いと思ったからだとさ」



『荒野の七人』は、黒澤明の『七人の侍』(1954年)をリメイクした作品です。

主演のユル・ブリンナーが翻訳権を買い取って映画化したのですが、これはこれなりに非常に面白かったですね。

僕が幼少の頃は、みんなガンマンに憧れていました。ガンベルトを持っている子が一人だけいまして、高価なものでしたから順番に腰に巻かせてもらって、銃をクルクルッと回してストン! と入れたりしてね。その頃、美樹克彦が子役で目方誠という芸名で出ていましたが、彼が二丁拳銃をクルクルッと回していたのがカッコよかったのを憶えています。

男の子は、一度は西部劇に憧れますよね。昔の日本では、無国籍系の西部劇が流行っていました。「あんなに銃で撃ち合うなんて、日本じゃないだろう!」という感じでしたが、「とにかくカタいことは言わずに、これでオッケーにしようや!」と、作る側も観る側も思っていたのでしょう。

ガンマンに対する憧れは結構続いて、高校、大学生になっても西部劇をよく観ていました。マカロニ・ウェスタンのブームもあって、一時はジュリアーノ・ジェンマなどが人気になりましたが、クリント・イーストウッドが一番よかった。

ジュリアーノ・ジェンマはちょっと優男過ぎて、フランコ・ネロは目が神経質そうでなにかイマイチこなかった。やっぱり『夕陽のガンマン』(1966年)の、クリント・イーストウッドです。あのニヒルな感じは、そのまま『ダーティハリー』(1971年)に受け継がれていきました。

そしてこの『荒野の七人』、黒澤の侍ものが、きっちり西部劇になっているというところが本当にすごいと思います。やはり原作が優れているということでしょう。キャラクターや設定、ストーリーなどはほとんど同じなのに、全く違和感がない。黒澤作品のリメイクものの中で、一番成功したものは『荒野の七人』だと思います。

監督は、ジョン・スタージェス。他の作品では『海底の黄金』(1955年)、『OK牧場の決斗』(1956年)、『老人と海』(1958年)、『鷲は舞いおりた』(1976年)などを観ました。この監督の作品は女性があまり登場しないことで有名で、男だけの世界を描くのです。有名なところでは『大脱走』(1963年)もそうですが、極限状態の男が葛藤する姿を描くのが得意で、色気などはほとんど入れないのですね。

『荒野の七人』でまず面白いのは、『七人の侍』にも描かれていた、七人がだんだん集まってくる過程です。一癖も二癖もあるようなメンバーを、クリス(ユル・ブリンナー)とヴィン (スティーブ・マックィーン)が一人ひとり集めていく。そのたびに、ヴィンが「三人」「四人」といった感じで指を立てるのですが、その仕草が実に様になっていました。

そしてそれを、原作の『七人の侍』と重ね合わせてみると余計に面白いのです。

リーダーのクリスは勘兵衛(志村喬)、ナンバー2のヴィンは五郎兵衛(稲葉義男)、薪割りをしていたオレイリー(チャールズ・ブロンソン)は平八(千秋実)、ナイフ投げの名手ブリット(ジェームズ・コバーン)は久蔵(宮口精二)となっているのですが、三船敏郎演じた菊千代というキャラクターは木村功演じた勝四郎と一緒になって、ホルスト・ブッフホルツがチコという役名で演じています。

『七人の侍』の二つのキャラクターが一緒になった分、『荒野の七人』ではいつも三つ揃いで決めている心身症のような状態のリー(ロバート・ヴォーン)と、ひたすら金だけを目当てにしているハリー・ラック(ブラッド・デクスター)が登場しているのですね。

この映画のように、チームを作ってなにか一つのことを成し遂げようとする場合、「オッドマン・セオリー(Oddman theory)」という論理があります。オッドマンというのは、奇妙な男、あるいは間抜けな男という意味で、「チームというものは、間抜けなやつが一人いたほうがうまくまとまる」というセオリーです。

『荒野の七人』ではチコ、『七人の侍』では勝四郎がこのオッドマンなのですが、全員が全員エリートばかりだと、息の抜きどころもないし意見が対立してしまって事が進まない。ですから、集団の中に一人だけいる間抜けな奴は、組織にとって非常に大切な役割なのです。このオッドマン・セオリーを、黒澤も意識したのでしょう。

この二作品のストーリー上の大きな違いは『荒野の七人』の中に、村人が七人の目を盗んで盗賊を招き入れてしまうというエピソードがあることです。

舞台はメキシコの農村。そこに住む村人たちは、略奪を繰り返すカルベラ(イーライ・ウォラック)率いる盗賊団との戦いを決意してクリスたちに協力を求めたものの、争いが大きくなるのを恐れて、陰でカルベラと和解してしまう。それを知らない七人は村の外に偵察に出向き、戻ってきたところをカルベラ一味に取り囲まれる。

多勢に無勢、しかも盗賊団は自分たちに助けを求めた村人たちの手引きによって村に入ってきたのですから、七人はなす術もありません。カルベラは自慢げに七人から銃を奪い取り、余裕しゃくしゃくでクリスたちに話しかけるのです。

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カルベラ 頭のいいおめえらが なぜ引き受けたかわからねえ

クリス  全くだ

カルベラ 訳を聞かせろ

ヴィン  素っ裸でサボテンに飛び込んだ奴に聞いたら

面白いと思ったからだと

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カルベラは、ヴィンの言ったことが理解できません。貧しい村のために命を投げ打つような仕事を引き受けたのはなぜだ? わずかな報酬のために引き受けたのはなぜだ?


こう思うのは当然で、七人のガンマンの中の一人、ハリー・ラックでさえそう思っていて、死ぬまで「秘密があるはずだ」と思い続けている。それなのにヴィンは平然と、裸になってサボテンに飛び込んだ男の話を引き合いに出し「面白いと思ったからだとさ」と言い放つ。実にカッコいい台詞だと思いましたね。

男の行動で、「理由はなんだ?」と聞かれたときに「理由はないのだけれど、面白いと思ったから」と答えるケースは実は非常に多いのです。

人間はすべて打算的に動くわけではなくて、「こんなことをしてなんになるんだ!」ということもやってみたいと思う生き物なのです。特に男はそうですよね。

例えば僕が子供のときには、鉄橋を渡りたいと思って、渡りました。あるいは、落ちたら死んでしまうような高い塀の上を渡ったりする。ちょっと行けば橋があるのに、わざわざ川を飛び越えたりする。

「そんなことをして、いったいなんになるんだ?」と思うのですが、「面白いと思ったから」人はそういうことをやる。

人間は、「怖いこと」「ハラハラすること」を一つの娯楽として捉えている。そしてそれが「面白い」人間というのは、スリルを楽しむ動物なのです。

なんの役にも立たないことを、ただハラハラするためだけに「ああ、よかった、落ちなくて」とやってしまう。「最初からやらなきゃええやないか!」ということをする。ジェットコースターも怖いです。「なんでこんな怖いものにお金払って乗らなあかんのや?」と思いますが、ただただ、ハラハラ感を得るために人はお金を払う。それがやっぱり人間なのです。

だからこそ、ときに人はリスクを冒してまで危険に飛び込む。そのリスクが大きければ大きいほど、面白いと思ってしまうのです。

これは誰にでも当てはまることではないでしょうが、リスクのない安閑とした日々の連続では面白くないと思ってしまう。ときには、火事場に飛び込むようなことをしてもいいのではないかと思ってしまうのです。

面白いからやってみようというのは、人間という知的動物だけがやることですからね。

そしてそれは、なにもガンマンのような生き方をしなくてもできることなのだと、この映画は伝えています。

「最後に勝ったのは農民だ」と『七人の侍』の勘兵衛も言っていましたが、『荒野の七人』には、こんな台詞がありました。

戦いを恐れてカルベラにひれ伏した自分の父親のことを「卑怯者」と言った少年の尻を叩きながら、オレイリーはこう言います。

「父親の事を二度と卑怯者だなんて言うな。俺みたいに銃は持っていなくても責任感のある勇敢な人だ。ロバと一緒に畑で汗水垂らして働くことこそ本当の勇気だ。俺にはまだそこまで踏み切る度胸も勇気もない」

結局、一番地味な仕事というものが、一番勇気のいる仕事だということでしょう。

地道に人生を送るというのは誰にでもできることだと思われがちですが、それをやるというのは非常に難しい。「俺にはそこまで踏み切る勇気も度胸もない」と言うオライリーの台詞はしびれますね。

地味にコツコツやるということは、本当はとても難しいことなのです。

見た目が派手な職業に憧れて、いつまでも定職を持たない人のほうが、よっぽど勇気がない。

この台詞は、そんなことを伝えているのだと思います。「定職につく勇気を持ちなさい」と、フリーターに対してメッセージを送っているのかもしれませんね。」



(勢ぞろいした「荒野の七人」、やはりマックィーンはカッコいい=左から2番目)

この映画の製作時は、出演している七人はそれほど映画界で有名ではなく、チャールズ・ブロンソンもスティーブ・マックィーンも、どちらかといえば映画よりもテレビ中心に活動していました。

この作品の後、ロバート・ヴォーンも『ナポレオン・ソロ』で有名となり、チャールズ・ブロンソン、スティーブ・マックィーン、ジェームズ・コバーン、ユル・ブリンナーなどの顔ぶれが映画界で一流の地位を築いたわけですから、この作品はやはり一級のエンターテイメントなのだと思います。

それから、この映画の主題歌がよかった。エルマー・バーンスタインの勇壮な曲がすっかり気に入って、45回転のドーナツ盤を買ったことを憶えています。

考えてみればあの当時、レコード店に行って買うレコードは、映画音楽が一番多かったと思います。クラシックもジャズも、エルビスもビートルズも買いましたが、持っているレコードの半分は映画音楽でした。それは僕に限らず、スクリーン・ミュージックは若い世代からもかなり支持されていたように思います。

今の中高生が映画のサウンドトラック盤を買うなんてことはまずありませんが、当時は そういう時代だったのですね。

弘兼憲史 プロフィール

弘兼憲史 (ひろかね けんし)

1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。

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