『映画 太陽の子』『8時15分ヒロシマ』『祈り』日本の原爆開発の事実、そして広島と長崎を改めて想いたい
原爆を落とした側と落とされた側、それぞれの苦悩
日本の原爆開発と聞くと、映画ファンならアメリカの原爆開発「マンハッタン計画」の全貌を描いた1989年の映画『シャドー・メーカーズ』のことを思い起こす方もさぞ多いことでしょう。日本では刺激的すぎる題材ゆえに劇場公開が見送られた超大作ですが、いざ見てみると(現在DVDで鑑賞可能)、『キリング・フィールド』『ミッション』のローランド・ジョフィ監督が“悪魔の兵器”たる原爆の開発に科学者チームが葛藤し苦悩していくさまを真摯に描いています。
『映画 太陽の子』と『シャドー・メーカーズ』を見比べると日米の開発技術の差が歴然で、日本がようやく1歩進んだときにアメリカは10歩も100歩も先をいっている事実を痛感させられます。
物資の調達ひとつとっても、日本は民間の陶芸工房から染料となるウランを調達していたことが明かされますが(戦時下、工房では無地の骨壺ばかりを作らされていて、染料を必要としていなかったのです)、そうした現実の中でも主人公の修は「新型爆弾が完成すれば戦争を終わらせることができる」という想いで研究に没頭していきます。
また、ここでの修は実験中に空襲が来てもお構いなしといった完全なる科学オタクで、α線が危険なのを百も承知で「緑色の綺麗な光を見てみたい」と目を輝かせる、そんな良くも悪くも徹底したピュアな研究者を柳楽優弥が見事に体現してくれています。
もっとも、修にしても他の仲間たちにしても、原爆がどういった破壊力をもたらすかまでは、理論的に理解していても実感しきれてはいません。
結局彼らが原爆の恐ろしさ、おぞましさに気づくのは広島と長崎に原爆が落とされ、その惨状を目の当たりにしてからなのでした……。
なお、戦後30数年後、日本で原爆を作った男の映画(もちろんフィクションですが)『太陽を盗んだ男』(79)が作られています。
平凡な中学教師(沢田研二)が見よう見まねで原爆を作り、日本政府を脅迫していくという内容ですが、その要求の数々がいかにも戦後の日本を象徴しているような唖然としたもので(ちなみにこの要求、今ではすべて現実に成し遂げられています)、胎内被曝者でもある長谷川和彦監督の社会に対する辛辣なメッセージが見事にエンタテインメントとして炸裂した日本映画史に残る一大快作でした。
(それにしても『太陽を盗んだ男』『太陽の子』と、どちらも「太陽」なるキーワードが用いられているのも、なにやら皮肉めいていますね)
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