『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』レビュー:東京五輪のために立ち退きを余儀なくされた人々の忸怩たる想いとは
『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』レビュー:東京五輪のために立ち退きを余儀なくされた人々の忸怩たる想いとは
■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT
コロナ禍で1年延期された東京五輪2020も閉幕し、それこそ開幕前までは中止もしくは延期を求める国民の声が8割を占めていたのが、いざ始まると「やはり開催してもらってよかった」「感動をありがとう!」といった声が6割以上に達するといった状況にも転じています。
特に世界各国の選手それぞれの奮闘、その中での日本勢の好成績なども、緊急事態宣言の長期化などで悶々としていた日本人の心のオアシス足り得る結果に結びついたのでしょう。
しかし、実はそれこそコロナ以前の問題として、今回の大会の開催にあたって大きく運命を翻弄された人々が多数存在している事実をご存じの方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか?
本作は、1964年の東京五輪開催に際して国立競技場に隣接した10棟から成る公営住宅・都営霞ヶ丘アパートが、TOKYO2020に伴う再開発によって取り壊され、その住民たちも立ち退きを余儀なくされるまでを記録したドキュメンタリー映画です。
アパートの住人の大半は前回の大会の頃から住み続けている高齢者で、身体に何某かの障害を抱えた人も多く、平均年齢は65歳以上。
みんなこのアパートを終の棲家にするつもりでいたところ、当時の石原慎太郎都知事の「こんな汚らしいアパート」とでもいった上から目線の侮蔑の声と共に、まもなくして一方的な移転の通達がなされたのです。
住民の中には、何と先の大会で再開発に伴う移転を要求され、このアパートに移り住んだ人もいました。
彼にしてみれば、五輪によって二度も住家を失ったことになります。
引っ越しに際して都から支給されたお金は、わずか17万円。
長年かけて室内をバリアフリー化していた人が、新居の改築をお願いしても「自分で何とかするか、他へ移ってください」といった、つれない返事。
都に対する抗議の記者会見なども行いましたが、さして効果のないまま、結局はタイムリミットが近づくにつれて、住民は次々と引っ越していきます……。
ふと、ダムの建設で水没することになった山村の住民が引っ越していく様を描いた神山征二郎監督の劇映画『ふるさと』(83)を思い出しました。
戦後の日本は五輪にしろダム建設にしろ、復興や再開発に伴う地元住民たちの移転問題が常に取り沙汰されてきましたが、その多くは上からの通達という名の命令に対し、忸怩たる想いを胸に秘めながら受け入れてきた感があります。
余計な説明などを排して、ただただ住民たちの日々の生活を映し込んでいきますが、ふと気がつくと彼ら彼女らの住居が空っぽになっている……。
本作は決してこうした立ち退き問題そのものに対してあからさまに怒りの拳を振りあげるのではなく、己の運命を受け入れざるを得なかったひとりひとりの「人間」そのものの人生の哀しみに焦点を当てているようにも思われます。
しかし、だからこそ「本当にこれでいいのか?」という問題提起を見る側に投げかけてくれるのであり、そこにコロナ禍はまったく関係ありません。
最後に、転居した人々がどのような運命をたどったか、ラストでさらりとテロップが出てきますが、そのシンプルな文字の羅列にも大きなショックを受けてなりませんでした。
「TOKYO2020、感動をありがとう!」
そんな華々しい賛辞の裏で、こういった人々の存在もあったことを、本作を通じて覚えていていただきたいと切に願います。
(文:増當竜也)
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(C)Shinya Aoyama 2020