あまのじゃく的「鬼滅の刃」:結局派手に「遊郭編」へ期待を寄せる
炭治郎の“クソ真面目コミカル”がわからない……頃もありました
アニメ「鬼滅の刃」の途中から冷めてしまった理由に、炭治郎の“クソ真面目コミカル”をどう受け止めていいのか悩んだこともあげられます。
たとえば2話で炭治郎が通りがかった村の人から籠と竹をもらうシーン。穴の開いた籠だからお金はいらないと言われているにもかかわらず、炭治郎はなかば押し付ける形で小銭を手渡します。他にも同じ鬼殺隊の嘴平伊之助が亡くなった人を埋葬することの意味を知らずに手伝うものかと言い放った際、「傷が痛むからできない」と自分の中で整理をしていました。
これらは明らかにコミカルなシーンとしての描き方だったのですが、どうしてもその面白さが理解できなかったのです。
ただこれらの描写も冷静になって観てみると、面白さを視聴者に届けようという目的ではなかったように思います。炭治郎がいかに融通の利かない石頭の頑固者なのか、意外と狭い視野でしか物事を捉えていないのか……。
“クソ真面目コミカル”シーンは、そんな彼の他己紹介を一番の目的としていたと思うのです。また炭治郎の性格はダイレクトに受け止めると、若干人をイラつかせるものでしょう。ツッコミ役を同じ空間に存在させコメディタッチに描くことは、炭治郎という主人公と視聴者の距離を離れさせない工夫だったのではないでしょうか。
そう考えると、炭治郎の“クソ真面目コミカル”に面白さを追求すること自体がズレていると思えてくるのです。
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(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable