『イカゲーム』解説|なぜ「子どもの遊び」が行われるのか?賛否両論にこそ本質が表れている理由
2:「選択の余地などない」貧困に対する欺瞞が描かれていた?
『イカゲーム』の劇中で、主催者側がしきりにゲームの参加者は「平等」であると、誰にでもチャンスを与える「公平さ」があると訴えているというのも皮肉的だ。ゲームは前述してきた通り、それ自体がくだらない子どもの遊びである上に、体力を求められる場面も多いため女性やお年寄りにとっては不利にも思えるし、時には運に大きく左右されることもあるのだから。
その時点で主催者側が訴える平等や公平さは「欺瞞」以外の何物でもないのだが、それに関する強烈な風刺が第2話にある。実は「参加者の過半数が賛成すればゲームを中断できる」という規約が提示されており、それに則って投票を募る場面があるのだ。
この投票の結末は、ぜひその目でご覧になってほしい。そこから導き出されるのは、「貧困者には選択の余地などない」という、さらなる残酷な事実だった。
何しろ、登場人物それぞれが現実で深刻な経済的な悩みを抱えており、彼らには「負けたら死ぬが勝てば莫大な賞金が得られるゲーム」への参加が「生きるために必要」になっているのだ。投資に失敗した秀才、弟のために大金が必要な脱北者の女性、妻と娘を養う必要にかられているパキスタン出身の男性、それぞれが厳しい格差社会の「犠牲者」とも言える人物ばかり。ギャンブルで金を失う主人公や、組織に追われる武闘派ギャングという「自業自得」な人物も中にはいるが、やはり根底には資本主義の社会で「負けた」ことが理由にある。
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劇中のゲームの主催者は、そんな人生どん詰まりの参加者たちに、「民主的な投票」により、「イヤだったらゲームを辞めてもいいですよ」と、「選択肢を与えてあげている」のだ。貧困の真っ只中にいる彼らには「どうせこっちしかない」状態になってしまっているのにも関わらず……。
これらの主催者の欺瞞を、現実の社会を牛耳る為政者や権力者たちの姿に置き換えることもできるだろう。「皆さんのことを考えている」や「私たちは真摯に尽くしている」と口では言っていても、実際に行われていることは「全く事態を好転させるものではない」や「むしろ選択肢のなさを痛感させられる」ことは、現実の社会でよくあることではないか。
劇中の投票は、権力者の「お前らのことを考えてやっている(どうせこっちの思うようにしかならないがな)」という、欺瞞にまみれた「結局は優位に立つことが決まりきっている譲歩」のイヤらしさを感じさせるである。その他にも「ゲーム中ではない就寝中に襲ってもお咎めなし」という放任ぶりがあり、それも「そこまで面倒を見るわけがないじゃん」という、やはり絶対的に有利な立場にいる者の欺瞞にしか見えない。
3:さらなる欺瞞を暴く、第6話の衝撃
そのように劇中のゲームは欺瞞に満ち満ちているのだが、第6話ではさらなる衝撃が訪れる。今までのゲームでも感じていた理不尽さが、さらにとんでもない方向へと突き抜けたのだから。参加者たちがどのような試練に挑むかは……ぜひ、実際に観て確認してほしい。「夕暮れ」が映えるセット、次第に焦燥感が増していく画作りも圧巻だった。
さらに恐ろしいのは、これまでで最大の試練、いや絶望を与えるこのゲームで、参加者たちの「本質」が暴かれていくことだ。特にお人好しであり、持ち前の気運で勝ち残ってきた主人公の、情けなさ、その小賢しさが、どうしようもなく「人間らしく」て大いに感情移入をしてしまった。彼のことを卑怯だと罵るのは簡単だが、彼と同じようなことをしないとは、誰にも言い切れないのではないか。
さらに、その良い意味で最悪の展開を迎えたその6話以降は、つるべうちのようにさらなる過酷なゲームが続いていく。ゲームそのものが子どもの遊びだからこそ、「こんなにくだらないことで死ななきゃならないのか」という皮肉が、やはり『イカゲーム』という作品には通底している。本来は、人の命以上に大切なものは、この地球上に1つもないはずなのに……。
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