2021年11月30日

『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』:娯楽を伝説に変えた至極の名言(1行目からネタバレあり)

『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』:娯楽を伝説に変えた至極の名言(1行目からネタバレあり)



「I am your father」 


私はスター・ウォーズシリーズをすべて後追いの形で見た人間で、リアルタイムで観た人間ではない。

果たして1980年5月21日にアメリカの映画館でこの一言を聞いた人たちはどう感じたのでしょうか?

この本当に短いたった1つのセリフが、映画史を変えるほどの伝説を生んでしまうことになろうとは…。

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“純正娯楽冒険活劇”を求めて

生みの親のジョージ・ルーカスはもともとから、 “純正娯楽冒険活劇”を作ろうと思っていたらしいのです。1934年から新聞連載が始まったコミック「フラッシュ・ゴードン」の映画化を望んだところから話が始まったので、この話は間違いなさそうです。

当時はベトナム戦争の影響もあって、アメリカ全体が沈んだ空気の下にあり、映画もまた内省的なアメリカン・ニューシネマが大きな潮流となっていました。

絵空事、娯楽だけを描き続けるハリウッドメジャー・スタジオに反旗を翻した若手クリエイターが“今のアメリカはこれだろ!!”とリアルで、痛々しく、殺伐としていて、時にバッドエンドも辞さない映画たち、のちに“アメリカン・ニューシネマ”と呼ばれる作品群をどんどん突き付けてきました。

まぁ、それはそれで、映画は社会の写し鏡であるという部分がありますから、必要で必然な流れだったのかもしれません。

ただ、“そんな映画ばっかじゃ気が重くなる一方だ!!”という意見もあるわけで、カリフォルニアで映画作りを学んでいた二人の青年は、“俺らが子供頃に観てた、”純正娯楽冒険活劇“=古き良きアメリカが見たい!”と意気投合して、娯楽性に振り切った映画作りを模索し始めます。

そんなことを言い合った2人の映画青年。

1人の名前はスティーブン・スピルバーグ、もう1人の名前はジョージ・ルーカスと言いました。

『スター・ウォーズ』公開前夜

そして、ルーカスは1973年に『アメリカン・グラフティ』を撮り、スピルバーグは1975年に『ジョーズ』、1977年には『未知との遭遇』を撮りました。

ルーカスは「フラッシュ・ゴードン」の映画企画を模索するも、権利関係などで大いにもめて頓挫してしまいます。

その後、代替作品として『スター・ウォーズ』の脚本を執筆しました。戦争映画、西部劇、海賊映画、ラブロマンス、ヒューマンドラマ、さらには日本の時代劇まで取り入れたこの作品は最終的にSF映画となることになります。

上記のような要素を取り入れると、必然的に敵と味方を作る必要があります。

ルーカスが子供の頃に観ていた作品では、ネイティブアメリカン(当時はインディアンと言われてました)や黒人、また各地の非白人系民族などが悪役や敵役で登場していたのですが、80年代を目の前にした時代に、そんな設定を取り込んだりしたら、社会から痛烈な批判を受けることは火を見るよりも明らかでした。

そこで、“A long time ago in a galaxy far, far away....=遠い昔、遥か彼方の銀河で”という舞台設定を持ち込んで、そこで架空の敵・味方を作り上げ、SF映画というジャンルを選ばざるを得なかったと言えるでしょう。

『2001年宇宙の旅』や『猿の惑星』といった偉大な先人もいましたが、SF映画というのは、当時は一段下の子供向けジャンルだとしか思われておらず、それに加えてルーカスは“まだまだこれから”といったキャリアの若手監督でしかありません。

20世紀FOXの首脳陣を口説き落とすのかなりの苦労があり、潤沢な予算を得たとも言えませんでした。

苦労に苦労を重ね、ルーカスの手によって『スター・ウォーズ』が完成します。

しかし、20世紀FOXの首脳陣や同世代のブライアン・デ・パルマなどはラッシュ試写を見て「陳腐な子供だましだ」「B級映画だ」と厳しい感想をルーカスに浴びせ、ルーカスはかなりへこみました。

そんな中、スピルバーグ1人だけ、「この映画はヒットする!大儲けできる!」と言い切ったそうです。

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