映画『成れの果て』に潜む、救いなき<共感>



萩原みのり主演の映画『成れの果て』が2021年12月3日(金)より公開となる。マキタカズオミ原作の同名戯曲を映像化した作品だ。

姉のあすみ(柊瑠美)から結婚の報告を受けた主人公の小夜。しかし、その相手・布施野(木口健太)は、8年前に小夜を傷付けてしまう事件を起こした張本人だった。布施野の名前を聞き、いてもたってもいられなくなった小夜は、親友のエイゴ(後藤剛範)を連れて帰郷。事態がゆっくりと、不穏に動き出す。

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人間の持つ歪みが残酷に描かれていく

8年前の事件によって深く傷つけられた小夜は、今なおその苦しみから抜け出せずにいた。だが、今作が描いているのは彼女の苦悩ではない。事の発端となる姉の結婚、その相手をめぐってゆるやかに事態が動き出す過程で浮き彫りになるのは、人間の歪んだ愚かさだ。



帰郷した小夜は、周囲の人たちにまるで心を開かない。姉に対しても、地元の友人に対しても、ちょっとそれはどうなのかと不安になるほど喧嘩腰でつっかかっていく。そんな彼女に対して、周りも腫れ物に触るような対応しかできずにいた。

だが、小夜がやって来たことで、これまで絶妙なバランスで保たれてきた人間関係が徐々に崩れはじめる。

事件を過去のものにしたい、現場に居合わせた布施野の友人。その内容を小説にしたいと無神経にも話を聞きに来る布施野の恋人。ある意味では現実に向き合い、たくましく生きていると捉えられなくもないが、小夜の気持ちなど微塵も顧みない彼らの言動は残酷で、憤りを覚える。

あすみが自宅に住まわせている友人や、ひそかにあすみに思いを寄せ続けている幼馴染も、周囲への気遣いばかりしているかに見えるあすみだって同様だ。生きていく中で積み上がってしまったプライドを持て余し、自らの自尊心を慰めることしか考えていない。

そしてもちろん、消えない苦しみを抱え続ける小夜もまた、感情に囚われて自分の人生を放棄してしまっている。



誰かの心情にフォーカスするのではなく、淡々と事実を重ねていく作品だからこそ、歪な愚かさが生々しさをもって迫って来る。その生々しさゆえ、目をそらしたくなってしまう場面も確かに多い。

しかし、これは決して異様な物語ではない。彼ら1人1人に、誰しも少しは共感できる部分があるはずだ。鑑賞後に救いを感じられる類の作品では決してないが、少なくとも筆者は見られてよかったと思った。自分にも見たくない部分がたしかにあることを思い出させてもらったから…。

怒りを滾らせる萩原みのりの演技は圧巻

先ほど、今作では小夜の苦悩は描かれていないと書いたが、それがストーリーの主軸ではないだけであって、小夜の全身、特に小夜の目からは全編を通して強い怒りが感じられる。彼女はまだ8年前の事件の中に生きているのだ。当事者にとって終わりなんて永遠にないのだという決然とした意志を感じる。



筆者が全話レビューをしていたドラマ「ただ離婚してないだけ」の萌役でもそうだったが、萩原のするどい眼差しは狂気的で、どこか儚い。だからだろう、小夜もまた理解に苦しむ行動に出るのだが、それであなたは幸せなの?と思いこそすれ、そこに嫌悪は感じない。全身に怒りと苦しみを宿らせながら、見る者の共感を喚起させる人間味を残して演じ切った萩原に、改めて拍手を送りたい。 

余談だが、エイゴと2人だけのシーンでの小夜はとても無邪気でかわいかった。今度は萩原さんが幸せな恋愛を楽しむ作品を、スクリーンで見られるといいな。



(文:あまのさき)

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