2021年12月25日

<リバイバル>“20世紀の奇跡”カール・テオドア・ドライヤー監督の映画たちを簡明に語ってみたい

<リバイバル>“20世紀の奇跡”カール・テオドア・ドライヤー監督の映画たちを簡明に語ってみたい




■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT

12月25日から東京シアター・イメージフォーラムを皮切りに、「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」と称して、20世紀の世界映画史に燦然と輝くデンマーク出身の巨匠カール・テオドア・ドライヤー監督の傑作4本が上映されます。

無声映画の時代から戦前のトーキー、戦後と活動し続けた孤高の映画作家が繰り出し続けた至宝の数々は、実験的であり、野心的であり、それでいて簡明に見る者の心にストレートに訴えかけてくるものばかり。

ただし、最近はこうした過去の名作群などを妙にアカデミックに難しく語っては勝手に悦に入るような、一般が入り込みづらいシネフィル的論評も多く見受けられるのも事実。

そこで今回、出来る限り簡明に、誰もが親しみやすく興味を持てるようにカール・テオドア・ドライヤー監督とその作品群について語ってみたいと思います。

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ヒロインのアップの連鎖で描く
出世作『裁かるゝジャンヌ』


(C)1928 Gaumont

まずはカール・テオドア・ドライヤーの経歴から。
(なお、彼の名前の表記はこれまで日本ではカール・テオドール・ドライエル、カール・テオドール・ドレイエルなどさまざまでしたが、デンマーク本国ではカール・テオドア・ドライヤーが一番発音が近いとのことです。カール・Th・ドライヤーといった表記もあり)

1989年2月3日、デンマークのコペンハーゲンで私生児として生まれた彼は、厳格な養父母のもとで育ち、学校卒業後は通信電話会社からジャーナリストへ転身。

そこで書いた映画評の数々が認められて脚本を書くようになり、1919年に『裁判長』で映画監督デビューを果たしたのでした。

2作目『サタンの書の数ページ』(1919)の後、デンマークを離れてスウェーデンやドイツ、ノルウェーなど国外で活動するようになり、7作目『あるじ』がフランスでヒットしたことから、やがて『裁かるゝジャンヌ』(28)の製作へと結びつきます。


(C)1928 Gaumont

今回上映される唯一の無声映画『裁かるゝジャンヌ』(2016年に演奏録音されたオルガン奏者カロル・モサコフスキの演奏付き)は、百年戦争の英雄として讃えられ続けるフランスの女性ジャンヌ・ダルクを主人公にしたものですが、いわゆるヒロイックな武勇伝ではなく、敵国イングランドに捕らえられ異端裁判を受けて火刑に処されるまでを、実際の裁判記録を基に克明に綴ったものです。

ここでは裁判など多くのシーンで、ジャンヌ・ダルク(ルネ・ファルコネッティ)を毛穴まで見えるかのような極度のアップで捉え続けるという、実験的手法を採っています。

これによってジャンヌの怯えや不安、覚悟などが巧みに描出されるとともに、一方ではそんな彼女を巧みに誘導していく裁判官たちの狡猾さも際立っていきます。

一転してクライマックスの火刑シーンは壮絶なスペクタクルとして描かれていて、彼女の処刑に激昂する庶民の暴動が体制に鎮圧されていく非道のさまも印象的なのでした。


(C)1928 Gaumont

カール・テオドア・ドライヤーは『裁かるゝジャンヌ』を最後の無声映画とし、続けて初のトーキー映画『吸血鬼』(32)に取り組みます。

これは吸血鬼伝説をモチーフに、ホラーというよりはダーク・ファンタジーとして仕上げた幻想譚でしたが、配給会社が勝手にナレーションを入れて短縮するなどの憂き目に遭い、以後ドライヤーはおよそ10年の沈黙を強いられることになるのでした。

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© 1928 Gaumont, © Danish Film Institute

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