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【台湾ホラー】台湾映画の歴史とそこから生まれたホラー映画5選
【台湾ホラー】台湾映画の歴史とそこから生まれたホラー映画5選
『哭悲/THE SADNESS』より (C)2021 Machi Xcelsior Studios Ltd. All Rights Reserved.
台湾という存在は歴史的にも政治的に何とも非常に取り扱いの難しいもので、よく〇〇の国と地域と言ったときに“国か?地域か?”で議論を呼ぶこともしばしば。
自国産映画については常に海外作品に押される場面が多いのですが、時折、突如して台湾全土を熱狂させる台湾産映画が登場して記録的な大ヒットをするときもあります。
7月1日から公開された、海外の映画祭で“史上最も狂暴で邪悪”と称された『哭悲/THE SADNESS』もそんな1本です。
今回は台湾映画の歴史の振り返りからおすすめの台湾ホラー映画まで紹介します。
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台湾映画を追いかけて
台湾映画の歴史は台湾の歴史そのものと言っていいでしょう。日本の敗戦で統治が終わった後、共産党との勢力争いに敗れた国民党が台湾にやってきて、この国民党政権によってかなり厳しい戒厳令下の時代がありました。
これは台湾に限らずどこの国の歴史にもあることですが、こういう時期には当然文化の面において抑圧されることが多いです。韓国もそんな時代がありました。
やっと落ち着いてきたのは80年代の頃、ようやく自由な映画製作が認められるようになります。
この頃のことを“台湾ニューウェーブ”と言ったりします。
ホウ・シャオセン監督の『非情城市(1989)』やエドワード・ヤン監督の『台北ストーリー(1985)』、『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件(1991)』などは象徴的な作品と言えますね。今やハリウッドのヒットメイカーとなったアン・リー監督もこの頃に活躍した一人です。
アート色が強くて、ストレートな楽しさを追求したエンタメ作品というものではないのですが、どれも力作です。
ちなみに『牯嶺街少年殺人事件』で子役、主演だったチャン・チェンは今では『DUNE/砂の惑星(2021)』に出演するような国際派スターですね。
日本ではすっかり“邦高洋低”と言われていますが、世界の大半の国の映画市場を見れば“洋高”で、主にハリウッド大作が中心にヒットして、ごくまれにその中に自国産映画が割って入ってくるというところです。
台湾でいえば『海角七号君想う、国境の南(2008)』や『セディック・バレ(2011)』などがそれにあたります。
映画の交流と映画の作り方
台湾と他の中国語圏の国と地域は政治的・歴史的な面から見るととても難しい関係にあって、それだけで本が何冊も書けるようなことになっています。しかし、映画単体で見ると(政治・文化の面での難しさに比べると)交流は盛んで、容易と言ってもいいでしょう。
特に、いろいろ言われつつもまだ創作の自由度の高い香港映画とはスタッフ・キャストの交流は盛んで、境目を乗り越えて出演したり、監督したりしています。
例えば前述のアン・リー監督の『グリーン・デスティニー(2000)』はチョウ・ユンファ、ミシェル・ヨー、チャン・ツィイーと言った香港キャストにチャン・チェンが加わり、アクション設計のチームは香港のチームという混成です。
映画賞でも普通に台湾の映画賞に香港映画人が入ることもありますし、その逆もあります。
特に意識していないと、台湾圏、香港圏などその出自に差を感じることはないかと思います。日本でもおなじみのリン・チーリンは台湾のモデル兼女優です。
その反面、映画の作り方には大きな制約がありました。先述の台湾などを含む、厳しい統治体制が敷かれている時には、干渉と自制によって非常にジャンルや描写、内容が限られていました。
これは映倫の指定というレベルの話ではなく、そもそも論として“そういう内容の映画はダメ”という空気感が濃いことを言います。
積極的な批判はなくても、他国の主義主張や価値観を引き合いに出したりすると、“自国のそれを卑下している”と言われてしまいかねないのです。
日本でももちろんそういう時代がありましたし、今も世界中の国で映画製作に様々な制限がかかっている例は少なくありません。
そんな制限を受けやすいジャンルにホラー映画があります。戦争映画や社会派ドラマはわかるような気がしますが、ホラー映画も“人心を乱す”として制約がかかる例があります。
逆に、ホラー映画が豊富な時は、自由な映画製作ができているのだという一つの指標になることがあります。
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