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2022-01-07

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』ネタバレなし!知ってほしい「マルチバース」の定義や面白さを科学者の野村泰紀先生が解説


マルチバースが信じられなかったのは、繰り返された「固定観念」から?



――マルチバースの存在は、言葉は良くないとは思いますが「状況証拠」が揃っているような印象を受けました。


まさにそういうことですよ。マルチバースについて「ものとして直接見られる訳じゃないから科学にならない」という批判をしている人もいましたが、まともにサイエンスを学んでいる人なら反論できます。

例えば「恐竜の骨の化石は発見されたけど、あなたは実際に恐竜見たことがあるのか」とか「ビッグバンから宇宙が始まったというけど、あなたはビッグバンをここで作ったことあるのか」とか問われることと、ロジックとしては同じです。状況証拠を重ねてみて、宇宙は現在膨張している、だから昔はもっとぎゅうぎゅうだったはずだと考えて、ビッグバン理論は提唱されたのですから。マルチバースも同様に、状況証拠や現在の物理の理論をみるに「そうなっていなければおかしい」ということで出てきたわけです。見たことも、行ったこともなかったとしても、「今のところはこれがもっとも自然」ということは、サイエンスがいつもやっていることなんですよ。

――恐竜の化石は恐竜が存在した物的証拠とも言えるかもしれませんが、それでも恐竜の生態などにはバリエーションがあったりしますから、確かにマルチバースにおける状況証拠とも大きな差はないかもしれないですね。

いちゃもんをつけるだけなら、恐竜の骨の化石が見つかったとしても「これはUFOが来て埋めたんじゃないか」と言ったりもできますからね。恐竜の足跡が見つかっても「それは宇宙人が作ったんだよ」とか、化石が必ず特定の地層から出てきたとしても「宇宙人がわざとその地層にだけ埋めたんだよ」とか、そんなことを言い出したらキリがありません。それは恐竜だろうが物理だろうが考古学だろうが同じはずなのに、昔はマルチバースについて、まともなはずのサイエンティストが、似たようなことをたくさん持ち出してきていました。

その昔、天動説か地動説かという議論でも「そんなはずはない!」と相手を断固として認めず、弾圧されてきたこともありましたよね。ガリレオ・ガリレイの時代のバイアスはものすごく強かったでしょうし、自分がやってきたことと比べるのはおこがましいですが、それに似たことがマルチバースでも起こっていたのだと思います。キリスト教を布教するときのパウロのように全ての苦難を跳ね除けてとまで言う気はないですが、やはりマルチバースの体制が受け入れられなかった時代を見てきたので、今の状況には隔世の感があります。

――先ほどビッグバンの話がありましたが、マルチバースは科学的にそれと同じくらい確かなものになりつつあるということですよね。

そうなりつつありますけど、まだまだビッグバンのレベルには到達していないですね。実はアルベルト・アインシュタインも「宇宙は未来永劫あるに決まっている、ビッグバンなんてあるはずがない」と考えていたこともあったんですよ。でも、その後に観測で、実は現在の宇宙は広がっていっていることがわかって、アインシュタインは「生涯最大のミステイク」と言ったそうです。アインシュタインほどの天才でも、自分の書いた方程式が宇宙が膨張していることを示していたのに、それを信じることができなかったんです。ビッグバンはもう当たり前のこととして小学生でも学んだりしていますけど、たった100年前に世界トップのサイエンティストが信じることができなかったという歴史があった。さらに300年前には、地球が世界の中心にあるのは間違っていると言っただけで火炙りになった人もいたんです。

――やはり人間には積もり積もった固定観念があるんでしょうね。

ただ、自分の論理や考え方が間違えていたと気づいたら、それを捨てたりアップデートできるというのは、サイエンティストの良いところかもしれませんね。僕自身そうした過程を目の前で十何年も見てきたので、マルチバースという言葉が映画の中にまで使われるようになったのは、ただただ嬉しいです。よく「映画の中でマルチバースという概念が登場することをどう思われますか?」と質問されるのですが、「いやいや、嬉しい以外の感想はないですよ」と答えています。

フィクションと実際のマルチバースの違いとは?



――『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』で提示されるマルチバースは、野村先生の理論と合致されているものなのでしょうか。


もちろん、科学的には無理はありますよ。例えばマルチバースをこんなに簡単に行ったり来たりできるとは思わないです。もしマルチバースがほんとうにあったとしても、僕たちの周りに普段知覚できる形で現れてはいませんよね。それを現出させた時点で、フィクションとして誇張はしているわけです。

でも、これはエンターテインメントですからね。サイエンティストが本作で起こったことを「こうではない」とひとつひとつ論じることはできますが、それは野暮というものでしょう。フィクションでどのようにマルチバースを表現するかということにおいては、映画を作っている方のほうがプロなのですからね。

僕としては、マルチバースの概念を元に、根源的な人間としてのテーマを持つ映画が作られたことが、ただただ感無量です。一時はイロモノとさえ思われていたようなマルチバースという概念を、どうやって一般の人に魅力的に伝えて行けばいいか、ということは僕もずっと考えてきていたのですが、やはりエンターテイメントを作る人というのはその道のエキスパートなのだと思いました。ただ、サイエンティストは自分のイマジネーションのみで作り上げたものを科学として語ることはできませんから、役割が違うということなのでしょうね。

――劇中のマルチバースの使われ方で面白いと思ったことはありますか。

サイエンティストとの視点とは違いますが、こういう風にマルチバースを使うんだ、映画の作り手はこういう考えが好きなんだなと、ただ楽しんでいましたね。例えば、異なる次元を表現する時に「鏡」を使っていましたね。僕たちは次元というのはもっと本質的なもので、鏡などはただこの宇宙にたまたまある何番目かの原子でできた物質にすぎないと思うのですが、エンターテインメントとして表現するとああいうふうになるんだなと感心しました。

――本作から、もっと深くマルチバースの考えに浸ったり、科学研究に興味を持ってもらえたら、野村先生としても嬉しいですよね。

本当にその通りです。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』はエンターテインメントとしてすごく楽しかったので多くの方に観てほしいですし、さらに実際のマルチバースというものはどういうものなんだろうと、サイエンスにも興味を持ってもらえたら嬉しいです。その中でもベストな選択肢は僕の本だと思いますけど(笑)。少しでもそういう人が増えたら嬉しいですし、そうでなくても、ただマルチバースを扱った作品が生まれていることがすでに嬉しいですけどね。

――『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』という、タイトルから「マルチバース」が入っている映画の予告編が公開されていましたが、野村先生はどのような内容になっていくと思いますか。

宇宙に起こった混乱を、ドクター・ストレンジが彼なりに解決していく物語になるのだろうと思います。何よりマルチバースを操れるドクター・ストレンジ自身の話になるのですから、マルチバースをさらにイマジネーション豊かに表現してくれるのだろう、深掘りをしてくれる内容になるのだろうと、とても期待しています。



公式サイトでも野村先生をはじめとした4人の専門家によるマルチバースの解説が掲載されているので、合わせて参照してみてほしい。
 
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は大ヒット公開中。野村先生の言うように、エンターテインメントとして楽しめるのはもちろん、マルチバースという概念やそのものにも興味が持てる内容でもあるだろう。そのマルチバースの歴史に、科学者たちが繰り返してきた固定観念とぶつかり合う様があったとしても、発展し進歩してきたことにロマンを感じられたインタビューだった。そのことを、映画と合わせて思い返してみても楽しいだろう。

(取材・文=ヒナタカ)

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