映画コラム
【考察】『MEMORIA メモリア』オールタイムベスト級の体験を紐解く
【考察】『MEMORIA メモリア』オールタイムベスト級の体験を紐解く
「すべての言語は同じ程度に複雑だ」
イスラエル出身の言語学者ガイ・ドイッチャーは「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」の中で、アマゾンの部族はどのような言葉を話しているかと質問している。多くの人は「原始的な言葉を話す」と答える一方、言語学者は「すべての言語は同じ程度に複雑だ」と回答すると語る。
外国人が日本語を使って会話する時、それが遠く離れた部族である程「ワタシ、ハナス、ニホンゴ」と片言で表記し認識してしまう傾向がある。
これは、外国語において表現が乏しいと錯覚させてしまう。スペイン語やフランス語などといった話者が多い言語であれば、多くの情報が入ってくるため錯覚することは少ないだろう。しかし、イヌクティトゥット語やモシ語だったらどうだろうか。
ガイ・ドイッチャーは次のように語る。
「外国語をしゃべろうとするならば、文法的ニュアンスも含めて何年も学んだ場合はべつとして、結局頼ることになる最後のサバイバル戦略がひとつある。それは、もっとも重要な内容以外はすべて捨て、基本的意味を伝えるために欠かせないもの以外はすべて無視して、事の本質だけに集中することだ。
(「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」、早川書房、p175より引用)」
これを踏まえてタイ監督であるアピチャッポン・ウィーラセタクンがイギリスの俳優であるティルダ・スウィントンと、コロンビアでスペイン語を使った物語を作ることに注目してみよう。
■ワンテンポ遅い会話から見えてくるもの
ジェシカの話すスペイン語はワンテンポ遅い。スペイン語で話しかけられると、数秒の間を置いてから話返答する。相手が話していることを翻訳し、それを基にどのようなスペイン語のフレーズを使うか悩むように見える。
会食で英語を使う場面ですら、ぎこちなく噛み合わない会話にもどかしさを感じる彼女だけに、他者からの言葉への反応はより遅くなってしまう。それだけに彼女が話すスペイン語は、短く、端的である。言葉の杖をどのように振るかに脳のリソースを費やし、確実に相手に伝わる表現で会話しているといえる。
そのため、細菌研究者から突然スペイン語で詩を読み上げられると、その解釈に困惑しフリーズしてしまう。だが、複雑な感情を言語化するのに詩は有効だと考えた彼女は、“あの音”をきっかけに生まれた心のモヤモヤを英語による詩を編むことで拭い去ろうとする。
■山奥にいた男が使う言葉の杖とは?
そんな彼女はコロンビア山間部にある町ピハオで、疾走した音響スタジオの男と同じ名を有する男(エルキン・ディアス)と出会う。
彼は、ノイズから自分を遠ざけるように視界に入るものを制限していると語る。本質だけを語りながらこの世の真理を語るこの男エルナンに触発され、ジェシカはスペイン語で“あの音”と自分の過去を繋ぎ合わせる。彼女もまた、真理を見出すために。
やがてそれは実際に聞こえてくる音ではなく、心の中で響き渡る音による対話でもって解決する。エルナンがジェシカの手を握ると、暴力の声、嵐の音、子どもたちのざわめきが彼女の心の中を駆け巡る。そして他人の記憶にもかかわらず感傷的になる。
遠く離れた都市と隔絶されたところで生きる男は、心に訴えかける“波動”でもって複雑な対話を試み、ジェシカの心を癒すのである。彼の言葉の杖は人智の及ばぬ複雑さを表現しており、観客は彼女が体験する超常現象の一部を味見することとなる。
■言葉の杖をふることとは?
このように、アピチャッポン監督は“あの音”からコミュニケーションの本質を捉えようとしている。英語話者であるジェシカが、スペイン語、音、身体表象、波動と様々な言語を巡る中で言語の複雑さを知る。英語至上主義の世界から人を引きずり出すことで、言語の複雑さがコミュニケーションを豊かにし、それが自分を救うことができると普遍的に物語っているのである。
また、監督の母語であるタイ語を使用しないことで、客観的に言葉と対話との関係性を見つめている。つまり、言葉の杖をふることとは言語の複雑さと向き合うことでもあるのだ。
2人のエルナンは、言葉の杖のふり方を教える案内人として機能している。音響スタジオのエルナンは音で、ピハオは波動で教えてくれるのである。
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Photo: Sandro Kopp (C) Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF-Arte and Piano, 2021