<BiSHオムニバス映画>アユニ×エリザベス宮地:タイトルが示す“2つ”の意味



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2023年をもって解散を発表しているBiSH。常に新しいことを繰り出してきたBiSHが、ついに映画作りに乗り出した。

メンバー6人がそれぞれ主演を務める短編オムニバス映画、その名も『BiSH presents PCR is PAiPAi CHiNCHiN ROCK’N’ROLL』。コロナ禍をものともせず、むしろ逆風を操って追い風にしてみせた6人が、これからの時代に向けて新たな映画の形を提示する。

BiSHの中でもリードボーカルを務めることが多くなったアユニ・Dが主演を務める短編映画『オルガン』は、彼女演じる”あーこ”が自身の兄の死に向き合う物語。

命とは、生とは、死とは。

センシティブな題材を扱う映画の冠につけられた『オルガン』の意味と、BiSHでもPEDRO(※)でもない“アユニ・D”の魅力を考察する。

(※)PEDRO=アユニ・Dのソロプロジェクト

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作品の色を決定づける“写真”の存在



アユニ・Dが主演を務める短編映画『オルガン』は、1人の男性が雪の降りしきる山中で鹿を仕留め、その内臓を写真に収めるセンセーショナルなシーンから始まる。慣れていない方には少々刺激的な描写なので、覚悟していただきたい

この時に収められる写真が、映画『オルガン』の色を決定づける。命が尽きるまでは、体内でその命を支えていた内臓たち。まさに命そのものを”写真”といった形に落とし込んだことが、彼のアイデンティティにも通じるのだ。

写真を生業にする彼が亡くなってしまうのは、突然のことだった。

生前、彼は妹・あーこ(演:アユニ・D)と、内臓の写真を見ながら思いを語る。生きること、死ぬこと、命について。

「気持ち悪いけど、綺麗だろ」と言いながら写真に向き合い、撮るために殺したのかと問われて「食べるために」と答える。そんな彼の言葉と視線を通して、あーこは命に対する漠然とした思いを宿らせるのだ。

しかし、それがしっかりとした輪郭を持つ前に、兄は亡くなった。

慕う兄の突然の死と、兄が残していった写真を前に、あーこは何を思うのか。生前の兄と交流する「明」の感情と、兄が亡くなったあとの「暗」の感情。その双方を、アユニ・Dはコントラスト豊かに表現している。

タイトル『オルガン』は何を意味するのか



兄と妹が主人公の、生と死に迫った物語。兄は写真家で、妹は20歳を迎えたばかり。食べるために殺されるのは鹿で、作品のキーポイントとなるのは1枚の写真だ。

この作品にはオルガンはもちろんのこと、ひとつの楽器さえ登場しない。映画のタイトルが『オルガン』なのは、なぜだろうか。

筆者は2つの意味があると考察する。

1つは「命の比喩」である。

オルガンは、現代では電子オルガンも含め一様に「オルガン」と呼ばれている。しかし、元々は「風琴」と表されるように、パイプオルガンのみを指す呼称だった。

パイプオルガンは、幾本もあるパイプの中へ風を送り込み、空気を震わせることで音を鳴らす。長さの異なるパイプによって音に変化が生まれるのだ。

ひとつの動作(=空気を入れ込む)によって、あらゆる要素が連鎖反応を起こした結果、音が生み出される。この数珠繋ぎがもたらす様を俯瞰して見たときに、決して一人では生きられない人類(=命)の存在が連想されてもおかしくない。

オルガンの構造を人の命に例え、生きることの尊さや価値を体現しようとしたのではないだろうか。

もう1つ考えられる考察として、キーワード「芸術」を挙げたい。

作中において、芸術の価値について問うシーンがある。芸術の価値、ひいては写真の価値とは何なのか。それに伴って命の価値は変化するのか、しないのか。

芸術やエンタメ作品の価値について、私たちは否応なく考えさせられた。コロナ禍における自粛対象として、真っ先に劇場や博物館、映画館、そしてライブ会場が挙げられたのは記憶に新しい。

少なくとも日本では、芸術は不要不急なのだ。誰も明言はせずとも、何度も繰り返される緊急事態制限がそれを物語っていた。

コロナ禍においても、音楽に対する確固たる姿勢を崩さなかったBiSH。その一員であるアユニ・Dが主演する映画タイトルが「オルガン」である。

芸術も音楽も死なない。生きる上での必要事項であり、真っ先に自粛しなければならないものではありえない。

そんな覚悟と宣言を、表面上は柔らかく表現したタイトルが『オルガン』なのではないだろうか

これまでにないアユニ・Dの表現と可能性



2016年にBiSHへ加入。2018年からはソロプロジェクト「PEDRO」を始動させたアユニ・D。(※PEDROは2022年現在、無期限活動停止中)

BiSH加入直後の彼女はあどけなく、故郷・北海道から上京したばかりの“擦れてなさ”が全面に表れていた。楽曲「オーケストラ」「本当本気」(アルバム「KiLLER BiSH」収録)のMVでもその様子は見受けられ、歌唱の仕方も現在と比べると独特の癖が少ない。

そんなアユニ・Dは、電撃的な加入で話題をさらったあとも勢いを止めることはなかった。ライブを重ねるたびにその歌唱力は増し、いまではBiSHの二大リードボーカル(アイナ・ジ・エンドとセントチヒロ・チッチ)にも引けを取らない歌声を披露している。

その魅力ある歌声がソロプロジェクトの始動に繋がり、自ら歌詞を作成するなど深い音楽活動に傾倒するきっかけにもなったのではないか。

一度聞いたら忘れられない独特な歌声、音楽センス。そして、アユニ・Dを語る上で欠かせないもう1つの要素は、そのビジュアルである。

BiSH加入当初は幼い印象が拭えなかったが、時を経るごとにそのビジュアルまでも進化していった。今回の映画『オルガン』を見ていて、あらためてアユニ・Dの総合的な魅力に気づく方も多いだろう。

素の彼女に限りなく近い口調、仕草であることを想像させつつも、作品の中に生きる“あーこ”は確実にスクリーン上で呼吸をしている。兄を想い、兄の死を悼み、兄の残していった写真に向き合っている。

役者ではない、演技経験も浅いアユニ・Dだからこそ、できる表現が刻まれている。私たちは、映画を通してそれに触れることができるのだ。

BiSHとしての彼女はそこにはいない。歌や音楽を通さない生身のアユニ・Dが、これまでにない可能性を伴って、新しい表現に挑戦している。


2023年をもって解散が決まっているBiSH。それ以降の彼女自身が、どれだけ演技に対する思いを持っているかは未知数だ。

しかし、受け手の我々は役者としてのアユニ・Dを期待してしまう。この映画は、そういう映画だ。

(文:北村有)

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