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2022年05月29日

アニメ映画『バブル』を全力で称賛&解説|“マイノリティー”と“世界の肯定”の物語だった

アニメ映画『バブル』を全力で称賛&解説|“マイノリティー”と“世界の肯定”の物語だった


5:破壊と再生を繰り返す世界の肯定

劇中では「世界は破壊と再生を繰り返す」という言葉が登場する。それはコロナ禍はもちろん、戦争や災害などの破壊的な出来事が起こったとしても、いつかは再生をしていく(実際に歴史的にそうなっている)という、今こそ響くポジティブなメッセージとなっている。

また、脚本家のひとりである虚淵玄は、「ウタの目を通して見る世界は、不思議に満ちた、じつに美しくて尊いものです」「つまりウタは、ヒビキだけじゃなく、この世界の全てに恋をしたんだろうなっていう思いがある」とも語っている。つまり、本作はヒビキとウタのラブストーリーに止まらず、最終的にはこの世界そのものを肯定するメッセージも込められていると言っていい。

個人の辛い悩みは尽きないし、世界中にはどうしようもない悲劇も起こる。だが、それでも、世界は美しい。ウタのように何かを学んでいければ、ヒビキのように自分を好きになれるきっかけがあれば、素晴らしいことはきっとあるだろう。

そして、劇中でのウタとの別れは永遠のものではないと、ラストシーンとエンドロールで明確に示されているし、それはウタの声優を担当したりりあ。が歌う主題歌「じゃあね、またね。」にも表れている。もちろん現実では死んだ者、失ってしまったものは元には戻らないが、再び同じような喜びや幸せに巡り合うことは、きっとある。世界は破壊と再生を繰り返す、だからこその希望は得られる。『バブル』で紡がれたのは、そんな物語なのだ。



おまけ1:元々「ささる人」に向けられた物語

『バブル』はNetflixで全世界に配信され、300館以上で劇場公開された、完全にマジョリティーに向けられている作品であり、荒木哲郎監督もそれを意識していると明言している。だが、前述した通り、実際はマイノリティーに属する若者たちを描いた物語であり、やはり「ささる人にはささる」内容であったと思う。

そのNetflixでの先行配信は「認知の獲得」のためということだが、(筆者も期待していたのだが)映画館での体験をしてほしいと願う作り手の狙いからすれば、やはり良い方法だったとは言えないだろう。Netflixでは数日にわたり映画での視聴数No.1を獲得していたし、商業的には決して失敗とは言えないのかもしれないが、やはり映画館でこそ真価を発揮する内容であったので、「もったいない」という気持ちになってしまう。

参考:映画「バブル」 WIT STUDIOと荒木哲郎監督に聞く日本アニメの10年後 | Forbes JAPAN

また、いわゆるセカイ系の設定や、ボーイ・ミーツ・ガールの要素、美麗な風景からは「新海誠監督っぽさ」を思わせるし、その面でも魅力ももちろん大いにあるのだが、本質的な物語は全く異なる。それもまた、受け手に「新海誠らしさを目指しているようでなんか違う」「既視感ばかりがある」ネガティブな印象を与えてしまったのかもしれない(劇中に「シン」「カイ」「マコト」という名前のキャラがいるのも意味深だ)。

だが、「ごく一部の人にささる」作品もまた意義のあるものだ。本作に限らず「世間的な評判は良くないけど自分は好き」という作品に出会った方は、少なくはないだろう。それは、その人が強固に持っている好み、もっと言えば価値観を再確認できたということでもあるので、その気持ちは大切にしてほしい。その逆もしかりで、本作に否定的な評価を下した方も、その意見を変える必要はない。それもまた、その人にとっての価値観なのだから。

おまけ2:アップになった時の「メイクアップ」の賛否

もう1つ、本作が賛否両論を呼ぶ理由のひとつに、「顔のアップになると画の雰囲気がガラッと変わる」ことがある。荒木哲郎監督によると、これは『甲鉄城のカバネリ』でもみられた「メイクアップ」と呼ばれる手法であり、「心情を強調する効果」の他、今回は「強い欲望を“エロス”も意識して印象づけたい」という意図もあったという。

実際、ウタが自分の指を口でくわえる様などには、かなりのエロティシズムを感じさせる。これがまた多くの方の拒絶反応を呼んでしまったわけだが、愛情を超えた少し危うい関係性を漂わせるというは、個人的には嫌いではない。“生命”を描くのに“性”をほのめかすように描くというのは真っ当でもあるし、それを(指で触れたりキスをすること以外の)性的な行為ナシで描いたことは賞賛したいのだ。

おまけ3:合わせて観てほしい映画3選

最後に、この『バブル』と似た要素やテーマを感じられた、公開中&これから公開の映画を紹介しよう。同時多発的にこれらの映画が劇場公開されることにも、不思議な縁を感じさせる。

1:『シン・ウルトラマン』(2022年5月13日公開)


『シン・ウルトラマン』も『バブル』も、人類が人ならざる知的生命体とコンタクトし、そして共に困難に立ち向かうSFだ。しかも、前者の監督は樋口真嗣で、後者は荒木哲郎という、「進撃の巨人」の実写映画版とアニメ版それぞれの監督による最新作が、同日より公開されたという事実もある。



【関連記事】『シン・ウルトラマン』面白い、だが賛否両論を呼ぶ「5つ」の理由

2:『ハケンアニメ』(2022年5月20日公開)


アニメの”覇権”をめぐってバトルをするお仕事映画であり、現在SNSでは絶賛に次ぐ絶賛が寄せられている作品だ。キャッチコピーに「刺され、誰かの胸に。」とあるように、「誰かのためになるアニメを作る」クリエイターの心意気に感動があるし、「非リア充」へのメッセージが込められていることも、「好き」や「マイノリティー」についての物語である『バブル』に通じていた。そして、(劇中)アニメのクオリティーが驚くほどに高く、「映画館で観てほしい」と強く願えることも共通している。



【関連記事】『ハケンアニメ!』注目して観たい「3つ」のポイント

3:『アルピニスト』(2022年7月8日公開)


断崖絶壁に命綱なしで挑む、若き登山家に密着したドキュメンタリー映画だ。劇中では彼が子どもの頃にADHDと診断され、小学校では周りになじめなかったマイノリティーであったこと、登山に挑むことで「自分が自分になれた」ということも語られている。『バブル』でパルクールをしている若者たち、特にヒビキもそれと同じ意志を持っていた。命の危険がある行為は側から見れば推奨できないかもしれないかもしれないが、それが彼らにとっては逆に生きる理由にもなる、その価値観も教えてくれる。



前述してきた通り『バブル』はマイノリティーに、「ささる人にはささる」作品であるが、こうして似ている作品を思えば、やはり多くの人に向けられている内容でもあるのかもしれない。ヒビキの“普通”になれないという悩みも、実は同様の悩みを持つ者は少なくない、“普通”のことだとも思える。そして、多くの方が否定的な評価を下しても、一部の人に届いた作品は、やはり大切にしたいし、そうであってほしいと、改めて強く願うのだ。

参考書籍:
『バブル』パンフレット
『バブル』 (集英社文庫)武田綾乃

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