(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ
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映画コラム

REGULAR

2022年06月07日

『シン・ウルトラマン』解説|なぜそんなに人間が好きになったのか?

『シン・ウルトラマン』解説|なぜそんなに人間が好きになったのか?


3:合理主義者のメフィラスとの価値観の相違

ウルトラマンと禍特対のメンバーと仲良くなる過程がごくわずかである一方で、メフィラスとはブランコに乗ったまま話し合ったり、さらには一緒に飲みに行ったりしている。「人間よりも敵の方と仲良くなっているじゃないか」とツッコみたくなるし、実際に劇中で浅見はそのために憤りを募らせている。だが、ウルトラマンが話し合いの結果として、メフィラスとは決定的に袂を分つことが重要だったのではないか。



メフィラスは自分を上位概念として認めることを政府に頼み、人間を恐怖で抑圧することもウルトラマンに告げていた。人間と対等に接しようとしているウルトラマンとは、その時点で価値観の相違があった。

メフィラスは「郷に入っては郷に従う」や「善は急げ」など、円滑に物事を進めようとするための「私の好きな言葉」を告げて人間たちとコミュニケーションを取っており、徹底的な合理主義者であるように見える。対して、自己犠牲でたった1人の子どもを救おうとする人間の行動は、(特にメフィラスや光の国の価値観からすれば)まったく合理的とは言えないだろう。

その合理的ではない個々の人間の行動にこそウルトラマンは興味を持ったのに、群れとしての人間全体をも支配下に置こうとするメフィラスは、許せない存在でもあったのだろう。

4:わからないけど知ろうと努力する=好きという気持ちかもしれない

最終決戦を終えたウルトラマンは、ゾーフィに対して「人間のことを知ろうと努力してみたが、わからなかった」と言う。その「わからないかったが、知ろうと頑張ってみる」ということこそが、「好き」ということなのではないだろうか。

ウルトラマンが人間に初めに抱いた「自己犠牲をするという行動の興味深さ」は、「好き」という感情とイコールではなかったのかもしれない。だが、人間のことを興味深いと思ったからこそ、彼らを知ろうと努力し、そして心から救いたいと思い、そのために力を尽くすということ。それが「好き」という感情でないのなら、なんだというのか。



5:綾波レイの「ポカポカ」に似ているのかもしれない

この『シン・ウルトラマン』の企画・脚本・編集を務めたのはご存じ『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの庵野秀明。前述してきた「わからなかったが、知ろうと頑張ってみる」=「好き」というのは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』における綾波レイの「碇君と一緒にいるとポカポカする。私も碇君にポカポカしてほしい」に近いのではないか。しかも、今回のウルトラマンと綾波レイは、寡黙で社交性がない性格であり、人ならざる存在であることも一致している。



綾波レイの「ポカポカ」には、好きという感情をうまく言語化できないし、そもそもの好きになる理由も、それが好きという感情なのかもどうかも分からないけど、幸せになってほしいし、何かをしてあげたい、という心情が表れていると思う。『シン・ウルトラマン』のウルトラマンが人間および禍特対のメンバーに抱いていたのは、実は同様の「ポカポカ」な感情だったのではないか。

思えば、「人ならざる存在からの巨大感情(愛情)」は、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズでは、綾波レイからだけでなく、渚カヲルからも碇シンジへ向けられているものだった。もともとウルトラマンというヒーローが大好きだった庵野秀明は、そうした人ならざる存在からの巨大感情を、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズにも、今回の『シン・ウルトラマン』にも盛り込もうとしたのではないか。

それは現実にはあり得ない、完全なファンタジーであるが、それを空想科学のロマンとして突き詰めることこそ、『シン・ウルトラマン』が目指したことの1つではないか。ウルトラマンが人間たちを一瞥し、それを人間がアイコンタクトだと思って、彼を(ニセウルトラマンが現れても)とことん信じようとすること。そして、人間が好きになったウルトラマンが、心から彼らを守りたいと願うヒーローとして活躍すること。その「相思相愛」を描こうとする作品だったのではないか。

まとめ:不器用さと裏返しの誠実さ



まとめると、「ウルトラマンがなぜ人間をそれほど好きになったのかの理由がわからない」という疑問に対しての答えはこうだ。

1. ウルトラマンが人間に興味を持ったきっかけは神永の「自己犠牲」であり、最終決戦でウルトラマンはそれに倣っていた。

2. その自己犠牲で子どもを助けた時に神永が「単独行動」をしており、ウルトラマンはそれにも倣ったからこそ、表面的にはバディ関係を結べていないように見えた。

3. 禍特対のメンバーよりもメフィラスのほうと仲良くなっているように見えたが、実際は話し合いの結果としてメフィラスとは袂を分かっていた。

4. ウルトラマン自身にも結局人間のことはよくわからないままだった。だが「わからなかったが、知ろうと頑張ってみる」=「好き」ということではないか。

5. それは綾波レイの言う「ポカポカ」にも近いものだったのかも知れない。

こう考えてみると、ウルトラマンは本当に不器用なのだが、彼なりに人間を知ろうと努力していることはわかるので、やはり愛おしい存在として映る。



ちなみに、ウルトラマンの本名である「リピア」は、ヒメイワダレソウの別名(リッピア)であり、その花言葉は「絆」や「誠実」だ。結果として人間と確かな絆も持てていたとも言えるし、彼の不器用さは、愚直なまでに自分の信念を突き通そうとする誠実さの裏返しとも言える。そんなウルトラマンのことを、大好きにならざるを得ないではないか。

(文:ヒナタカ)

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