映画コラム
『ロッキーVSドラゴ:ROCKY Ⅳ』再編集版で見せる、『ロッキー』の魅力
『ロッキーVSドラゴ:ROCKY Ⅳ』再編集版で見せる、『ロッキー』の魅力
あの名作『ロッキー4 炎の友情』の再編集版『ロッキーVSドラゴ:ROCKY Ⅳ』が、8月19日(金)より全国公開された。
ロッキー・フリークの筆者は、当然公開初日に観に行った。早速、劇場に置いてあったチラシを熟読する。ある一文に目が止まった。
「コロナ禍で時間ができたスタローンは、何百時間もかけ物語を見直す」
そう。この作品は、シルベスター・スタローンの「大いなるヒマ潰し」の末に生まれたものである。
スタローンのヒマ潰しに付き合えるとは、フリーク冥利に尽きるというものだ。
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そもそも『ロッキー』とは
「映画好きだけど『ロッキー』は観たことない」という方は、多く見積もっても全体の2%ぐらいだろう。その2%の方のためだけに、『ロッキー』シリーズの説明をしようと思う。感謝してほしい。
そもそもこの名作が生まれた背景には、あるボクシングにおける名勝負があった。1975年の、モハメド・アリVSチャック・ウェップナーの一戦である。当時無敗の英雄であったアリに、無名の白人選手のウェップナーが大善戦をする。
その試合を観て感動した同じく無名の俳優であったスタローンは、わずか3日でシナリオを書き上げた。それが、『ロッキー』である。
“シルベスター・スタローン”と聞くと、「脳筋でマッチョなアクション俳優」というイメージが強いと思う。それも間違いではない。ただ“脚本家・スタローン”の素晴らしさを、もっと知ってほしい。『ロッキー』シリーズの脚本は、すべてスタローン本人によるものである。
『ロッキー』(’76)
記念すべき1作目。
“闇金の取り立てで生計を立てている三流ボクサー・ロッキー。未来の見えないゴロツキ同然のロッキーに、ひょんなことから世界チャンピオン・アポロとの対戦話が持ち上がる”
この時のスタローンは、まだゴリゴリのマッチョではない。鍛えてはいるけど節制もしていない”オフ時の格闘家”のようなリアルな体系だ。体型と同じくまだマッチョイズムの薄いこの時期のスタローンの脚本は、名セリフに溢れている。
ロッキーが片思いしているエイドリアンと、初めてデートに出かけるシーン。閉店後のスケートリンクで、エイドリアンがロッキーに尋ねる。
「ロッキー、あなたはどうしてリングに上がるの?」
「俺は、歌うことも踊ることもできないからさ」
このセリフがかっこ良すぎて、当然筆者も実生活でマネをした。「はぁっ!?」って言われ、なぜかその勢いでフラれた。
アポロ戦の前夜、ロッキーがエイドリアンに語る。
「相手は世界でいちばん強い男だ。明日、最後のゴングが鳴っても俺がまだ立っていられたら、その時は俺がゴロツキじゃないってことを、初めて証明できるんだ」
すべての「ハンパ者」の思いを乗せて、三流ボクサーが世界最強の男に挑む。
『ロッキー2』(’79)
“気まぐれ”で組んだロッキー戦で、なんとか勝ったものの大苦戦したアポロは、ロッキーとの再戦を望む。
三流ボクサーだったはずのロッキーが、世界チャンピオンの方から挑戦される立場になった。大出世だが、エイドリアンが再戦に反対する。長年の戦いでロッキーの体はボロボロであり、特に右目はほとんど見えていない。エイドリアンが応援してくれないので、ロッキーもいまいち練習に身が入らない。
妊娠中のエイドリアンは、ある日陣痛を起こして倒れる。子供は無事生まれたが、エイドリアンは昏睡状態となり入院。もはや練習どころではなく、寝ずに付き添うロッキー。数日後、目覚めたエイドリアンに、ロッキーは語りかける。
「お前が反対するのなら、もうボクシングは辞めるよ」
「ロッキー、お願いがあるの。……勝って……!!」
次の瞬間、あの世界一有名なテーマ曲が流れ、別人のように気合いの入った練習をするロッキーの姿が。この「ロッキーのテーマ」を聞いて血が沸騰しない男子も、恐らく全体の2%ぐらいだと思われる。
そのままの勢いでロッキーはアポロに勝ってしまう。遂に世界チャンピオンになってしまった……!
『ロッキー3』(’82)
世界チャンピオンになったロッキーへの次なる挑戦者は、若き野獣のような男、クラバー・ラング。演じるのは、『特攻野郎Aチーム』でおなじみのミスターTである。
間の悪いことに、試合直前にロッキーの長年のトレーナーであるミッキーが、持病の心臓発作で倒れる。ロッキーも若い力になす術なく敗れ、そのままミッキーは息を引き取った。
数日後、失意のロッキーは深夜のジムを訪れる。誰もいないはずのジムに、アポロが待っていた。
「新しいトレーナーが必要だろ?」
この「前シリーズのラスボスが次シリーズでは強力な味方になる」という”ジャンプ的展開”に胸を熱くしない男子も、恐らく全体の2%ぐらいしかいないだろう。
ラングに勝った後、ロッキーとアポロの3度目の戦いが行われる。誰もいない深夜のジムで。もちろん公式戦ではない。この戦いの勝敗は明示されないまま、映画は終わる。この戦いは、シリーズを通して筆者がもっとも好きなシーンのひとつである。
ちなみに、この作品からロッキーは突然マッチョになる。
『ロッキー4 炎の友情』(’85)
いよいよ問題の『ロッキー4』である。
いきなりネタバレですまないが、この作品でアポロは死ぬ。ソ連(現・ロシア)から来たイワン・ドラゴというボクサーと戦い、KOされてそのまま死亡する。
友を亡くしたロッキーは、ドラゴと戦うため、タイトルを返上してソ連に渡る。
■ドラゴ=ドルフ・ラングレンとは
まず、このドラゴの圧倒的“ラスボス感”である。
約2mの長身に加え、ソ連の科学力の粋(及び恐らく禁止薬物)を結集して作られた、人間離れした肉体。そこから生まれる大砲のような攻撃力。一切の感情の起伏もなく、アポロを殴り殺してなお表情も変えないその様は、まさに”サイボーグ”であり、“殺人マシーン”だ。
大半の映画ファンは、この『ロッキー4』で初めて、ドラゴを演じたドルフ・ラングレンを認識したことと思う。だがこのドルフ・ラングレンは、『ロッキー4』から遡ること6年前、すでに日本を訪れている。映画俳優ではなく、一介の空手選手として。
1979年。日本武道館において、極真空手の世界大会が行われた。当時の極真空手には、中村誠という大エースがいた。180cm強、100kg強の体格でありながら、動きも早くテクニシャンと「誰が勝てるねん」という選手であり、事実圧倒的な強さで優勝することとなる。
ただ1試合を除いて。
3回戦で対戦したハンス・ラングレンというスウェーデン代表の21歳の若者が、この中村と延長2回の大激戦を演じたのだ。軽く上げただけで頭部を直撃する膝蹴りや、軽々と頭上を超えるようなハイキックが、中村に襲い掛かる。ギリギリの判定で中村が勝利を収めるが、次回4年後の世界大会は、このラングレンが優勝してしまうのではないか。
そんな危惧を抱かせながらも、彼はその後映画俳優への道を選ぶ。このハンス・ラングレンが、後のドルフ・ラングレンである。
ドラゴの、右ストレートというよりは“正拳突き”と呼んだ方がしっくりくるパンチや、バックスイングの大きなボディアッパーに、空手家の片鱗が見える。まっすぐ歩を詰めるプレッシャーの掛け方も、まさに空手家のそれである。
この、ただのボクサーとはどこかが違う“違和感”が、ドラゴの”サイボーグ感”に繋がっていると思われる。
だからこそスタローンは、この無名の元・空手家を、ドラゴ役に選んだのではないか。
そして、『ロッキーVSドラゴ』へ
この再編集版について、ある懸念があった。
往々にしてディレクターズカット完全版というものは、監督自身の「思い入れがあったけど削らざるを得なかったシーン」などを全部付け足した結果、冗長になり、リズムも悪くなり「結局オリジナル版の方が良かったね」という顛末になりかねない。
正直、筆者的には、ディレクターズカット完全版がオリジナル版を上回ったことはなかった。
初めて「上回った」作品が、この『ロッキーVSドラゴ』である。
本作品は「付け足す」のではなく「削る」ことで、より高みを目指している。もちろん付け足しているシーンもあるが、その分削ることにより、上映時間はほぼ一緒である。余計なシーンを削ることで、より“戦いの純度”が高くなっている。
■削られたシーン
カットされたシーンとしていちばん印象的なのは、「ポーリーのロボット」のシーンである。
ロッキーの悪友であり、エイドリアンの兄でもあるポーリーという男がいる。ロッキーが誕生日プレゼントとして、ポーリーにお手伝いロボットをプレゼントする。
そのお手伝いロボットが登場するたびに人格を持ち始め、やがてポーリーの奥さんのようにふるまい出す……。
いわゆる「ギャグパート」だが、完全にカットされており、ロボットの跡形もない。「数少ない見せ場」をバッサリ行かれたポーリーが、ただただかわいそうである。
■付け足されたシーン1
アポロの葬儀の際、彼のトレーナーが弔辞を話すシーンが付け足されている。
「ファイターは、生き方を選ぶ権利があり、また、死に方を選ぶ権利もある」
彼の言葉により、アポロの死が、ただの犬死にではなくなった。
ドラゴ戦が決まった時、反対するロッキーにアポロは語る。「戦いから逃げるぐらいなら、死んだ方がマシだ」と。
苦楽を共にしたトレーナーの言葉により、アポロが救われた気がする。
■付け足されたシーン2
クライマックスの激闘が終わり、花道を帰って行くロッキーを、ドラゴがひたすら睨みつけている。
その際のドラゴの感情は、「悔しさ」というただただ「人間くさい」感情であり、ドラゴがサイボーグから人間に生まれ変わったことを示している。
オリジナル版ではサイボーグの印象が消えないままだったドラゴだが、この再編集版できっちり“人間”になった。
このことにより、実に33年越しの後日談である『クリード 炎の宿敵』における、“ロッキーへの復讐を忘れない元ボクサー”というキャラクターに、自然に繋がることとなる。
「復讐心」や「執念深さ」という感情は、もっとも「人間らしい」感情だと思うから。
■変更点
基本的にストーリー上の変更点は、ほぼない。
ただ一点、ラスト近くでものすごく大きな変更点がある。極端な話、スタローンはこのカットを変更したいがため“だけ”に、この再編集版を作ったのではないか。「やってくれたな、スタローン」という感想である。このシーンだけは、実際に観て確認してほしいので、明示はしない。
該当のシーンはオリジナル版では「みんな変わることができる」という、ロッキーの熱いメッセージがテーマだった。
やや“お花畑感”がありながらも「リアルがしんどいんだから、映画ぐらいはハッピーがいいよね」という満足感があった。
一方で再編集版では「変わらないヤツは結局変わらない」という、真逆のメッセージを突き付けてくる。
昨今の社会情勢を鑑みた結果だとは思う。どちらがいいのか。正直、筆者も結論は出ていない。
ただ、御年76歳になって急に“尖りだした”スタローンが、かっこ良くて微笑ましくて、頼もしい。
アポロが言った、「戦いから逃げるぐらいなら、死んだ方がマシだ」という言葉は、そのままスタローンのメッセージなのだと思う。
シルベスター・スタローンは、死ぬまで逃げない。
(文:ハシマトシヒロ)
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