映画コラム

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2022年09月20日

【武道家が解説】『ヘルドッグス』最高級のアクション&最上級の純愛の融合

【武道家が解説】『ヘルドッグス』最高級のアクション&最上級の純愛の融合



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『ヘルドッグス』で岡田准一演じる兼高昭吾は、関東最大の暴力団・東鞘会屈指の武闘派。高い戦闘スキルと躊躇なく人を殺せるメンタルを持つ。しかしその正体は、警視庁が送り込んだ潜入捜査官だった。

筆者は元々、深町秋生による原作小説を愛読していた。映画化決定の報を受け、さらには監督が原田眞人、主演が岡田師範と聞き、否が応でも期待は高まる。しかし、期待してハードルを上げすぎてしまうと、ハズレだった場合に精神的ダメージが大きい。
面白い原作を名匠が監督し豪華な俳優陣で固めても、失敗する時は失敗するのだ。できるだけ、フラットに観ることを心掛けた。

大当たりだった。
ありがとう、原田監督。ありがとう、岡田師範。

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※本記事では『ヘルドッグス』の一部シーンに触れています。未鑑賞の方はご注意ください。

岡田准一による技闘デザイン



岡田師範の殺陣は、一見地味である。
映像的な派手さよりも、リアリティを選ぶ。したがって、実戦においてリスクの大きな高い蹴りなどは、ほとんど使わない。絞めや関節技で制圧することが多い。
偉大な先駆者である“サニー”千葉真一が、ほぼ毎回殺陣に飛び後ろ回し蹴りを加えていたのとは好対照である。(派手な方へ派手な方へ向かう千葉真一も、もちろん素晴らしい。岡田師範とは流儀が違うだけである)

しかし岡田師範の凄いところは、本来なら映像映えしない攻防でもキッチリと“魅せる”ところだ。

また岡田師範は本作にて主演でありながら、“技闘デザイン(アクション振り付け)”として作品に参加し、各キャラクターに沿ったアクションを組み立てている。

■十朱会長のボディーガード選抜戦



組織のナンバー1・十朱会長(MIYAVI)の護衛チームを選抜するシーン。当然、最強のメンバーを揃える必要がある。その際の岡田師範の動き。

フリッカー気味の裏拳から両足タックルに入り、パウンド(馬乗りで殴ること)でキメる。なんの変哲もないベーシックなコンビネーションである。だが注目すべきは、その一連をロングからのワンカットで見せているということだ。ごまかしが効かない。

初動からキメまでの流れには一切淀みがなく、タックルのスピードも低さもレスラーのそれである。
たまたま筆者がスパーリングで同じコンビネーションを使ったムービーがスマホにあり、見比べてみた。スムーズさもスピードも、すべてにおいて完敗であった。師範と勝負しようとした、筆者が間違っていた。もはや悔しくもない。

師範のアクションは、無駄をそぎ落とした“機能美”で魅せている。

■女アサシン・ルカ戦



敵対組織が送り込んだ女殺し屋ルカ(中島亜梨沙)。東鞘会行きつけのクラブのホステスに化けるが、師範に見破られ戦闘になる。打撃でも武器でも叶わないと判断したルカは、跳びつきの三角締めを仕掛ける。フィジカルで敵わない相手への跳び関節は悪くはない。ただ、そのままテイクダウンできずに相手に踏ん張られた場合、最悪の悪手となる。案の定、バスターで頭から叩きつけられることとなる。

この際、恐らく一瞬の判断だと思うが、師範は硬い床ではなくテーブルにルカを叩きつけている。勢いをつけて硬い床に頭から落とした場合、相手が死亡する可能性がある。テーブルなら、若干のたわみが緩衝材となり、失神や戦意喪失にとどめられるだろう。

ただこの判断は、師範の“優しさ”ではない。誰の差し金なのかを確認する必要があるため、殺してはならない。この後、ルカには拷問が待っている。

ちなみに、跳び関節への返し技としてのバスターは筆者もやられたことがある。よく死ななかったと思う。

この記事を読んでいる方も、安易な跳び関節は控えることをオススメする。

■十朱会長の戦闘力



『ヘルドッグス』の思わぬ収穫は、東鞘会の若きトップ・十朱義孝を演じるMIYAVIの存在だ。
彼は世界的なギタリストだが、本来俳優ではない。出演作は何本かあるが、果たして“ラスボス”が務まるのか。この役が“大根”であったら、作品全体に漂う緊張感が台無しだ。

武闘派揃いの東鞘会を、一見スマートなインテリ・ヤクザが率いている違和感。しかしこの違和感を拭い去るだけの説得力が、MIYAVIにはあった。細身だが、しなやかな筋肉を想像させる体型。姿勢の良さや歩く姿の美しさには、一流の武道家の佇まいがある。

“雰囲気”だけではないことを証明するシーンも、用意されている。ただ“置いてあるだけ”の洋酒の瓶を、回し蹴りで粉砕する。よくある空手家の試し割りは、しっかり固定された対象物を破壊するパターンが多い。固定されているなら、馬鹿力だけで壊すことも可能だ。だが固定されていない場合、その難易度は飛躍的に上がる。破壊力だけではなく、スピードが必要になる。蹴りが遅いと、対象物は破壊されずにただ飛んでいく。対象物が飛んでいくよりも早く、蹴りが通過しなければならない。

単純な腕力ではなく、十朱会長の速さやしなやかさを見せつける、印象的なシーンだ。砕けた瓶の後片付けを手下にやらせず自分でやるところも、かわいくて最高だ。

ラブストーリーとしての『ヘルドッグス』



突然だが『ヘルドッグス』は、秀逸なラブストーリーである。主人公はもちろん岡田准一。

ではヒロインは誰か。
キャストを見れば松岡茉優だと思うだろうが、残念ながら違う。ヒロインは、MIYAVIであり、坂口健太郎だ。



坂口健太郎演じる室岡秀喜は、純粋で純情なサイコパス。警察側が、兼高と室岡の相性は98%と割り出したことにより、兼高はまず彼に近づくことで、組織に入り込む。兼高は初対面でいきなりケンカを売る。本来最悪の出会い方だが、室岡は兼高に好印象を抱いている。一目惚れかもしれない。

MIYAVI演じる十朱義孝は、兼高が潜入捜査官だとわかった上で、あえて“こっち側”に誘う。“ある理由”により、兼高に強烈なシンパシーを抱いている。



理由は明言されないが、室岡には睾丸がないため射精ができない(性交渉はできる)。また十朱には女性の影がなく、その美しい容貌も相まって「ゲイ」の噂もある。
2人とも“男性性”を少し削られた設定だ。一方の兼高は、“男性性の塊”のような存在である。

もちろん、この3人はわかりやすい同性愛の関係性ではない。少なくとも兼高と室岡には、異性愛者としての描写がある。ただ兼高と室岡、及び兼高と十朱は、前世では男女として出会っていたのではないか。そんな気すら、してしまう。

兼高とこの2人は、もはや友情すら超えた運命共同体のような関係になっていく。だが、兼高にはミッションがある。やがて来る2人との対決は、あまりにも悲しいが、ひたすら美しいラブシーンのようでもある。


『ヘルドッグス』は最高レベルのアクションと、ブロマンスだからこそ描ける本当の純愛が融合した、奇跡の作品だった。

原作を再読してから、もう一度劇場で観たいと思う。

(文:ハシマトシヒロ)

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