アニメ制作会社「サイエンスSARU」独特な世界観が魅力の作品“5選”



▶︎『四畳半タイムマシンブルース』画像を全て見る

2013年に湯浅政明とチェ・ウニョンが共同で立ち上げたアニメーション制作会社「サイエンスSARU」。型にはまらない巧みな表現をした作画は、観る度にどこか新しい場所へと連れて行ってくれる。

これまで手掛けたアニメーション2作品が、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞。3作品が審査委員会推薦作品として選出されている。こだわり抜かれたアニメーション制作は、外部でも高く評価されてきたのだ。

本記事では、そんなサイエンスSARUが手掛けたアニメーション“5作品”を紹介する。作画的に魅力的な部分もあわせて解説していきたい。

>>>【関連記事】<徹底解説&考察>アニメ「平家物語」を深く楽しむ“3つ”の記事

>>>【関連記事】アニメ『犬王』レビュー:注目したい“犬王”と“友魚”の世界

>>>【関連記事】<考察>『ONE PIECE FILM RED』記録破りの大ヒットを生んだ戦略と時代背景

「平家物語」儚く描いた“生と死”



監督を山田尚子、脚本を吉田玲子が務めたアニメ「平家物語」(2022)。

本作は平安末期の京都を舞台に、平家の栄華と没落を描いた作品である。オリジナルキャラクターとして、未来が見える琵琶法師の少女・びわが登場。平家の未来を予知し、共に運命を受け入れていくのだ。

誰もが歴史の授業で教わったように、平家は源氏に敗れ、滅びるのだと知っている。滅びるとは、すなわち「死ぬ」こと。サイエンスSARUが手掛けた「平家物語」は「死」の描き方が印象的だった。

本作で最初に命を落としたのは、びわの父親である。平家に歯向かったびわを庇って、斬首されたのだ。この場面の特徴は、斬首の際に父親ではなくびわの顔を映した点だ。視聴者は、びわの表情から、どれほど残酷な出来事が起きたのかを悟る。返り血を浴びたびわからも、惨劇を想像できる。

また平家と源氏の海上での戦闘により、一瞬で命を奪われて海に沈んでいった兵士たちの様子も衝撃だ。直前で怒号していても、戦局が変わると間髪を入れずに命を落としてしまう。その早さがリアルで、戦の恐ろしさや命の儚さを描いていた。



そしてもうひとつ、「平家物語」が描いた自害の瞬間も衝撃的だった。

この世に絶望した平維盛は、震える手で合掌すると船首から海に身を投げ出した。夕陽が、彼の死を受け入れるかのように優しく照らしていた。投げ出す前、反射した維盛が映った水面や、飛び込んだ際に生じた水しぶきの様子を描くことで、“維盛が確実にこの世に生きていた”ことを暗示したかったのではないかと思う。

また「死」の描写とは対照的に、本作では蝶や草木に花といった自然が「生きている様子」も、鮮やかに表現している。

蝶がヒラヒラ飛んでいる様子や、花が舞う様子、川が流れる様子などを、カメラはゆっくりと映す。その瞬間、激しく争っている人間たちの描写とは一変して、静かで穏やかな時間が流れる。自然の描写は、「平家物語」にある「動」と「静」の、「静」の部分を担っていて、作品により深みをもたらしてくれるのだ。「生きている」描写があるから、命の儚さや脆さが際立つ。

生と死のバランスを見事に調和させたのが、サイエンスSARUが描いた「平家物語」であった。

『犬王』音楽映画の歴史を塗り替えた作品


(C)2021 “INU-OH” Film Partners

監督を湯浅政明、脚本を野木亜紀子が務めた『犬王』(2022)は、音楽映画の歴史を塗り替えたと言っても過言ではない。

室町時代を舞台にした本作は、アニメ「平家物語」の終盤でも描かれていた、海に沈んだ「三種の神器」を探すところから始まる。盲目の琵琶法師・友魚と異形の能楽師・犬王が出会い、伝統芸能の常識を覆すようなパフォーマンスを次々と披露し、やがてスターの道を駆け上がっていく物語だ。



本作の大きな魅力である音楽を担当したのは「あまちゃん」(2013)『花束みたいな恋をした』(2021)などを手掛けた大友良英。驚くことに、『犬王』では「音楽より先にコンテを描く」という手法がとられた。つまり湯浅監督のコンテを、尺やリズム・編集のタイミングが分かるムービー(Vコンテ)としてまとめた上で、大友が作曲を手がけたのだった。通常は、曲に合わせてコンテが作られることが多いため、異例のやり方である。(※)

犬王や友魚のアニメーションに合わせて曲が作られたからか、大胆な演奏が多かった印象だ。アニメーションが一番よく映るように作られた音楽と言っても過言ではない。物語とリンクした歌詞は、作品を理解するための一助になった。



作中では何度もステージシーンが登場するが、同じ舞台は二度となく、毎度違った演出で観客を沸かせる。犬王役を演じたアヴちゃん(女王蜂)と、友魚役を演じた森山未來による力強い歌唱パートは、一度聴いたら頭から離れなくなるようなインパクトがあった。

演奏は、琵琶からギター・ベース・ドラムが加わったロック調へ。犬王の舞も、段々と手足の動きが滑らかになり、美しいパフォーマンスへと変化していった。力強い歌声や楽器の演奏、ミュージックビデオのようなカメラワーク、体全体で歌っている様子を表現したアニメーション、観客の歓声、舞台全体を使ったプロジェクションマッピング……。途中から映画ではなく、ライブを観ている感覚になった。


(C)2021 “INU-OH” Film Partners

回数を重ねるごとに2人の演奏は段々と派手に、かっこよくなっていく。個人的に自分が一番グッときたのは、2人が初めて出会った時の演奏である。静かな月夜の下、犬王は自由に舞い、友魚は自由に音を奏でた。何にも縛られていない2人は心から楽しそうであった。

本作は、今後の音楽映画史に名を残すに違いない。演奏を聴いているうちに、無意識にリズムを刻んでいたのは自分だけではないはずだ。劇場の鑑賞者は、劇中に出てくる観客と一体化し、一緒に2人を応援していた。

「ライブを聴きに、映画館に行く」未来がすぐそこまできている。それほど、音楽映画の新しい可能性を感じた作品であった。

※参考書籍:劇場アニメーション『犬王』パンフレット

『夜明け告げるルーのうた』未知の存在を魅力的に表現


(C)2017ルー製作委員会

サイエンスSARUが手掛けた、監督である湯浅政明初の完全オリジナル劇場作品が『夜明け告げるルーのうた』(2017)。第41回アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門グランプリ・クリスタル賞、第21回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞するなど、多数の賞を獲得している。

自分の感情を上手く表現できない中学生のカイが、人魚の少女・ルーと出会い、徐々に心を解放していく物語だ。

本作の魅力は、ルーの描写である。キャラクター原案を務めた漫画家のねむ ようこにより、これまで見たことがない、愛らしいフォルムをした人魚が誕生した。ルーの顔は、クリクリとした瞳に、たまに歯をのぞかせる大きな口が特徴。髪色はエメラルドグリーンで、尾びれはピンク色をしている。上半身にわかめを巻いているのがかわいらしい。


(C)2017ルー製作委員会

ルー役を演じたのは、『君の名は。』(2016)で宮水四葉役を演じた谷花音。幼さが残る、明るくて高い声は、ルーのかわいいビジュアルとマッチしていた。カタコトの日本語で一生懸命想いを伝える。ルーはカイたちが演奏していると海中からやってきて、一緒に歌ったり踊ったりする。思わず耳を傾けてしまうような、高い独特な歌声が特徴。音楽が鳴り響いている間は尾びれが二足になって、パタパタと軽快なステップを踏み始めるのだった。

本作はルーだけでなく、ルーの父親や魚など海の生き物の色遣いが特徴的だ。ピンクや黄色、緑などビビッドな色が多数使われ、色彩が豊かであった。その様子は、人間たちにはない特別な輝きを放っているよう。ルーたちが泳ぐ海の色がエメラルドグリーンというのも、彼女たちが人間よりも目立った理由のひとつだろう。


(C)2017ルー製作委員会

色だけでなく、生き方も人間と異なる。本作で描かれた人間たちは、顔を隠したSNS上でしか自由に表現できなかったり、お金儲けのために手段を選ばなかったりと、窮屈で卑しい側面が強かった。一方でルーをはじめとする海で生きるものたちは、誰の目も気にせず、広い海をのびのびと泳いでいる。ここには人魚や魚だけではなく、かつて陸で生きていた犬や人間もいる。囚われていたり命を落としそうになったりしたところを、人魚によって助けられたのだった。

人魚と人間は、生息地だけでなく生き方も違った。その違いをビジュアルでも大きく描き分けることができたのは、サイエンスSARUの手腕だ。未知の生き物である人魚がより魅力的に見え、対話してみたくなった。

『四畳半タイムマシンブルース』クセになる四畳半の世界


(C)2022 森見登美彦・上田誠・KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会

舞台化4度・実写映画化もされた上田誠による戯曲「サマータイムマシン・ブルース」と、森見登美彦の小説を原作にTVアニメ化された「四畳半神話体系」(2010)が悪魔的融合を遂げた『四畳半タイムマシンブルース』(2022)。

「四畳半神話体系」で登場する「私」や小津、明石さんなどの個性的なキャラクターたちが、水没させたクーラーのリモコンを取り戻すため、タイムマシンを使って時空を超える物語だ。

本作は「私」が提示する世界が魅力的なのである。


(C)2022 森見登美彦・上田誠・KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会

大きな特徴として、浅沼晋太郎演じる「私」の、早いテンポのナレーションがある。分かりやすいような分かりにくいような表現をしながら、「私」の主観で物語が解説されていく。必死に耳を傾けているうちに、その話術に引き込まれてクスッと笑ってしまうことが何度もあった。

例えば「四畳半の部屋が暑い」状態を、「わが四畳半はタクラマカン砂漠のごとき炎熱地獄と化す」と表現し、画でも畳が砂漠へと変化する様子を見せた。一聞しただけでは頭に入ってこないようなセリフが、アニメでビジュアル化されることで、容易に理解できる。アニメは他にも、四畳半や古本市の実写と見紛う映像を混ぜたり、空想上の人物の肌をオレンジ色に変えて衣装は紫や水色などビビッドな配色で見せたりと、独特な描き方をした場面がある。

通常のアニメではあまり観られないような異色の組み合わせが、“四畳半”の世界を生み出しているのだ。一定ではなく、変化球のカットがあることでより引き込まれる。


(C)2022 森見登美彦・上田誠・KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会

そして、「私」からみた“四畳半”のキャラクターたちが個性豊かで楽しい。「四畳半神話体系」(マッドハウスがアニメーション制作を担当)と同じく、キャラクター原案は、中村佑介が担当。最も印象的なのは、“他人の不幸をおかずに飯が喰える同級生”と「私」が紹介する小津である。他のキャラクターと比べて1人だけ特徴的な顔つきで、「私」からみる小津は、たまに蛙にも悪魔にも変化する。気味が悪いが気の抜けた表情はどこか憎めず、むしろ愛しくなるときさえある。


(C)2022 森見登美彦・上田誠・KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会

そして「私」が恋する明石さんは、表情からは感情が読み取れない。常に感情が一定だからこそ、たまに見せる変化にキュンとくるのだ。

“四畳半”は、どのキャラクターたちも好き勝手に生きていて、ツッコミどころが満載なのが楽しい。「私」が主観だから、キャラクターたちがより魅力的に見えるのかもしれない。いつまでも観ていられるような、クセになるアニメである。

「映像研には手を出すな!」魅力的に描く“アニメの誕生”



大童澄瞳の漫画が原作の「映像研には手を出すな!」(2020)。第24回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で、大賞を受賞した作品。監督である湯浅政明にとっては、自身が監督した作品の4度目の快挙となった。

本作は、幼い頃から絵を描くのが好きでアニメーション制作を夢見た浅草みどりが、高校でプロデューサー気質の金森さやかとアニメーター志望の水崎ツバメと出会い、アニメーションづくりに奔走していく物語である。

あらすじ通り、“アニメーションができるまで”の描き方が見事だった。その理由は、アニメーターであるみどりやツバメの脳内を具現化していたからであろう。



みどりの設定画で作り上げられた世界に、ツバメとさやかが訪れ、設定の矛盾や欠点を指摘したり、次々と付け足したりして、即興でアニメーションを展開していく。実写では実現が難しかったとしても、アニメの世界では紙とペンさえあれば、なんだって生み出すことができる。アニメが生まれる瞬間に立ち会えている気がして、非常に臨場感のある描写だった。

だが、アニメを作るには想像力だけでは無理がある。実際に自分で動いてみたり、実写や先人の作品を模倣したりすることで、段々と頭の中のイメージに近づけていくのだ。ツバメが言った「アニメーターは役者である」という言葉の通り、描きたい像に自分が近付かなければ、作品を完成させることはできない。

このような葛藤の中で生まれた絵が徐々に良くなっていく過程を、本作では丁寧に描いている。ラフ画に色がつき、コンポジットされ、動き出す様子をみどりたちと一緒に観ているため、完成した時は彼女たちと同じ喜びを味わえるのだ。アニメーターたちが普段どのような視点で街や人物を観察し、どんなことに心を動かされ、どんな時に描きたくなるのかを知ることができた。



そしてもうひとつ、本作ではアニメーターたちの作品にかける「想い」を上手に描いていた。

たとえ締め切り目前だったとしても、「納得する」ことを大事にしている。満足のいくアニメが描けなかったり、ストーリーに違和感を覚えたりしたら、無理に締め切りを延長してでも、自分達が納得するまで粘った。彼女たちには、アニメーターを志したきっかけとなる、“憧れのアニメ”があって、少しでもそこに近づけるために、決して妥協しない。

作品を生み出す喜び・情熱・執念を描いた、サイエンスSARUの本作もまた誰かにとっての“憧れのアニメ”になり得るに違いない。

サイエンスSARUがこだわり続ける画作り


(C)2022 森見登美彦・上田誠・KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会

作品ごとの魅力はそれぞれ異なるものの、サイエンスSARUの作品には共通した特徴がある。それは、「画に遊び心が現れている」ところだ。人間を描いていても、不自然すぎるくらい満面な笑みを見せたり、あり得ない速度でステップを踏んだりしている。

現実に寄せようとせず、あくまで“アニメ”の世界にいる人間を描いていたのがよかった。こうした遊び心があるから、これまで見たことのないような、斬新な表現が生まれるのだろう。きっと、根底には「観客を楽しませよう」という制作陣の想いがあるのだと思う。ビビッドな色遣いをしたり、設定画を見せたりしたカットには驚かされた。

サイエンスSARUは、これからも画作りにこだわり続け、アニメの常識を覆すだろう。次は一体どこへ連れて行ってくれるのか。ますますの活躍が楽しみだ。

(文:きどみ)

>>>【関連記事】<徹底解説&考察>アニメ「平家物語」を深く楽しむ“3つ”の記事

>>>【関連記事】アニメ『犬王』レビュー:注目したい“犬王”と“友魚”の世界

>>>【関連記事】<考察>『ONE PIECE FILM RED』記録破りの大ヒットを生んだ戦略と時代背景

無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。

無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。

RANKING

SPONSORD

PICK UP!